俺たちの遊びと言えば山に入り栗を採ったりキノコを採ったりするくらいだ。
「下」の家は地主だから畑には大きな実のつく栗の木があり、俺たちはそれが欲しくて欲しくて、学校へ行く途中そーっと拾いに行って見つかり、
英爺さんに怒鳴られて逃げ帰って来た。
そんな事が続いたある日
「学校から帰ったら栗拾いに行かんか? 今日は早く帰って来いよ」と兄貴が言った。
おやつもない時代の事だ、沢山拾えば栗飯や茹で栗が食える。みんな喜んでくれる。そう思うとワクワクしてたまらない。
急いで学校から帰ると魚籠を背負い、小魚籠を腰に括り付け栗の木を探して二人で山の中へ入って行った。
兄貴は行った事があったのかもしれん。兄貴は山の事や木の事を良く知っていた。
だが俺はこんなに山の奥まで入った事はなかった。
兄貴の言う通り山を登って行くと栗の木が何本もあった。
嬉しくて嬉しくて、夢中で栗を拾い小魚籠にいっぱいになると背中の魚籠に放り込んだ。
ニ三升は拾ってもまだまだ欲しくて、ついつい時を忘れていた。
秋の夕暮れは早い。
「もう帰らにゃあ暗くなるぞ」少し恐くなった俺が声を掛けると兄貴は
「山の中の事は知っとる。黙っとれ!」と言うのでただただ兄貴に従うより他なかった。
日が落ちると辺りには漆黒の闇がきて、俺達は完全に方向を失った。
足元が見えなくなり、アケビの蔓や木の根やボサに絡まり幾度となく転び、
その度にゴロゴロと音がして折角拾った栗が頭に当たってはこぼれ落ちる。
哀しくて怖くて俺は泣き出した。
心は焦り夢中で兄貴の後を追うがそれでも道は分からん。
「ここはどこよ」と聞いても返事がない。
転がるようにして歩き回り、ついに山の背のような場所に出た。
そこから遠くに小さく幾つかの灯を見つけた。
「あれは隣村の山峰じゃぁないか?」兄貴が息を弾ませながら言った。
あぁ、そうだ。それなら山を下れば二丁の川があり、川に沿って下れば村に通じる隧道への林道があるはずだ。
息を殺してじっと耳を澄ますと、遥か下の方からではあるが水の音が聞こえて来た。
それなら川まで下るしかない。
険しい谷を蔓に掴まり転びながら下って行く。
もう栗など一つも残っちゃおらん。
汗だくになって死に物狂いで真っ暗な山を水音を頼りに下り、ふと前を見ると誰かが焚火をしている。
「あれ 誰かいる」それはおよそ50mほどの距離だった。
早く行って聞いてみよう、と急いで近付くにつれ、その火は遠のき、いつしか消えて行った。
人影さえあったのに・・・それでも音はなかった。
「あれは狐火だ」と兄は言う。
家の事を思うと気持ちが焦り、泥と汗と涙を拭きながらようやく隧道を抜けた。
家に近づくと遠くから木霊してくる声が聞こえた。
父や兄達が山に向かって大声で叫んでいた。
「馬鹿じゃぁねえか。日の暮れるのも分からんのか。みんな心配するじゃぁねえか!」
父にこっぴどく怒られたが、それでも母は冷たくなったご飯を食べさせてくれた。
俺は泣きそうになりながら、遅い夕飯にありついてほっと胸を撫で下ろしながら兄貴の顔を見ると、
兄貴は意外と平気そうに言った。
「南信州の川はみんな最後は天竜川に注いでいるんだぞ。いざとなれば天竜川まで歩けば明日には帰れる」