「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (14)

2015年03月06日 21時43分44秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 「伝統的な価値観」 が、  「伝統的」 であるだけで 正しいとは限らない。
 
 むしろ 伝統的価値観に基づいた  「父親や母親の役割」 は、
 
 社会において 女性を不当に抑圧してきたことは、
 
 フェミニズムが指摘してきたとおりである。】
 
 拙著では、 本論ではないため 言葉が足りなかったようですが、
 
 僕は 林道義先生の 「父性の復権」 (中公新書) に 基づいて述べています。
 
 (林先生は 河合隼雄さんに先んじ、 正統なユングを 日本に紹介した方で、
 
 僕も林先生の下で ユングを勉強しました。)
 
 林先生は フェミニズムに異議を唱え、  「父性の復権」〔*注〕 で
 
 父性 (父親「的」役割) の重要性の 再構築を主張されました。
 
 〔*注: 「父権の復活」 ではないことが重要です。〕
 
 父性, 母性は 父親にも母親にもありますが、
 
 基本的には 父性は父親, 母性は母親が 主に担うことが望ましいと、
 
 林先生は述べています。
 
 もちろん 家族が多様化した現代では 様々な形があるでしょうし、
 
 母親役割を女性に押しつけて 女性を抑圧してはならないのは、
 
 言うまでもないことです。
 
 伝統的な父性, 母性そのものは、 時代が変わっても必要で、
 
 子供の健全な発育に 大切な役割を果たします。
 
 しかし現代は 父性, 母性の存在自体が揺らいできて、
 
 まだ枠組みができていない子供は 何をモデルしてよいか分からず、
 
 価値観を築いていくのに 影響があるだろうということを述べています。
 
 拙著では、  「父親や母親の役割」 という 言葉を使ってしまいましたが、
 
  「父性や母性」 という 言い方をすればよかったと思います。
 
 舌足らずだったために、
 
 僕が 伝統的なものを安易に肯定していると 野崎さんは受け取り、
 
  「稲本の叙述は不可解である」 と 述べたのでしょう。
 
 拙著の執筆に当たっては、 推敲の上にも推敲を重ねましたが、
 
 未だ不充分だった点を指摘され、 ありがたくも遺憾な思いがします。
 
 
 さて、 ここでいう伝統的価値観とは、
 
  「正義」 でも 「優しさ」 でも 「誠実」 でも、
 
 望ましいものなら何でもよく、
 
 子供が人格形成をする過程で まず規範とすべきものです。
 
 自分の核ができてから (未熟でも)、 その伝統的価値観を 自分自身で見直し、
 
 本当に正しいのか批判したり、 変化, 展開させていけばよいものです。
 
 ある程度成長すれば、 世の中の不正にも 目が向いていくでしょう。
 
 ところが現代のように、 あらゆる価値観が相対化してしまうと、
 
 子供は 人格の核を育てる際の 柱を見失い、
 
 BPDの発症に関わるのではないか という趣旨です。
 
【BPD患者は、 そのような世の中の不正には 敏感なのである。】
 
 という野崎さんの趣旨とは、 論点を異にしていると思います。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)