熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

ハムスター物語 2

2010-09-30 18:51:11 | 撮影会

ある日の事、
少年のお母さんはその日、一日中留守でした。

僕は思いました。
(うまく歩けないよ・・・)
(もう、回し車にも乗れないかもしれない・・・)

その日はこうやんも学校からなかなか帰って来ません。

僕は、突然寒気を感じ、その場に倒れ込んだ。
そして、その後の事はあまりはっきり覚えていないけれど、
僕には、その、(やつ)が目の前に見えたのが分かった。

(ぼく・・もう戦えないよ・・・・)
僕は泣きそうだった。
でも奴は、ゆっくり歩いて来て、いつも寝ている時のように
僕の隣にぴったりと寄り添った。

何て大きくて、何てあったかいんだろう。
僕は少しずつ暖かくなった・・・・
でも、ぼんやりとした幸せはそんなに長くは続かなかった。
次第に眠くなって、その後の事は何も覚えていない。

男の子のお母さんが家に帰った時には、もう外は暗くなっていた。

次第に温かくなり、僕が、お腹が動き出したのを再び感じるまでの間、
恐らく数時間は意識がなかったんだろう。

僕は、誰かの手の中にいるみたいだった。
だんだん温かくなり、やっと目を開けると
こうやんが言った
「生きてるかも?!」
「でもまだ冷たいから電気あんかの上にでも寝かせた方がいいかもな。」


(生き返ったのかも・・・)そう思いながら、うっすら開けた目に
ぼんやりと見えたのは電気あんかの赤い布だった。



お腹が動き出すと、僕は何だか何か食べたくなった。
でもまだ雨に濡れたように体は冷たく、ぴくりとも動けない。

その時、「動いたよ、動いた」
「何か餌をあげないと・・・近くに撒いてみたら?」
こうやんとお母さんの声が聞こえた。

僕は精一杯立ち上がろうとしたけど、
よろめいて撒き散らしたひまわりの種の上に再び倒れ込んだ。

僕がもう一度目を覚ました時は、
たくさんのひまわりの種の上だった。
幸せだった。・・・全部僕のひまわりの種。



次の日から、僕らは新しい部屋に移った。
二階建てなんだ。
その日から、僕は一人でゆっくり眠れるようになった。
あいつが僕の家に来る前のように。

でも、僕の中では、奴はもう敵ではなかった。
友達になったんだ。ずっとそばにいてくれたから・・・。

 
僕はちっちゃい、でも、元気。
こんな幸せな時が幾日か続き、僕は気付いた。
あいつ・・・僕が寝てる時、僕の部屋からひまわりの種持って行くよね。

僕が10gなのに あいつは50gなんだ。
こんな事言ってはいけないけど、
太り過ぎだと思うーーー僕ら、ねずみだよ。



あしたにつづく

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ハムスター物語  1

2010-09-29 09:26:29 | 撮影会



これは、家で飼っていたハムスターの事を、お話しにしてみました。
実話に基づいて作ったものです。
良かったら読んで下さいね。


    ぽこ


ある日、ぼくはペットショップから一人の男の子の家に連れて来られたんだ。

それは、多分、だけど・・・、ぼくがペットショップのケイジの中に住んでいた時、
僕の目と男の子のお母さんの目が合ったからだと思うんだ。

 その子の家に来てから、僕は毎晩、毎晩、回し車を一人で回し続けた。
カタカタ・・・カタカタ・・・。
男の子が時々近くに来たけど、ぼくはその子の名前を知らなかった。
でも、家族はその子を「こうやん」て呼んでいたよ。



いつもの通り、回し車をカタカタ回していた時、
こうやんは僕に近づいてきて、呟いたんだ。
「空しくないの?」
毎日毎日おんなじことをしていて・・・っていう事?

僕は言いたかった。
「空しくないよ!」

はっきりと言うけど
「僕は空しくはない」

次の日こうやんは僕を見て言った。
「寂しくないの?」
ひとりぼっちで・・・・って事?

僕の鼓動が速くなるのが分かった。
僕は男だ、だから、ぼくは愚痴は言いたくはないが・・・、
でも、少し寂しかった。

こうやんのお母さんも何か感じていたみたいだった。



次の日、僕より大きくて、背中に黒い線が入った、
多分僕とは違う種類の新ハムスターが
僕の部屋に入って来た。

僕は僕の陣地を守りたかった。
「ここ、ぼくの家だよ、出て行ってよ!!」
僕は叫んだ。

  

僕は奴と戦った。
「ここから出て行けよ!!」
奴は、きーきーと叫びながら、走り回って逃げたんだ。

 

僕は思ったよ(何て情けない奴なんだ)って。
僕たちは毎晩戦った。
そして、最後に僕が言ったんだ。

  

「分かったか!!  ここは、この部屋は、僕の部屋なんだ!!」

こうやんが覗きこんだ時には、僕らは疲れ切っていた。 
こうやんは僕らを見ながら言ったんだ。
「これって無理じゃないの?」

(そうだ!その通りだ。それが真実だよ。)
(不可能なんだよ。僕らは友達になんて、なれないんだ。)
僕は、そう呟いていた。

僕らの家はみんなの部屋から外に出された。何故って、
毎晩、毎晩、僕らが喧嘩をするからだろう。

 

朝が来て、僕らは疲れ切ってぐったりと眠るだけだった。
その時だけ、僕は奴の事を忘れる事ができた。

・・・・が、しかし
僕が目覚めた時には、奴は僕の隣で寝ている。
そして、僕をもっと苦しめた事は
奴は大食いなんだ!!

僕がこうやんのくれる、ひまわりの種を食べようとすると、
奴は僕の背中に乗って、いつも横取りして行くんだ。


僕は言いたい。
「おまえはこうやんからたった今、ひまわりの種をたくさんもらったじゃないか!!」って。

毎日、毎日、奴は僕の隣で寝て、
毎日、毎日、僕のひまわりの種を取って行くんだ。

僕は戦う力がなくなって来たのが分かった。
それで、僕は又、毎日、毎日
回し車を、カタカタと回し続けた



こうやんが、僕を見て言ってた。
「こいつ、元気がないなぁ」

こうやんは、僕にだけひまわりの種をくれた。

日に日に奴は大きくなり、
日に日に僕は痩せっぽっちになって行った。

こんな風にね!!

明日につづく

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ひとりごと

2010-09-28 15:02:58 | ひとりごと

先週末、
天気も良かったので、仙丈岳と北岳がくっきりと見え、秋を感じました。



柿も色付き、一気に秋本番。


こんな風景を見ながら
 

空に浮かんだ雲が、山に陰を落としているのを見るだけで、
何だか少し気持ちが清々しくなりました。



カマキリの卵を見つけました。
カマキリって、これから来る冬の雪が多い時は、雪に埋もれないように高い所に卵を産むって
聞いた事ありませんか?

いつもの年は、だいたい膝上位、高くても1m位のところに産んであるのに、
今日見つけた卵は、裏庭への扉の、およそ背丈ほどの高さの場所に卵を産んでありました。
カマキリ伝説が本当なら、今年の冬は雪が多いかも。

カマキリさん、
どんなに雪が降っても、飯田では、150cmは降らないよ、
そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ!!

     

覚えてくれている人がいるかどうか・・・・
8月18日にサラダにして食べた後のアボガドの種。
今、怪獣の卵が割れるように、ひびが入って、よーく見ると中には何か白いものが・・・
順調に生きているのだろうか?


 

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赤そばの里

2010-09-27 10:18:42 | 飯田


箕輪町の「赤そばの里」の高嶺ルビーの花が見ごろになってました。


私が見た時は雨の中、残念ながらみんな下を向いていましたが、


これは、昨年写真に収めたものです。

想像を超える敷地(4.2ヘクタール)に

 こんな可愛いピンクの花が敷き詰められています。
見ごろは10月上旬までだそうです。

もう一つ、綺麗な写真を。
先日の暴風雨の日、通った原村のパン屋さん、
店の中のこの窓に感激!!



まるで、大きな写真を額に入れた様なこの窓。
店の内部の一部となっている外の自然に感激しました。
別荘の多い、原村や富士見町などは、可愛いお店が多いですね。

      

みな、自然が建物の一部でした。

 

 

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父の事

2010-09-26 18:45:42 | ひとりごと

松本市美術館で県展が行われているので、実家の両親を連れて見に行きました。
父の作品が展示されているからです。

父は85歳になりました。
8年ほど前、顔の筋肉の病気で目が開かなくなり、眼球に問題はないのに目が見えなくなりました。
瞼が開かないだけではなく、開けようとすると頭痛や吐き気に襲われ、いろんな病院を回ってみましたが改善は見られず、
どの医者も「治らない」という事でした。
多分、その、治らない・・の言葉の裏には「もう年ですから、仕方がないでしょう・・」という意味が含まれていた気がします。
一度ある大学病院で瞼を上げる手術をしたのですが、すぐに同じような状態に戻り、目が見えない状態が1年近く続いた頃、心労も重なり、
胃がんになり、胃の3分の2切除して、会った人が見間違えるほどに痩せて行きました。

父はどうしても目を治したいと言い、もう一度以前の大学病院に行きたいと言いだしました。これでダメなら諦めると・・。
もうやる事はないから来なくていいと言われていたので、大学病院の先生の前で、とりあえず、私が状況を説明した後、
小さくなった父は黙って座っていただけでした。
今でもその時の情景をはっきり覚えています。
しばらく沈黙の時が続き、先生が「何とかしてやりたい・・・」と一言だけ言いました。

その後、私に言いました。
「これから先の人生、目が開きっぱなしでもいいか?」と。
瞼の閉じる為の筋肉を切断して、開けたままで生活するという事でした。
眠る時はアイマスクをしたり、サングラスをかけたり、目薬を点したり、目を閉じないで生活することなど考えてもみなかったので、
それでもいいか?の質問に私は意味すらつかめていませんでしたが、
父は、即答で「いいです」と言いました。
忙しい有名な先生で、2年先まで予約でいっぱいでしたので、「キャンセルがあったらすぐ電話するから、その日にでも来れるか?」
と私に聞かれたので、「来ます」と答えました。

その瞬間から、父の人生は変わりました。この時78歳でした。
元々好きだったとはいえ、
80歳から彫刻を始め、南信美術展に出し、82歳で初入選。

この作品、飛び込みの瞬間を彫ったらしいのですが、審査の先生が
83歳とは思えない力強さを感じると言って下さいました。

   平成20年作品 飛び込み

昨年のこの作品は県展でも賞を頂きました。


    平成21年作品 鶏


     平成22年作品  青鷺

今年も入選し、
私は、作品の良し悪しは大して分からないのですが、
80歳から何かを始めようとする事。
県展にでもどこにでも出してみようとする気持ち。
一木から生み出されて行く生き物に、85歳の人の彫った物とは思えない
エネルギーを感じます。
何歳になっても、どんな事があっても、前を向く事、諦めない事。
父から教えられている事です。

父の目は5年経って、閉じるようにもなり、元の目に戻りました。

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