コロナ禍の今、何に癒しを求めたらいいのだろうと考えてしまう。
人込みを避け、楽しい会食や外食もこの2年ほとんど行ってない。
山や海や県を跨いでのドライブも自主的自粛を余儀なくされ、都会との行き来は後の
余波の事を考えるとやはりできないと思う。
私の父の実家は山の中の限界集落で、もう以前のに家は一軒だけになってしまっ
た。
父の生家も10年ほど前に壊され、その屋敷跡も年々生い茂る草木や竹やススキに覆
われて自然に還るというよりも、むしろ人が住んだだけに不自然な自然に戻ってい
く。
父も仕方ないとは思えど、故郷が鹿や猪の跡や糞があちこちに散らばっているの
を見るとやはりちょっと寂しい気がするのであろう。父の植えた桜の花が咲くのを見
るために山に上っていくと、鎌を片手に桜の木の周りの草を刈ってみるものの、大地
の力には到底及ばず、年々手の付けようがなくなっていくのを私も父も只々眺めてい
るよりしょうがなかった。
しかし、昨年秋、屋敷跡の平に竹が生い茂ってくるのを見た時、私は何だか許せない
感情が沸き上がった。
竹の力は恐ろしく強く、自然林に還っていくならまだしも、この急斜面を耕して蒟蒻
や豆やサツマイモや桑を育て、蚕を飼って苦労して子供を育てた先祖が見たらなんと
思うだろう?
この山を竹藪にはしたくないなぁ・・・最初はそんな竹に対する挑戦だった。
昨年秋から足しげくこの山里に通い、竹を切り、ススキを刈り、竹の根を掘り、慣れ
ないビーバーを持って草を刈りを続けて半年、ちょっとしたキャンプ場の様に変身し
た。
,恵那山の見えるここを展望台にして・・・
もともと防風林のあるこの場所にテーブルとベンチを置いて・・・
少しずつきれいになっていくと夢も膨らむ。
96歳になった父も
さすがに自分の故郷が生まれ変わると思うと、毎回疲れた疲れたと言いながら楽しそ
うでもある。
父が命綱が必要なような急斜面の手入れをしているのを見て「危ないから!」と言っ
てはみたものの、危なく転びそうになるのは自分の方だった。
最近では取り壊せずに残った物置小屋の隅に簡易式トイレを作ってくれた。
この姿、大正14年生まれとは到底思えないと思うけれど、本物の96歳。
こういう所で育った体幹の強さは今の人達とは比べ物にならないと改めて知る。
父も今更こんな事をやる事になるとは思ってもいなかったに違いない。
考えてみればコロナ禍だからこそできたことかもしれない。
他にできる事がなかったからこそ、毎週のように父を連れてここに行こうと思えたの
かもしれない。
今年の秋はここでキャンプやバーベキューができるといいな。