「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (12)

2015年03月03日 19時54分10秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 [21] 矛盾するようだが、
 
 BPD患者は時として  「妥協を許さない」 態度とはまったく正反対の
 
  「諦念する」 という態度をとる。
 
 しかし これも考えてみれば、 みずからが傷つかないように
 
  「0か1か」 の思考パターンが 身についてしまった
 
 BPD患者の特徴なのかもしれない。】
 
 心子にもこういうことがありました。
 
 僕と再会し、
 
 会社の苛めを 労災として認めさせたいと、 労働運動をしていたときのことです。
 
 《心子は、 職場の卑劣ないじめを 許したくないと言い、
 
 他のいじめに 苦しむ人たちのためにも、
 
 自分が精神的苦痛の労災認定の 前例になりたいと悲願を訴えた。
 
 例え 自分がちっぽけなアリであっても、
 
 世の中の理不尽という 巨象に立ち向かうことを はばからないのだ。》
 
 《心子はいじめに遭って 不快感で嘔吐し、 心身ぼろぼろになって、
 
 二度と立ちなおれないほど 打ちのめされてしまう。
 
 ガラス細工のような か弱さである。
 
 「一%でも可能性があれば 全力を尽くす!」
 
 そう言って 悲壮な気構えを見せた 翌日には、 
 
 「もうだめ……  何をやっても無駄……」
 
 と泣き崩れた。 
 
 まるでオセロのようである。
 
 ひとつでも黒に変わると、
 
 それまであった白が 瞬時にして 全て真っ黒になってしまう。
 
 百かゼロか、 どちらかしかない。
 
 中間がないのだ。》
 
 《心子はロマンチストで モラルを尊ぶ反面、
 
 世間は薄汚く、 きれいごとが通るわけはないと 見限っていたりした。
 
 そして ペシミスティックなことを言っては 僕を困らせた。
 
 でも純潔なゆえに 追求するものが高く、 そして打ち破られ、
 
 失意が高じて 何もかも捨ててしまいたい心理になるのは、 僕にはうなずけた。》
 
 野崎さんの論文は こう続きます。
 
【 「みずからが傷つかないように」 と述べたが、
 
  「どうしようもなく みずからをメチャクチャにしたい」  という願望も、
 
 おそらくは持っている。
 
 根底にある  「自分など必要とされない、 自分が生きていても価値がない」
 
 という思いが、 そのような願望を 抱かせてしまうのである。】
 
 これに当たる心子もいます。
 
 子供の人格に交替して、 自分の喉を突き刺そうと 繰り返していた時期のことです。
 
 《心子は 自分自身を抱きしめることができないのだ。
 
 人の犠牲になったり、 正義のためなら破滅しても 潔しとする心子だが、
 
 森本先生によれば、
 
 心子には自分をメチャメチャにしたい 無意識の自分があるのだという。
 
 それもやはり トラウマから生起してきたものである。》
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕

(次の記事に続く)
 
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