「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

BPDの人の身体接触欲求 (1)

2008年08月15日 21時54分16秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) に、

 BPDの人の 身体接触欲求について述べられています。

 ボーダーの人は 治療者や身近な人に対して、

 身体接触欲求を訴える 場合があるといいます。

 心子も 主治医に陽性転移を起こしたとき、それがありました。

 身体接触欲求は特に 女性に多く見られるそうです。

 BPDの身体接触欲求は、

 発達早期の依存欲求が 満たされなかったことによると 考えられるでしょう。

 身体接触欲求の背景には、患者の内的状況があります。

 彼らは孤独や空虚感に 苦しめられているのです。

 空虚感は 内的な欠損感が問題です。

 「抱いてほしい」 と訴える患者には、

 次のような 対人関係の特徴が あるということです。

・対人関係で 不信感や被害念慮を抱きやすいが、強く対象を求める。

・周囲への訴えや要求が 強烈で切実。

・対人関係が不安定で、安定した親子関係や 友人関係の体験がない。
 

 接触感覚のなかでは、性的な感覚が 特に問題になるでしょう。

 性的感覚は自己の喪失、自己の感覚の危機を もたらす可能性があります。

 身体接触欲求、空虚感を満たすために 行なわれる性的乱脈は、

 プラスの効果を 生じにくいものです。

 苦しみを一時的に 棚上げにする以上の 効果はありません。

 発達論的には、身体接触は自立の停滞を 意味することがあります。

 母親への接触欲求が 幼児の自立の 反動となる場合です。
 

 接触体験は、自らの皮膚 (外界との境界) を 感じることによって、

 自他の境界や 自己の内面を再確認する 効果が期待できます。

 反対に、相手から 自他の境界を侵害される 恐れもあります。

 特に 境界があいまいな BPDの人の場合、

 接触体験によって 自他境界が不明確になり、

 自分が見失われる恐怖が 起きやすくなります。

 身体接触に対応するには、とりわけ慎重さが求められます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55544581.html

〔 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) より 〕
 

医療ルネッサンス 「続・境界性人格障害」 の反響

2008年08月14日 09時49分34秒 | ボーダーに関して
 
 以前、5月の読売新聞 「医療ルネッサンス」 に

 「続・境界性人格障害」 の記事が 連載されたことを書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54456307.html

 連載記事は、医療ルネッサンスのWebページに アップされています。

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080526-OYT8T00222.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080527-OYT8T00195.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080528-OYT8T00191.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080529-OYT8T00236.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080530-OYT8T00223.htm

 これに対する読者の反響が 同ページにアップされました。

 グループ治療,BPDの呼称についてなどの 記事もあります。

 ご覧になってみてください。

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080804-OYT8T00222.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080805-OYT8T00189.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080806-OYT8T00230.htm
 

セミの脱皮を、 ミターーッ!? 

2008年08月12日 22時11分56秒 | Weblog
 
 きのうの記事に書いた ジョギングに行ったのは、

 運動不足を極度に 体に感じたからでした。

 パソコンに向かっていて トイレに立つとき、足が鉛のように 固まっているのです。

 で、ちょうど時間もできたので、久しぶりに 走ってきたわけです。

 並木のせみしぐれが 耳に響いてきました。

 ところが 少し走っただけで、荷物を引きずっているかのように

 足が重く、遅く、長続きがしません。

 無理をしないように 足を止め、結局 半分くらいは歩いていました。

 歩きながら セミの声がする木を見ると、鳴いているセミばかりでなく、

 セミの脱け殻や、地中から出てきたあとの 穴も沢山ありました。

 そして、木の幹を ゆっくり登っていく 幼虫もいました。

 脱け殻でない、動いている幼虫を 見たのは初めてです。

 また、脱皮途中で失敗したのか、殻から体が半分 出ただけのセミもいました。

 緑色がかった白い体を のけぞらせたまま、息絶えています。

 そんな中に、背中に白い筋が入った 幼虫を見つけました。

 最初は 気にも止めていませんでしたが、

 その白い筋が だんだん大きくなっていきます。

 正に今、脱皮が始まっているのでした。

 これは 滅多にお目にかかる 機会のないものだと思い、しばらく観察していました。

 白い背中が 少しずつ盛り上がってきます。

 ところが このセミが留まっている所は、アリの通り道になっていて、

 だんだんアリたちが セミにたかってきました。

「これだと 脱皮しても アリに喰われちまうな……」

 そう思いながらも、自然の摂理だし、弱肉強食で止むを得ないと 考えていました。

 そのうちセミは アリだらけになってきて、

 見るに忍びなく、セミの場所を 移してやりました。

 けれどもセミは 自分で木につかまるどころか、動くこともできません。

 初めから弱っていたのか、アリにやられてしまったのか、はたまた、

 脱皮中は動けないのか 分かりませんが、そのまま 転がってしまうだけでした。

 残念ながら セミを助けることもできず、脱皮を見ることもできず、

 その場を あとにした次第です。

 アーメン……。
 

心子との想い出の場所が、またひとつ……

2008年08月11日 21時15分51秒 | 心子、もろもろ
 
 久しぶりに ジョギングに行ってきました。

 コースは、心子と花見に行った、川沿いの遊歩道です。

 またひとつ、景色が変わってしまっていました。

 桜の下で 心子と撮った写真の、背景になっていた白い家が 建て替え中でした。

 時が流れれば 街並みが移り変わるのは 当然ですが、

 心子との想い出の一コマは、そのままであってほしいなあと 思ってしまいます。

 以前、ブログの記事にも書きましたが、

 花見の帰り道に 爆発を起こした民家が、今は駐車場になっていたり、

 その他いくつか 変化した場所があります。

 心子も 悲しがっているのではないでしょうか。

 彼女は 想い出に執心する人間でした。

 僕の部屋で 使っていたコップが割れたとき、

「このコップは 想い出が沢山あったのに……」

 と、落胆していたものです。

 普段使っていた、ただの 何でもないコップです。

 コップなどは いつか割れるものなんですが。

 また、彼女は物を捨てられない ところがありました。

 それと関係しているかどうか、薬のパッケージ (プチッと押して出すやつ) も

 捨てずに取っておくことがありました。

 そんな心子なので、想い出の場所が ひとつずつ消えていくのは、

 とても残念に 感じているかもしれません。

 それとも、天国では記憶は 永遠でしょうか?

 でも この世でも、

 「境界に生きた心子」 の中には -想い出はいつまでも残っています。
 

ボーダー患者による 著作の特徴 (2)

2008年08月10日 21時31分26秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55464694.html からの続き)

 一方、拙著 「境界に生きた心子」 の読者から いただく文面や、

 ネットで見られる ボーダーの人の書き込みなどは、とても苦しみに満ちて、

 どうしていいか分からないと 困惑されたものが非常に多くあります。

 それに対して 前記の著作は、人生の重荷を負うといった 悲壮さがなく、

 発病は自分自身の 生き方やあり方に 結びついているものであり、

 必然的に陥った 人生の苦境として捉えられていると、林氏は述べています。

 これは 著者が回復してから 書かれたものであるということも、

 大きく関わっているのではないでしょうか。

 十二分に自己を省みて、客観的な視点で

 過去を見つめることが できるようになっていたのではないかと思います。

 「思春期病棟の少女たち」 は 著者の退院後 25年を経ており、

 郷愁などを持って 描かれたかもしれないとも推測されます。

 なお、僕が 「境界に生きた心子」 を書いた際には、

 一般に理解されにくい ボーダーの人の 心の中の苦しみを、

 読者に理解してほしいという 大きな目的のために、

 それを強調して 描いたところがありました。

 心子の苦悩や深刻さは、読んだ人にも 痛いほど伝わっているようです。

 もっとも僕自身も、彼女と死別した直後は、まだまだ 生々しい苦節を引きずっており、

 人に伝わるものが 書けるようになるまでには、3年ほどかかったのでした。

〔参考文献: 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) 〕
 

ボーダー患者による 著作の特徴 (1)

2008年08月09日 22時41分20秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) の中で、

 ボーダー患者自身が執筆した 著作について述べられています。

 映画 「17歳のカルテ」 の原作となった

 「思春期病棟の少女たち」 スザンナ・ケイスン (草思社) や、

 「魂 (こころ) の穴」 山口麗子 (文芸社) など、

 5冊の著書を 例に挙げて検討したものです。

 これらの本の 記述の特徴として、著者の体験の独特さや 病理性が強調されておらず、

 自身の経験を病的なものと あまり見ていないと言っています。

 他の精神病患者が、自らの特異な体験を 書き留める目的で 書かれた本とは、

 対照的だということです。

 ボーダーの著者の記述には 辛さや苦しみの感覚が乏しく、

 深刻さを感じさせない 淡々とした表現が しばしば見られるとしています。

 自分の問題行動や 病的な状態を、

 生活の延長線上 -- 人生の流れの中に 位置づけているように感じられると。

 「魂の穴」 は 僕も読みましたが、

 夫の浮気のシーンを 目撃するなど 衝撃的な体験などのわりに、

 確かに インパクトが薄い印象を 持ったことを覚えています。

 これは 林氏が述べているように、

 離人感や脱現実感が 生じていた可能性も 影響しているかも知れないとも思えます。

 精神病や身体疾患の 患者の闘病記は、

 病にいかに立ち向かったか という姿勢で書かれているのに対し、

 ボーダーの人の著作は、病気と闘う構えが 前面に出ることは少ないといいます。

 それは病を 異物と見るのではなく、自分の振る舞いとして 身近に体験され、

 自分自身の心の問題だと 捉えているからではないかと 記されています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55475839.html

〔 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) より 〕
 

再出版の進捗状況

2008年08月08日 23時42分10秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 書きそびれていましたが、星和書店での出版作業は、

 現在 ゲラの版組みが 行なわれています。

 8月下旬に 初校ができるそうです。

 それから 校正の作業に移ります。

 共同出版だった新風舎とは 進行が異なることもあり、

 少々 戸惑ったこともありました。

 例えば 新風舎のときは、

 文字の書体や大きさなども 相談の上で ひとつひとつ決めていきましたが、

 一般の出版の場合は 通常編集部が決めるようです。

 今回も 僕の希望はできるだけ 取り入れてくれるということですが、

 心子の2度目の生まれ変わりは どんな面立ちになるのか、

 期待していきたいと思います。
 

「闇の子供たち」 (2)

2008年08月06日 20時54分22秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55414343.html からの続き)

 “微笑みの国” として 人気の高いタイですが、

 日本人観光客の知らない所で、無力な子供たちの 性と生が搾取されています。

 ただしタイ政府は 摘発に力を入れ、事態は相当 改善されましたが、

 その分 アンダーグラウンドへと潜んでいきました。

 恵子 (宮崎あおい) は 幼い純粋さで、

 子供の命を買う日本人に 食ってかかります。

 しかし そうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。

 一人のタイの子供を 救っても、また “予備” の子が 用意されているのです。

 そのシステムを 明らかにしていかない限り、犠牲者は 次々と生まれてくる。

 南部 (江口洋介) は、事実を見て、それを伝えるのだ と主張します。

 南部と恵子は 同じ正義感を持ちながらも、

 行動への移し方が 異なるため、両者は 何度もぶつかり合います。

 一筋縄ではいかない 現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、

 原作の人物と設定を変えた 見せ場です。

 我々観客も、映画を観て 「知る」 ことが 第一歩として必要なのだと思います。

 確かに 知ったからといっても、一人で何が できるわけでもありません。

 しかし 知る人が増えてくれば、それは 「世の中」 としての 力になっていきます。

 その中から 実際に行動する人たちも 多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。

 そして 世論のバックアップは、強力な支えになるに 違いありません。

 「すそ野」 を広げることが、頂きの高さを せり上げていくのです。

 それが 作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。

 そして 今の僕にできることは、こうして 映画を紹介することでしょう。

 阪本監督は 作品のテーマや意義を、

 タイの政府や役者たちに 丹念に説明していったといいます。

 限りない困難を克服しながら タイでのロケを敢行し、

 骨太の構築物に 結実させていった 阪本監督の胆力は、称賛に値します。

 監督は 児童虐待や性的搾取のシーンも 決してオブラートに包むことなく、

 大人の醜悪さを 映し出します。

 それらは 目を背けたくなるばかりです。

 そのシーンを 撮影する際、監督は タイの子役たちの心のケアに

 神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまった といいます。

 阪本監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて 告発するのではなく、

 自分自身に戻ってくることなのだ と強調しています。

 それを表現するため、原作とは異なった 設定にされている南部は、

 ラストシーンで 驚愕の過去が明かされます。

 「自分を見ろ!」

 阪本監督から そう言われたかのようなメッセージは、

 我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。
 

「闇の子供たち」 (1)

2008年08月05日 19時52分22秒 | 映画
 
 「亡国のイージス」 の社会派・阪本順治監督が、

 衝撃の問題作を 我々に見せ付けました。

 原作は、「血と骨」 の梁石日 (ヤン・ソギル)。

 タイを舞台にして 暗躍する、人身売買,児童売春,

 そして 臓器密売、闇社会の実態を暴きます。

 そして、そこには日本人も 関わっているのだという現実を……。

 日本新聞社バンコク支社の 南部浩行 (江口洋介) は、

 タイで 日本人の子供が 心臓移植手術を受けるという 情報を得ます。

 裏事情に通じる男を通して、臓器密売の仲介者に 接触した南部は、

 恐ろしい事実を掴みます。

 ドナー (臓器提供者) となる タイの子供は、脳死ではなく、

 生きたまま麻酔をかけられて 臓器を摘出されるのだと……。

 南部は真実を追います。

 意気地ないカメラマン 与田博明 (妻夫木聡) も、

 やがて 南部に感化されていきます。

 一方、バンコクの社会福祉センターに やって来た音羽恵子 (宮崎あおい) は、

 タイの子供たちのために 何かをしたいという 熱意に燃えています。

 女性所長のナパポーンが スラム街を視察し、

 同行した恵子は 貧民層の厳しい現実に 直面させられます。

 貧困のため 我が子をブローカーに 売らざるをえない親。

 売春宿の片隅の 牢屋に監禁されている子供たち。

 仲買人も子供に 性的な行為を強要し、拒むと 容赦ない暴力を加えます。

 醜い外国人客が お気に入りの子供を指名して、宿の部屋へ 連れて行きます。

 ペドフィリア (小児性愛) と言われる 性的倒錯であり、犯罪です。

 そして その客の中には 日本人たちもいるのです。

 先進国では このような幼児期を 体験した子供は、

 解離性同一性障害や 境界性パーソナリティ障害に 陥ったりします。

 しかしここでは、そこまで至ることさえ 許されません。

 エイズに感染した子は ゴミ袋に入れられて、生きたままゴミ捨て場に……。

 元気な子は 臓器摘出のため、初めて きれいな服を着せられ、

 病院へ連れられていくのです。

 これは遠い国の 無縁は話ではなく、

 地図の上では わずか20cmの所で 実際に起こっていることであり、

 日本人も 子供たちの命に 値札を付けて買っているのです。

 我々もそれを 知らなければならないでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55427668.html
 

新風舎・財産状況報告集会 (5) (感想)

2008年08月04日 20時48分16秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55391143.html からの続き)

 以上のような次第で、報告集会は終わりました。

 裁判長は 著者の心情を察するというより、

 騒ぎが起きないよう 形式的に進行したという 印象があります。

 他の破産の報告集会のことは 知りませんが、

 新風舎の場合は “詐欺まがい” という 批判もあるので、

 大人数が配置された裁判所職員も、騒動収集に 備えたものだったのだろうかと……?

 結局、元新風舎社長の松崎氏は 一言も口を開きませんでした。

 テーブルには取り敢えず マイクも用意されていたし、

 代理人 (弁護士) まで用意していたのに、

 暴動にでもならない限り しゃべらない方針だったのでしょうか? 

 短時間の集会では とても納得のいく説明は 得られなかったし、

 こちらにも 詳しい知識などがないので、突っ込んで質問することもできません。

 でも 引き続き集会を開くことは 評価できました。

(次は 松崎氏の出席の義務はないと 耳にしました。)

 それにしても、新風舎の営業に対する批判は 本当に 「風評」 だったのか、

 正確なところは 僕には分かりません。

 事実以上の批判が 広まってしまったことは、確かに “風評” だっのでしょうが、

 火のない所に 噂は立たないし、

 僕の知人も 新風舎からしつこく 出版を勧められたという 事実はあります。

(知人は断りましたが。)

 もっとも、悪辣な経営手腕があったなら、

 いくら風評を 立てられようと、強引に稼ぐことは できたのかもしれません。

 管財人は一応 客観的な立場で調べたのでしょうが、

 倒産直後の ネット上での管財人の対応には 僕も不信感を抱いていました。

 でも 報告集会が終わったあと、

 会場の階段で 何人かの著者と向き合って、色々と質問に 答えたりしていた様子は、

 必ずしも 誠意がない人物というようには 感じませんでした。

 僕は感情的には 新風舎に特別な怒りを どうも感じていないので、

 執拗に追及する態度が 持てないのかもしれません。

 出版界や会社経営にも 門外漢だし。

 会場の著者たちも 一般人が多く、感情的になることはあっても、

 管財人の説明や 裁判長の進行に 論理的に対抗できなかったのかもしれません。

 もっと業界の知識のある人が 参加してもらえれば、と思った次第です。
 

新風舎・財産状況報告集会 (4) (管財人との質疑応答.2)

2008年08月03日 22時57分37秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55374488.html からの続き)

Q: イラストレーターは 描いたものを買い取れなかったのか? 

A: データベースが整備されておらず、著者のデータしかなかった。

  システム部の社員が、給与未払いのため データをロックして行ってしまった。

  ロックが解除できたのが、文芸社に譲渡する直前だった。

Q: 内金を払って 原稿を渡したら、倒産してしまった。

  これは手付金ではなく、預かり金ではないのか? 

A: 預かり金であっても、代金返済請求権があっても、

  一般の負債になるから 返済はできない。

Q: 風評被害ではない。事実だ!

  いつでも詳しく話す。

裁判長: それは意見ということですね? 

Q: 社員は倒産のことを いつ知っていたのか? 

  昨年末まで、出版をしつこく勧められていたが、その後 連絡が取れなくなった。

A: 社長は社員には、「君たちの頑張りで何とかなる」  と言うのが常套句。

  社員は それでやっていたのだろう。

Q: 文芸社の請求額は高い。

A: コストは分かりづらい。

 文芸社は棚買い (著者の本を置くために 書店の棚を確保すること) もしている。

 高いかどうか、管財人には分からない。

 高いと思えば 他の会社から出す 選択肢もある。

Q: 今の答を聞いて 管財人と新風舎が 信じられなくなった。

 生命保険を解約して お金を払ったのに。

 お金がある人にとっては どうということはないかもしれないが、

 ない人間にとっては なけなしのお金。(泣きながら)

 他の所を 勝手に探してやってくれ というのは許せない。

 思いやりの気持ちがない。

(会場から拍手)

裁判長: 拍手は控えてください。

 残念ながら時間で 会場がもう使えない。

 今後も集会は続行する。

 次回の予定。

 12月10日 
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55401965.html
 

新風舎・財産状況報告集会 (3) (管財人との質疑応答.1)

2008年08月02日 18時05分13秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55357691.html からの続き)

 管財人の報告が 終わったあと、裁判長の司会で

 会場の参加者 (著者) から 質問を受け、管財人がそれに答えました。

Q: 著者から 100万~300万円以上の 費用を受け取り、

  年に何千人もの 契約をしていたのに、倒産するはずがない。

  松崎氏本人の口から 説明してほしい!

裁判長: ここは管財人への質問なので、松崎氏への質問は却下します。

(質問者は執拗に 松崎氏の発言を求めたが、

 他の質問者もいるのでと、裁判長は切り上げた。)

A(管財人): 広告,宣伝,多すぎる社員,高い家賃のビルなどが原因。

Q: 著者が 在庫を購入する際、初めは 定価の40%と言っていたのに、

  20%になった根拠は? 

A: 将来の資産のために 40%にしたが、倉庫会社から 追い出しをかけられ、

  急ぐ必要があったので、できるだけ多く買ってもらうため 20%にした。

  感覚的な数字でしかない。

  宅配業者に 代引きを頼んだが、信用がないので断られた。

Q: 新風舎に費用を払ったのに、

  文芸社にまた払わなければいけないのは 割り切れない。

A: 新風舎から文芸社には 1円も渡っていない。

  文芸社は儲けがなくていいとやっている。

Q: 新風舎の人からは、あなたの作品は素晴らしいと 言われて出したのだが。

A: 松崎氏の目には、全ての表現が 良いと見えた。

  マスコミでは 悪く言われているが、著者の中には 応援する声もあった。

  松崎個人と世間の評判には 開きがある。

Q: 契約の部数が 本当に刷られていたのか? 

A: 印刷業者の伝票などで 確認した。

  もし500部の契約で 300部しか刷らなかったとしても、

  紙代だけで 新風舎の得にはならない。

  何より、著者買い取りのときに 部数が確かめられている。

Q: 松崎氏は 私財を身内などに譲渡して 隠蔽していないか? 

A: 今まで 多くの管財人をやってきて、他では そういうケースもあったが、

  松崎氏はなかった。

  元々 現金は少なかった。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55391143.html
 

新風舎・財産状況報告集会 (2) (管財人の報告.2)

2008年08月01日 10時11分10秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55351866.html からの続き)

 倒産の責任説明の続きです。

 新風舎には 本という数字上の資産はあっても、

 実際には売れず 収益に結びつかない。

 在庫本の倉庫代の 負担も重く、無駄な経費が多かった。

 松崎氏はワンマンであり、経営に対する 役員の声に 耳を傾けなかった。

 作者のためと 思っていたのかもしれないが、

 膨大な著者の 原稿を読むのを 派遣社員任せにせず、正社員に読ませ、

 経営効率を考えずに 経費をかけていた。

 「表現者のため」 という一言で、非効率な運営が続けられた。

 それを作者の情熱と 混同していた。

 新風舎の営業に対して ネットなどで批判がされるようになり、

 3人の著者が 提訴したことによって  「風評被害」 が増大した。

 元々 財務体質が弱く、収益が少ないので 大きな打撃を受け、

 経営は立ち行かなくなっていった。

 松崎氏の責任は、悪質だったということではなく、

 経営技術が未熟なのに 他者の意見を聞かず、

 基盤が脆弱なまま 社会的にアピールしていったことである。

 風評は事実通りではない。

 著者に 多大な迷惑をかけたことは、

 松崎氏には大いに 反省してもらわなければならない。
 

 破産により、契約履行が不可能になったため、契約は破棄になった。

 在庫本は 新風舎の所有のもの。

(元々 在庫管理の責任は新風舎にあり、倉庫代も支払っていたので。)

 250人の社員は 給与未払いで休んでいたが、

 20人ほどの社員が 著者に本を戻したいと、在庫買い取りの 作業をしていた。

 仕掛かり本は 作者に返すべきと 管財人は考えたが、

 表紙を描いた イラストレーターとの権利関係など 複雑な問題があり、

 別会社に 事業譲渡することになった。

 しかし 新風舎の評判が悪すぎるため 譲渡先がなく、

 文芸社だけが 引き受けてくれた。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55374488.html