ここ数日の暖かさで飯田市内の桜が一気に開花し、あっという間に満開になりました。
天竜川の流れで有名な景勝地、天竜峡でも桜が満開になりました。
ここ数日の暖かさで飯田市内の桜が一気に開花し、あっという間に満開になりました。
天竜川の流れで有名な景勝地、天竜峡でも桜が満開になりました。
長野県の南の端の村―天龍村の山の中
住人のいなくなった家の周りに咲き乱れる梅の花。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて 春をわするな」という句を思い出した。
山から下りた住人は、
家と共に残してきた梅の木が、春の訪れを告げているだろうか?
手入れのできない梅の木が伸びきっていないだろうか?
そんな事を考えながら春の風を感じるのだろうか・・・。
長野県で一番早く桜が咲く無人駅「伊那小沢」
遠くから見るとうっすらとピンクに見える。
行ってみると三分咲きのカンザクラ
長野県のどこよりも早く色のある世界へ変わっていた。
春が来たんだ。
静かな山里は遠くからでも電車が来る音が聞こえる。
慌ててカメラを構えた。
日本最古の木造再建城である、奥美濃 郡上の郡上八幡城
歴史好きの両親を連れて行ってきたのは、まだ、雪も残る3月の初めでした。
1933年に木造で再建された城としては日本最古の山城です。
山の上に建つ郡上八幡城は朝霧に包まれたり、春は桜 初夏の新緑、秋の紅葉とおそらく
四季折々の美しい景色を見せてくれるのでしょう。
4層5階の天守閣からの眺めは絶景で、城下町が一望できました。
郡上踊りの頃や、秋の紅葉シーズン、桜の時期は、混雑が予想されます。
今回は城の近くにある駐車場まで車で行く事が出来たので、高齢の両親も見る事ができましたが、
観光客の多い時期には見学するのも本当に大変だと思います。
郡上八幡の街の中を散策し、
郡上八幡博覧館に入ると、たくさんのお雛様が迎えてくれました。
最近、いろいろな地域でお雛様イベントが行われていますが、
この街の「おひなまつりと福よせ雛」は冬季オリンピックに因んでお雛様を飾りつけた物もあり、それは見事でした。
お雛様がスキーをしたり、カーリングをしていたり、凧を上げていたり・・
楽しいおひなさまでした。
次に向かったのは鍾乳洞
受付の人に「お年寄りは危険なので行かれない方がいいと思います。」と心配されたものの、
せっかく来たんだから行ける所までと無理を言って入らせてもらった父。
回りの心配をもろともせずに、足早に完歩。
この、足腰の強健さにはいつものことながら驚かされます。
このお足取りで・・・・4月で93歳です。
夜は下呂温泉で花火を見て、一泊二日の親孝行でした。
もうすぐ93歳になる父と90歳の叔父が育った。
生家も解体され、思い出が次第に消えて行く。
それはやっぱり寂しい事で、時代の流れをひしひしと感じる。
・・なので最近、父や叔父の子供の頃の話を聞く・・・
それは、今や、父や叔父の記憶の中にしか故郷が存在しないからだ。
今と違って、写真や情報や記述の少なかった時代の思い出は、生きた人たちの記憶の中にしか存在しない。
そして、その記憶も次第に消えて行く。
そんな事を考えるているうちに、その記憶を辿ってみたいと思うようになった。
「山の中を歩いて爺さんの妹が嫁に行った隣の村の家まで、よく婆さんに連れられて行ったものだ。
隧道を抜けて山を下り、小さな川に出て川を渡り、林の中の急な山道を登るとお歯黒のばあさんが住む家に着いた。
そこには、松、竹、梅という3人の娘がいて、婆さんの話しがすむまでシャボン玉を作って遊んでくれた・・。」
そんな話を叔父から聞いて
親達の歩いた道を私たちも辿ってみようと、従妹の子供を用心棒代わりに誘って、まだ雪の残る山の中を歩き始めた。
昔歩いて下った山はもう鹿よけの柵で囲まれ歩けず、林道を通って川に着く。
この橋でいいのかな?
とりあえず渡ってみると、田んぼの跡や家屋の跡があり、その地に立っていた碑には(慶応年間から14代続いた〇〇家一族の家は昭和36年の36災害で全戸流された)との記載があった。
おそらくはもう誰も訪れる事のないこの地にも人の歴史があり、その人達のための橋だったのだろう。
もう、獣道さえもなくなった崖をよじ登り、竹藪を掻き分け掻き分け、隣町の一軒の家の畑にたどり着いた。
痩せた斜面を耕して作った畑に立って見ると
父の生まれたの裏山が正面に見え、谷底に川が流れていた。
この風景を見ながら、父から聞いたこんな話を思い出した。
「弟と一緒に裏山よりもっと奥の山の中に栗拾いに行った。
道に迷って山を歩き回っているうちに真っ暗になった。
尾根を歩いて山の高い所に行くと、向こうの方に幾つか家の灯が見える。
あぁ、あれは隣村のの灯りだから、この山を下れば川があるはずだ。
川まで行けば林道があり、村に帰れる。
崖を下り川に着き、真っ暗な林道を歩いて家に着いた時には、家の周りは大騒ぎになっていて、おやじにこっぴどく叱られた」
父達が見た隣村のの灯はこの家の灯りだったかもしれない。
この畑から正面の山を見て、
父と叔父はあの山の頂上近くから道もない崖を下り、さっき、私たちが渡った川まで下り、私たちが歩いて来た林道を通って村まで帰ったのだ。
その話をしている父に聞いた「川まで下りても道が分からなかったらどうしてた?」
「この辺りの川はみんな天竜川に注いでいる。いざとなれば天竜川まで川沿いに下ればいいと思っていた」と父は言った。
これは父が小学校3.4年の頃の話らしい。
それにしても、今だったら遭難だろう。
結局、叔父がばあさんに連れられて遊びに行っていた爺さんの妹の家が分からないので、
この家の人に道を聞いて行ってみることにした。
どうも、この道を下るみたいだ。
どこの家も、もう人は住んでいない。
一番奥の家の表札を見ると、遠い遠い親せきの家の名字が書かれていた。
崩れ落ちる寸前の家屋だが、おそらくここへまだ幼かった父と叔父が来て、
この庭でモンペを履いた松、竹、梅姉さんに遊んでもらったかと思うと、
誰もいない山の中の人のいない崩れそうな家に立つ怖さも忘れた瞬間だった。
父と叔父の記憶の映像が、私の中で文字から映像に変わった。