わが家のそばの正風館(春日部市)で開かれた春日部平和フェスティバルは、7月18日だったから、もう10日も前のことです。
*平和への願いの<恒例の七夕かざり>、空中まえまわりができますように・・・・いいなあ。
会場中央には、この春に改定された“春日部市平和宣言都市”宣言が飾られていました。 春日部市民にしても、それを活字で読むことは、ほとんどないといっていいでしょう。私も初めてでした。読んでみました。
<・・・・しかし、世界各地には、核兵器を始めとする大量の殺りく兵器が存在し、いまだに国際紛争、地域紛争、テロ行為等の武力攻撃が行われています。・・・・>と、前文に書いて、<わたしたちは、・・・・・あらゆる攻撃の排除に努めます>と宣言しています。
市(市行政)が、今(2009年)の地球上に起こっている今の、現実の認識にたって、宣言したことに、安堵に近い感情を持ちました。
会場では、宣言文が印刷されたペーパーも手渡されました。裏ページは、英文で書かれていました。
<Kasukabe’s Proclamation of an Anti Nuclear City And City of Peace>
Anti Nuclear City、アンチ・ニュクリアが強く響きました。
まるで春日部市が、ヒロシマに呼応しているように感じました。 ただ昔の戦争の原爆という悲劇的結末の歴史を回顧するのでなく、今日の問題として、この2009年のこととして宣言したのです。
会場にいた外国人の男性に声をかけました。<どちらのお国の人ですか>、<アメリカだよ、この写真の相手方だよ>と、展示されている原爆写真パネルを指差しました。
そうして、しばらくの間、<戦争の話>をしました。ベトナム戦争に参加、脚を撃たれた・・・といい、<もとっと大きな声>で言わなきゃだめだよ、と。
平和フェスティバルでのお目当てであった<ナターシャ・グージーの平和コンサート>に入るタイミングを逸しました。
その日、正風館ホールでは、平和コンサートに先立って、春日部市長も登壇し、平和宣言都市宣言が読み上げられ、お披露目されたそうです。
ウクライナ生まれのナターシャ・グージーは、6歳の時、父親が勤務していたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故で、わずか3.5キロで被曝し、その後、避難生活で各地を転々としたといいます。
ヨーロッパ中を恐怖に陥れたソヴィエト・チェルノブイリ原発事故は、1986年4月26日のことです。23年前です。
一方アメリカ、ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の事故は、1979年3月28日です。
反原発運動は大きく広がり、反原発ベネフィットコンサート<ノーニュークス=No Nukes>が、79年9月19日から3日間開催されました。79年12月には、3枚組みのLPレコードとして発売されました。私も呼応するように聞いていました。
ちょうど30年前のことです。
今ごろ、今また、非核=ノーニュークスなのです。春日部市も、春日部市民も。