レイチェル・カーソン生誕100年、食べ物の安全を復習(2007.5.22)

2007-05-22 12:36:44 | Weblog

*いつの間にか本が増えるのです。

ご近所情報交換ブログの意味・目的は、もうすっかり消えています。町に出ない日々が続いていて、情報は何もなし、日々新聞を読んでいるだけです。

今朝(22日)の朝日、ロンドン・グリニッチに保存されている帆船・カーティサーク号炎上の記事、海洋ファンでもある私にはブログになります。昨日(21日)の朝日(4面)に、レイチェル・カーソン生誕100年行事の記事がありました。ブログの話題にしようと思ったのですが、私のブログのいいかげんなトーンでなく、きちっと書かねばと思って一日躊躇して、流してしまっていたのです。

でも、いつものトーンでレイチェル・カーソンを書きます。また本を並べることから始めます。
今日まだ夜の明けないうちから、書庫にいき、一抱えの“レイチェル・カーソン”を持ち出してきたのです。
レイチェル・カーソンは、1962年に書いた“Silent Spring<沈黙の春>”で、殺虫剤・化学による生物への深刻な影響を発表、社会に警告を発したアメリカの女性です。アメリカそして世界中に大きな反響を呼び起こしました。<沈黙の春>はアメリカを変えた本といわれているのです。

私の一抱えの本の中に、<沈黙の春>そのものはありません。読んでいないのです。<沈黙の春>からレイチェル・カーソンの警告を受け取り、持続して社会に発言し続ける人たちの本を読んできたのです。またレイチェル・カーソンという女性の真摯な生き方を読んできたのです。だから、少年少女向きの伝記が3冊もあります。
むろん自分の子どもたちに“読め”といったことはありません。
どの分野もそうですが、子どもたち向きの本は、大人(私)にとって“やさしい解説書”であり入門書なのです。

私と同年代で、都会の子どもだった人は、米軍(進駐軍)から、虱(しらみ)退治にDDTを頭が真っ白になるほどかけられてきたようです。その頃、殺虫剤=DDTはごく当たり前に、どの家庭でも使われてきました。
私が育った岡山のウチの前の田んぼには、殺虫剤パラチオンが年に一回撒かれていました。パラチオンを撒くオジさんは、完全覆面武装して撒いていました。通学路のどの田んぼにも、竹の先に、赤い布やなんと農薬の空き瓶を逆さにさして危険警告がなされていました。あぜ道に脱捨てられた作業着に触ってはいけないと言われていました。農協の推奨作業だったのでしょう。だからパラチオンという言葉はよく知っていました。それから、ホリドールという名前も覚えています。たぶん商品名で同じでしょう。
日本全国、庄和町の田んぼにも撒かれ続けたのでしょう。

レイチェル・カーソンは、<沈黙の春>で、DDTやパラチオン、そして化学の生物への危険を説いています。死んでしまって生物のいなくなった“沈黙”した世界を書いたのです。雑誌“ニューヨーカー”で発表されたのは1962年です。殺虫剤などの化学会社は、猛然と反論しました。反論のために学者が動員されました。
それでも、アメリカ社会は、この警告を受け入れます。危険を認識します。
私が、60、70年代にアメリカにひかれていたのは、アメリカに、伝統的にあった民衆が立ち上がる行動によるものでしょう。

今、庄和町の田んぼのそばの溝に、生き物の動きがないように思います。日本でパラチオンやDDTが禁止されたのが、いつのことか正しく知りません。ようやく無農薬や有機肥料のお米や野菜が、大切であるとの考えが広く知られてきました。
それでも、効率重視の世の中です。収益事業としての農業があるわけです。食べたらすぐに、目に見えて影響がでるわけではありません。
まだまだ自分で、注意していかなければいけないのです。ほんの少しのことであっても、しないよりはいいのです。

  【おまけ】

* 日本で、レイチェル・カーソンとそれに続く行動を紹介し続ける“レイチェル・カーソン日本協会”があります。著書・訳書それにテレビ番組で発言される上遠恵子さんがいらっしゃいます。私には、レイチェル・カーソンが上遠さんと重なるのです。上遠さんのお話を一度だけ聞いたことがあります。

* “レイチェル・カーソン日本協会”のホーム・ページは、<ここです>
誕生日の5月27日に、生誕100年記念行事が予定されています。何もかも東京であることも問題ですが、首都東京で何もないこと、その行事が関西(京都)であることも知っておきたいと思うのです。

*ホームページから引用です。

* ついでに書けば、葛飾中学校脇の用水路に、小学生の息子を引き連れていって(!)、まさに山のように、飼えないほど魚をとってみせたことがあります。用水路脇のおウチから、蛍が飛びはじめましたよ、と知らせてもらっていたこともあります。20年前のことです。今用水路は、コンクリート化され、とてもきれいになっています。生き物がいる気配はありません。