岩槻の慈恩寺から西安の大慈恩寺へ(中国西域放浪3)(2011.9.22)

2011-09-22 17:43:41 | Weblog

 *ここにもあった〝いつもの玄奘三蔵法師のお姿”

 9月9日(金)に成田を発って、西安のシェラトン・ホテル(Sheraton Xion Hotel)に深夜0時ごろ着きました。翌日は、6時30分にモーニング・コール、7時に朝食、8時にロビー集合。バスに乗車し出発します。その後も連日、朝はこんな調子で、朝の街の空気を感ずる時間はありません。 

10日の日中は、西安市内観光です。

 

 西安は、シルクロードを旅した玄奘三蔵法師の大慈恩寺を訪ねることが、今回の旅の“私だけの目的”でもありました。ワタシの住む隣の町、岩槻市になんと三蔵法師の遺骨が祀られています。その名も慈恩寺です。はるか大昔、唐代に、タクラマカン砂漠をこえてインドへ、そして経典を持ち帰り漢訳した三蔵法師の遺骨が、わが隣町にあるのです。釈迦のシャリがあちこちにあるのとは、意味が全然ちがうでしょう。

 

 この日、西安は雨でした。残暑が続いていた日本からの旅行者には肌寒い日でした。

 見えてきました、あの塔です。日本で読んでいた本には、必ず載っていて、よく知っている塔です。“大雁塔”です。これは本物、実物です。

 塔に登りたかったのですが“それを言い出せません”、皆、急ぎ足で通りぬけます。

 三蔵法師は、627年29歳のおり、天竺をめざして旅発ち、645年、46歳のおり長安(西安)に、仏像・経典など馬23頭分を持ち帰ります。そして大雁塔に安置、漢語翻訳をなします。665年に64歳で遷化し長安東郊外・白鹿原に葬られます。

 1942年(昭和17年)12月23日、南京中華門外で、日本陸軍森鷹部隊がご頂骨を納めた石棺を発見。その石棺の刻文から、長安より南京に移されたことが明らかになったそうです。

 1944年、頂骨の一部が日本仏教会に送られ、東京は空襲の恐れがあるということで埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安されたのです。

 

 シルクロードの旅を思いながら読んできた本には、必ず三蔵法師の求法の旅が出てきます。今、その端緒に立っています。ここからシルクロードを旅する感傷が少し頭をかすめますが、急いでバスに帰り、次の観光地に移動します。

 

【おまけ】 

*観光名所の案内人さんは、必ず黒のパンツ・スーツ・スタイルの若い女性です。役所の職員さんの感じです。もちろん日本語が達者で、なかなかいい感じで、ツーショットも撮ってもらったのですが、ここではボツです。

*このブログで、岩槻市の慈恩寺のことを書いたのは、去年の秋2010年10月13日です。一年後、中国西安の大慈恩寺に行くことになるとは、ちょっと不思議です。そのブログは、↓

 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20101013