明日はもう5月。
端午の節句はもうすぐです。
家にある5月人形の一部と、鎧兜を飾ってみました。
昭和の物、大正時代の物、明治末期の物、
とくにこの一番小さな甲冑は感心するほど良くできている。
大きなものと並べてみても、存在感で引けをとらない。
明治末期から大正初期に作られたと思われる物のようです。
明日はもう5月。
端午の節句はもうすぐです。
家にある5月人形の一部と、鎧兜を飾ってみました。
昭和の物、大正時代の物、明治末期の物、
とくにこの一番小さな甲冑は感心するほど良くできている。
大きなものと並べてみても、存在感で引けをとらない。
明治末期から大正初期に作られたと思われる物のようです。
森に入るとひときわ美しい声が聞こえてきた。
あれは、オオルリの声だね。
幸せの青い鳥っていうけれど、青い鳥って結構いるんだよ。
オオルリやコルリ、カワセミなどはきらきらした光沢のある青い色をしていて、
オオルリも新緑の光の中で青く光っているようにみえる時もあるんだよ。
オオルリは高い木の枝に止って優雅に囀っているイメージがあるね。
飯田市内の桜の見頃は過ぎてしまったのですが、南木曽町は今満開の桜でした。
冬の間の運動不足の解消に、又、妻籠から馬籠への旧中山道歩きに行って来ました。
カタクリの花ー見つけました。
古い街並みに桜は合います。
古の人たちも、桜が咲く頃になると、
桜の下を歩きながら、春を感じたのだろうなぁ・・などと思いながら足取りも軽く歩きました。
途中にある一石栃の休憩所。
外人さんが多いこの遊歩道。
「Hello!」「コンニチワ」すれ違う度に聞こえる弾んだ声。
ふと空を見上げると、真っ青い空に虹が出ていて、
一緒に見上げた外人さんが「beautiful!」
そんな出会いもそれはそれで楽しい。
片道約8kmの道を歩き、恵那山の見える馬籠に到着。
ほとんどの人は片道歩き片道バスで戻るようですが、
私は、往復約4時間、春を満喫。
途中でオオルリに逢いました。
ここ数年、南信州の、ありとあらゆる桜の写真を撮ってきた。
特にここ南信州は一本桜が多い。
あちこちに立派な桜があり、
今や、どこに行ってもカメラマンがいて、
SNSやFacebookや雑誌に紹介されていて、
画像がグルグル回っている。
桜を撮るには青空でなくちゃダメ、とか、どの角度が一番きれいに見えるか、とか
この時間に行かなくちゃとか、
桜を愛でる純粋な心がなくなってきた。
父の生まれ故郷の家を壊す事になった。
過疎の集落で、もう人が住んでいない。
誰も住んでいなかった家なのに、いざ壊すとなると寂しいもので、
そんな日の来ることは、父が一番よく知っていた。
山の中の、
鹿やタヌキやイノシシが住人の様に歩き回っているこの土地が、
数年もすると雑木林に変わっていく事は、
言葉にこそ出さないまでも、誰もが感じていた事だった。
十数年前、
父が桜を植えたのは、
桜の根元に一つの石碑を立てたのは、
誰も行かない山の中でも、
1本の桜が生き続けてほしいと思う気持ちからだったと思う。
この地に人が生きたという証を、
残したかった。
それだけだと思った。
石碑には
「布る里の(ふるさとの) 峪のこだまに今もなほ 籠りてあらむ母が筬(おさ)の音」
「さと恋えば、見ゆる恵那山 霞む谷」
と、父と弟が詠んだ句が刻まれている。
山道を上って、上って、
家の跡地の近くまで行ったとき、満開のピンクの花が見えた。
満開に咲いた桜を見た時に、涙が出た。
忘れていた感情を思い出した。
どの桜も、
どの一本桜も、
どんな気持ちで植えられたのだろう。
どれほど長くその地を守り続けたのだろう。
忘れちゃだめだった。
飯田市内、どこもかしこも、桜 まんかい。
大河ドラマ「女城主」のいいなずけ
亀之丞が育った、高森町の松源寺の桜もマンカイ
観光客も多かったです。
愛宕神社の桜は飯田市内で最も古い700年
夜間のライトアップもされています。