熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

古里の歴史が終わる時ー10(戦争ー①)

2020-08-24 23:20:03 | ひとりごと

隧道を下った川の側に松上という大きな家があった。

次兄は学校を卒業するとすぐ、頼まれて住み込みで松上家の家業を手伝いに行った。

そしてお盆の頃には母もびっくりするほどのお金を貰ってきた。

平和で景気の良かった頃は、東京に出て良い店の丁稚奉公にでも入れば、暖簾分けなどさせて貰えて

支店も出させて貰える・・・そんな話も聞こえてきたが、その頃には就職の話などなく、

予科練だ、少年飛行隊だの、そのうちに支那事変も深みに入り、国も県も満州開拓義勇軍募集を学校のノルマとしてきた。

兄弟も多く自分がいないほうがいいと思ったのかもしれない。

次兄は父の印鑑を知らないうちに持ち出して、満州開拓義勇軍に志願した。

おじいさんの植えたダリアの花が咲き始めた頃だった。

次兄は松上で貰ったお金でハーモニカを買い、夕刻、垣根の外に出ては独りで吹いていた。

あの曲は確か浜千鳥だった。

 

「そんな遠くへ行かんでもいいじゃないかな」おばあさんは泣いた。

 

出かける時、長兄が写真をやっていた先輩を連れて来て、写真を撮ってもらった。

昭和14年 ダリアの花が満開の日だった。

母とおばあさんは涙を拭きながら次兄を送り出した。

 

カーキ色の服に襷を掛けて駅で別れた姿が次兄の最後の姿になった。

 

 

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