先週の事、駒ケ根の光前寺に行きました。
高森の月夜平で南アルプスと飯田下伊那地方を見渡すと、天竜川に沿ってながーい霧が・・・。
まさしくそれは龍のようで、だから天竜川と言うのかも知れないと思えるほど。
駒ヶ根の光前寺には誰もいなくて、一人で写真を撮り・・、
いつも、三重塔ばかり撮ってしまうのでー今日はヒヒ退治した伝説の残る早太郎も一緒に。
今週末は紅葉がちょうどいいかもしれません。
ちょっと早かったような気がしました。
でも、この複雑な色がいい。
先週の事、駒ケ根の光前寺に行きました。
高森の月夜平で南アルプスと飯田下伊那地方を見渡すと、天竜川に沿ってながーい霧が・・・。
まさしくそれは龍のようで、だから天竜川と言うのかも知れないと思えるほど。
駒ヶ根の光前寺には誰もいなくて、一人で写真を撮り・・、
いつも、三重塔ばかり撮ってしまうのでー今日はヒヒ退治した伝説の残る早太郎も一緒に。
今週末は紅葉がちょうどいいかもしれません。
ちょっと早かったような気がしました。
でも、この複雑な色がいい。
叔父と従妹と両親をどこに案内しようか迷った末
歴史好きな父と叔父の為に古代東山道が残る阿智の園原へ向かいました。
東山道とは古代律令による官道の一つで、近江(滋賀県)を起点に、美濃(岐阜県)を経て
陸奥、出羽国(東北)に通じていた道です。
その東山道の中で最大の難所と言われた御坂峠があるのが、阿智村です。
前日の雨も上がり、霧が上り、真っ青な空になったその日
まず、訪ねたのが広拯院 「信濃比叡」の呼称が許されたお寺で、元々東山道を通る人のための休憩所が
あった場所に建てられたものです。
古代ロマンを求める人たちには人気のあるコースです。
御坂神社には幾つかの古代を偲ばせる歴史があります。
樹齢、約2000年と言われる日本杉
「古事記には」倭建命が甲斐国より「科野国に越えまして、科野の坂の神を言向(ことむ)けて、尾張国に還り来て」とあり、
又「日本書紀」にも信濃の山中を記した記述もあるみたいで・・・
特に私の好きなのは「万葉集」埴科郡の神人部子忍男の歌に
「千早振る神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父のため」とあり、
この神社にお参りをして峠を旅した事が伺えます。
古代ロマンを辿る事ができるコースです。
その後は、ロープーウエイでヘブンス園原へ。
紅葉真っ盛り
全長2549m、標高差610m、約15分で到着です。
そこから見える富士見台高原をはじめ、周りの山々は色とりどりの紅葉に彩られ
里よりも一足早いもみじの絨毯。
従妹と一緒に遊歩道を歩きました。
不思議な事に、こんな自然の中を歩いていると、落ち葉が落ちている事だけでも嬉しい・・・!
ヘブンス園原には何度か来たことがあったのですが、いつもスキーかスノーシューの為の通過点で
歩いた事はありませんでした。
この日は遊歩道散歩で綺麗な景色を堪能しました。
北海道に住む叔父と従妹が飯田に来ました。
6人いた父の兄弟姉妹もだんだん少なくなり、今では父のたった一人の弟なのに、
北海道と長野では行き来は大変でー
電話で声は聞けども会う事はなかなかできません。
だんだん、年を重ねて行く二人を会わせてあげようという従妹の優しさからでしょう。
お墓参りの後、父や叔父が生まれ育った家に行ってみました。
山の中の荒れ果てた家にはもう誰も住んではいません。
人が住まなくなった家が朽ちて行くのは仕方のない事です。
そんな家の前でおそらく最後の記念写真。
その後叔父は同級生に会いに行きました。
山の中の小さな小学校で、同級生は6人しかいなかったんだって。
その6人も半分になって、今はたったの3人の同級生。
それはそれは遠い昔の話、かれこれ80年近くも前の話、
家が分からなくなって、父も叔父も歩き回りー
やっと見つけた同級生の家
どんな話をしたのでしょう?
「お元気で・・・」って心から言いながら、手を振ってくれたよね。
もう一度同級会が開けるといいなぁ・・・・。
20日ほど前の写真です。
娘と一緒に白駒池に行った後、八千穂高原を通り、小海町を通って帰って来ました。
白樺の木に緑の葉っぱも綺麗ですが、この時期の白樺林も綺麗です。
小海町は高原野菜が有名な所で、最終の高原野菜の収穫の時期でした。
森の中のもみじは赤や黄色に変わるグラデーションが美しく・・
色付き始めた山々でしたが、多分今が一番いい時だと思います。
赤そばも満開でした。