「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (11)

2015年03月02日 20時10分33秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【他人には 「私はどう生きていけばよいのか」 などという問いは、
 
 端的に言って答えられないものである。
 
 それを、 場面1における心子は問わずにはいられない状況だった。
 
〔*稲本・注: 場面1 → http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/64496357.html 〕
 
(中略)
 
 「このような問いに 私はとらわれているからこそ、 私は生きづらい」
 
 と解釈してもよいのではなかろうか。】
 
 拙著から引用された 「場面1」のエピソードは、
 
 「BPDの人と接するときは 巻き込まれないようにする」 という
 
 例として記したものでした。
 
 野崎さんは、 このエピソードに出てくる 心子の僕への詰問を取り上げ、
 
 BPDの人の生きづらさについて 考察しています。
 
 「どう生きていったらいいの!?  彼氏なら教えて!」
 
 という心子の問い詰めに、 僕は内心動揺し、
 
 そのとき答えなければと しばし焦っていました。
 
 「それも 白か黒かを求めてるってことだよ。
 
 ひとつの答えはないんだよ」
 
 と、 僕はかろうじて 取り澄まし答えました。
 
 でも野崎さんの言うように、
 
 「答えようのない問いに とらわれるほどの生きづらさ」 に
 
 目を向けることができていたら、
 
 もう少し落ち着いて、 心子に違った態度を 示せたかもしれません。
 
 「どう生きていいか分からないくらい 辛いんだね」
 
 というような対応ができたかもしれません。
 
 もちろんそれで 心子が満足するとも思えませんが。
 
 “どちらに転んでも恨まれる” と言われる、 ボーダーの人との袋小路ですが、
 
 僕自身が落ち着いているための 術にはなったのではないかと思います。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕

(次の記事に続く)