9月22日(水)晴れ。夏の戻りを思わせるむし暑い一日。
今日もまた、この異常天気に相応しいニュースが飛び込んできた。
『2010年9月21日(火)23時57分配信 J-CASTニュース
最高検は2010年9月21日夜、大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅の疑いで逮捕した。前田容疑者は、郵便不正をめぐる厚生労働省の偽証明書発行事件に絡み、同特捜部が押収したフロッピーディスクの日付けデータを改ざんした疑い。
最高検は同日会見を開き、前田容疑者の逮捕とともに、1審で無罪判決が出た厚労省の村木厚子元局長の控訴を断念したことを明らかにした。これで村木氏の無罪が確定した。』
これを受けて、渦中の村木さんは、『…一夜明けた、22日正午前、クリーム色のスーツ姿で同省に到着。幹部ら約50人が拍手で出迎えた。大臣室で「ご心配をおかけしました」と頭を下げると、細川厚労相は「みんなでお待ちしていました。長い間ご苦労さまでした」と述べ、握手を交わした。…』とのこと。
全くとんでもない話ではないか。これからは、検察は裁判のためにまず提出証拠の真実性から一々証明してかからなければならないということだ。
こんな事をしていたら、ただでさえ判決がでるまでに、遅い裁判がますます遅くなりはしないか。
そんなことよりも何よりも、捜査への国民の信頼が地に落ちるのをどうカヴァーするのだろうか。
公正廉潔を求められる検察官僚が、たとえ現時点では一人とはいえ、このような人物が出てくると言う事は、一体何を物語っているのだろうか。
こういう人物をエリートとして選び、引き立ててきた上司幹部はどう責任をとるのだろうか。
一部官僚の腐敗堕落は、お隣清朝末期に似てきたということだろうか。まさに亡国への行進がはじまったているとみるべきでは…。
とはいえ、今月発売の文春に掲載された、独占手記、厚生労働省女性キャリア幽囚163日として『私は泣かない、屈さない』を読めば、真面目に誠心誠意、国民のことを考えて公務に励んでいられる人もいるのである。
しかし、それは瓦解した徳川幕府にも、川路聖顕や小栗上野介のような立派な人物が居たということのよに少数派になってしまっているのではないか。
なお、上記の手記を読むと、『足利事件の再審で無罪が確定した菅家利和さん(63)は22日、逮捕から釈放までの約17年6か月分の刑事補償として、約8000万円の支払い請求手続きを宇都宮地裁で行った。』の菅谷さんが、無実にも関わらず、有罪とされてしまうことなんか、検察官僚にとっては赤子の手をねじるように簡単だったことに思い至らされるのである。
こうしえ見ると、今、メディアで灰色の墨を塗られまくっている感のある、小沢一郎氏にしても、一体、その真実はどうなっているのかと首を傾げたくもなる。
とは云え、いろいろの処から漏れ聞こえてくるところでは、小沢氏が巨額の政党助成金を政党を作っては壊しする中で、いかに自己の支配下にしまいこんでおり、その経過が不透明なことは確かなようだ。
それは、たとえ法手続き上は違法性がなくとも、公金の流れとして不適切であり国民多数の期待に背くものであることはたしかではないか。
小沢氏に対する胡散臭さ、国民の不信はそこにあり、その不当性を糾弾是正しえない現行の政治や司法制度の無力さに対して、今、多数国民は持って行き場の無い、やりきれなさを感じているのではなかろうか。
日本の中世、戦国時代は何故始まったか。それは大まかに言ってしまえば平安貴族(藤原氏)の専横、国民生活を省みない遊惰な宮廷政治に明け暮れた結果、国民生活間の紛争調停機能が喪失し、各自が自己の実力(暴力)により、自力救済のほか余儀なくされたからではなかった。
現状のまま推移するならば、今、私たちもまたそのような無法社会に転落していく危機に瀕しているというのは、季節はずれの夏の世の世迷い言だろうか…。
今日もまた、この異常天気に相応しいニュースが飛び込んできた。
『2010年9月21日(火)23時57分配信 J-CASTニュース
最高検は2010年9月21日夜、大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅の疑いで逮捕した。前田容疑者は、郵便不正をめぐる厚生労働省の偽証明書発行事件に絡み、同特捜部が押収したフロッピーディスクの日付けデータを改ざんした疑い。
最高検は同日会見を開き、前田容疑者の逮捕とともに、1審で無罪判決が出た厚労省の村木厚子元局長の控訴を断念したことを明らかにした。これで村木氏の無罪が確定した。』
これを受けて、渦中の村木さんは、『…一夜明けた、22日正午前、クリーム色のスーツ姿で同省に到着。幹部ら約50人が拍手で出迎えた。大臣室で「ご心配をおかけしました」と頭を下げると、細川厚労相は「みんなでお待ちしていました。長い間ご苦労さまでした」と述べ、握手を交わした。…』とのこと。
全くとんでもない話ではないか。これからは、検察は裁判のためにまず提出証拠の真実性から一々証明してかからなければならないということだ。
こんな事をしていたら、ただでさえ判決がでるまでに、遅い裁判がますます遅くなりはしないか。
そんなことよりも何よりも、捜査への国民の信頼が地に落ちるのをどうカヴァーするのだろうか。
公正廉潔を求められる検察官僚が、たとえ現時点では一人とはいえ、このような人物が出てくると言う事は、一体何を物語っているのだろうか。
こういう人物をエリートとして選び、引き立ててきた上司幹部はどう責任をとるのだろうか。
一部官僚の腐敗堕落は、お隣清朝末期に似てきたということだろうか。まさに亡国への行進がはじまったているとみるべきでは…。
とはいえ、今月発売の文春に掲載された、独占手記、厚生労働省女性キャリア幽囚163日として『私は泣かない、屈さない』を読めば、真面目に誠心誠意、国民のことを考えて公務に励んでいられる人もいるのである。
しかし、それは瓦解した徳川幕府にも、川路聖顕や小栗上野介のような立派な人物が居たということのよに少数派になってしまっているのではないか。
なお、上記の手記を読むと、『足利事件の再審で無罪が確定した菅家利和さん(63)は22日、逮捕から釈放までの約17年6か月分の刑事補償として、約8000万円の支払い請求手続きを宇都宮地裁で行った。』の菅谷さんが、無実にも関わらず、有罪とされてしまうことなんか、検察官僚にとっては赤子の手をねじるように簡単だったことに思い至らされるのである。
こうしえ見ると、今、メディアで灰色の墨を塗られまくっている感のある、小沢一郎氏にしても、一体、その真実はどうなっているのかと首を傾げたくもなる。
とは云え、いろいろの処から漏れ聞こえてくるところでは、小沢氏が巨額の政党助成金を政党を作っては壊しする中で、いかに自己の支配下にしまいこんでおり、その経過が不透明なことは確かなようだ。
それは、たとえ法手続き上は違法性がなくとも、公金の流れとして不適切であり国民多数の期待に背くものであることはたしかではないか。
小沢氏に対する胡散臭さ、国民の不信はそこにあり、その不当性を糾弾是正しえない現行の政治や司法制度の無力さに対して、今、多数国民は持って行き場の無い、やりきれなさを感じているのではなかろうか。
日本の中世、戦国時代は何故始まったか。それは大まかに言ってしまえば平安貴族(藤原氏)の専横、国民生活を省みない遊惰な宮廷政治に明け暮れた結果、国民生活間の紛争調停機能が喪失し、各自が自己の実力(暴力)により、自力救済のほか余儀なくされたからではなかった。
現状のまま推移するならば、今、私たちもまたそのような無法社会に転落していく危機に瀕しているというのは、季節はずれの夏の世の世迷い言だろうか…。
↑
メディアで灰色の墨を塗られまくっている
マスコミの洗脳の怖さを、貴殿のこの矛盾する文に感じます。
世の中の諸事混乱。
当方の頭の中も混乱。
したがって、そこからひねり出す文章も論旨混乱。申し訳ありません。
間には鎌倉時代というのがありました。
中学高校で何を勉強されたんですか、ブログ主様は?
不肖、私、歴史は日本史世界史を問わず幼い頃から三度のメシより大好き人間でございます。もっともこれは下手の横好きに過ぎませんが…。
平安時代が平将門、藤原純友の乱を嚆矢に次第に崩壊し平氏政権、源頼朝の開幕、北条、足利室町幕府と続く事ぐらいは承知しているつもりです。
ただ、この間はまがりなりにも中央政府が存在し、国民の間の紛争をそれなりに調停していたように思います。
これに反して、いわゆる室町幕府が内部抗争に明け暮れて諸国の諸勢力間の争いについて、全く調停仲裁機能を失ったところに戦国時代という一種の中央政府機能が喪失した自力救済の世の中となったように私は承知しております。
このように、くだくだしく書いたのでは、何を言っっているのか分からなくなるおそれがありましたので、途中経過を略して象徴的に記載したものであったことをご理解願えればと思います。