7月13日(木)曇り後晴れ、蒸し暑い一日。
ふっと目が覚めた。しまった。寝過ごしたようだ。時計を見る。6時15分。飛び起きる。4時に起きるつもりだったのがとんだ遅刻だ。いつもこれだ。少しも懲りない。昨夜のバーボンが効きすぎたようだ。
それでも、車のエンジンキーを回して時計を見たら6時40分。中央高速韮崎ICに急ぐ。これで今日の、予定、どれかをカットしなければと思う。
平日の早朝とあってか高速は割合すいている。私同様、山梨ナンバーの車が結構多い。みんな同じように東京に何かの予定を抱えて一目散に走っているのかと思うと、戦友か同士のように思えてくる。
8時、国立府中ICを出る。東京、たちまち車車の世界だ。しばらくノロノロと走る。それでも第一目標の小平霊園には、家を出てから2時間で着いた。
■ 盂蘭盆会墓参。平日、早朝のためか余り墓参の人影は無い。いつもはきれいに除草されている園内通路の草丈が目立つ。そういえば、今まで7月には、ほとんど来たことが無く、8月の旧盆にお参りしていたためだろうか。
やはり、今、大半の人たちが、勤め先の夏休みが集中する8月にお参りするため、霊園側でも管理費の節約から、その時期にあわせてしか、清掃整備しないのだろうか、と思った。
それにしても夏草の伸びは早い。3月のお彼岸以来だが、どくだみのひょろひょろと、墓石の周囲の僅かの空間を埋めている。玉砂利の間から根こそぎにとばかり、根気よく抜き取る。
幼い頃、疎開先の田舎町で、祖父母に連れられての墓参の情景が走馬灯のように思い出される。今は、息子を誘おうにも仕事が忙しくてとても無理である。
こうしたところにも、家族の解体の一要因があるのではないかと思ったりも、ついしてしまう。
掃除して花を飾り、お線香を上げたら汗ぐっしょりである。合掌して先ずは先ほど亡くなってほどない母を懐かしむ。
花を上げた墓前を香華が緩やかに包み込む。いい気分である。小一時間が経っていた。
■ 車を置きに急いで、息子のマンションに向かう。汗まみれの体が気持ち悪い。車を置いて下着を買いに駅前商店街に行くが、洋品店が一軒もみつからない。
東京郊外の私鉄沿線駅前商店街も厳しい二極化が急速に進んでいるようだ。区画整理へ消極的な高齢の商店主が多いこの街では寂れる一方のようである。
結局、らちがあかないので一つ隣りの急行停車駅へ電車で行き、そこの駅前ビルでようやく目的を果たせた。
急いで取って返し、シャワーを浴びて一息、ビールを飲んだら眠くなり、2、30分うとうとしたようである。しかし、それぐらいではとても瞼にはりついた眠気はとれない。
これでは、ならぢと気を取り直し、着替えを済まして飛び出した。
■ 午後0時半過ぎ、三鷹駅前三鷹市美術館に入る。目当ての高島野十郎展である。
先日、偶然開いた週刊誌の紹介記事で開催されているのを知った。因縁を感じた。18年前、中学の恩師から一通の葉書を戴いた。「伯父の展覧会が、開催されますので、もし、好かったら行って見てほしい…」と、私の絵の好きなことを知っての案内であった。
案内に従ってすぐに会場の目黒区美術館へ行った。そして、その画業の素晴らしさ、画家の精神の高さに心うたれた。
この画家を紹介するについては、私の稚拙な小文よりも、この回顧展カタログの“ごあいさつ”が適切であると思い、以下に引用する。
『 「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」書簡に残された画家の言葉通り、アカデミックな絵画の世界とは無縁のまま、昭和50年、千葉県野田市の老人ホームで、85歳の生涯を閉じた孤高の画家、高島野十郎の回顧展です。野十郎(本名・高島弥寿)は、坂本繁二郎、青木繁を生んだ近代洋画揺籃の地、福岡県久留米市の裕福な酒造家の四男として生まれました。旧制中学明善校から八高を経て、東京帝大水産学科を首席で卒業。そののち、故郷の期待と約束された将来に背を向け、念願だった絵画の道へ進みます。4年の滞欧をはさんで、地元福岡県筑後地方、東京や千葉県柏市にアトリエを構え、終生独身で孤独の中に身を置き、晴耕雨読の修行僧にも似た生活を貫きました。故郷の風景や信州の高原、からすうりやりんごといった生物、火のともされた1本の蝋燭や月のシーリズなど、残された作品は、深い精神性をたたえた独特の写実絵画の世界を創っています。またその生き様は、現代人が失ってしまった一徹の真摯さや、誠実さを伝えています。…』と。
その絵を見ての感想はまさにこのとおりであった。
それからというもの、その作品の重厚静逸な印象は、野十郎氏の面影に恩師の面影が重なり、私にとって忘れがたいものとなっている。
そして、私も、昭和44年頃から昭和62年ごろまで、柏市の周辺にすんでいたことがあり、画家が晩年を過ごした土地への馴染みは深い。そんな近くに敬慕する恩師の親族の画家が居られたとは知る由もなかったのであるが、何か余計に縁を感じてみたくなる。
そんなわけで、今回は、まだ、賀状の往復ではご健在の恩師から連絡があった訳ではなかったが、再度の回顧展の開催を知り、これは見逃せないと思って出かけたのである。
やはり来て見てよかった。今回の展示では、野十郎氏生涯のモチーフの一つであった、蝋燭のシーリズの何作かが、一枚一枚丁寧に効果的な照明がされて、まるで本物の蝋燭の炎が、そこに額縁の中で揺らめいているだ。
そして画家の絵に向かう姿勢、絵に求めたものこそは、それは、及ぶべくも無く、おこがましいが、私が絵に求めているものと共通するところがあると感じたからでもある。
■ 3時半、今見た絵の印象を反芻しつつ、三鷹から新橋に向かった。次は、毎年定例の元の職場仲間のグループ展である。
会場に入ると、すぐ仲間の先輩後輩と雑談となった。久しぶりに会うのはやはり良いものである。特に職種職場を離れて絵を通じてだけの長い付き合いは特別である。いつまでも昔のままである。
ただ、そこでも時間の経過による、お互いの心身の風化を見聞きする中には、先輩の一人のつらい病後の話も聞くこととなる。作品が昔の力と輝きが薄れるのも哀しい。そういう中に、おや?と、思う技量の発展を見ると嬉しくもなる。
■ 4時半、今日の上京のきっかけである、10月に毎年開いている仲間、男女5人とのグループ展の打ち合わせに新宿に向かう。
駅ビルの5階の本屋で落ち合い、ビル内の居酒屋へ入る。5人の内、私を含めて3人が完全リタイア組み、残る二人は再雇用の身である。生ビールで乾杯のあとは、展覧会の打ち合わせは、最後に席をかえた喫茶店で短く済ませただけで、あとは全てお互いの近況報告から、再雇用職場での周囲の後輩正規職員との微妙な感情の齟齬、政治、世情の動向についての雑談に終始した。
小泉政治の総括から、北朝鮮まで、こんな話は普段滅多に他の人とは、したことがなかったと、お互いが驚いていた。そんな中で小泉評価論(勿論全てでは無いが)を主張する私は、少数派であったことは言うべくも無い。
仲間の一人が言った。人間、一日百人の人と会話しなくなると呆けるとか…。百人、山家の隠居にとってはとても不可能な人数である。
まあ、しばらくは精々、この五人組との付き合いだけでも大切にしていかなくては…と、マンションへの帰りの電車で思った。
それにしても、みんな元気なことだ。仲間の女性の一人は、この秋インドへの何回目かの旅に出るとか、一人は北欧三国巡りから帰ってきたばかりとか。
山家の隠居は、とてもそんな外(トツ)国に、重たいスーツケース引っさげてなど、億劫でと感じてしまうのだ。
■ 22時30分、マンションに駐車しておいた、車に乗り換え山家に向かう。
夜の高速、トラックがやたらと多い。走行車線は、トラックの行列である。景気が好くなったのは、確かのようだ。
深夜、0時30分。山家の居宅に帰りつく。車外に出ると、東京の蒸し暑さが嘘のように、ひんやりとした山里の冷気に包まれる。娘婿の車が止まっている。土産に買ってきた5キロのスイカを手に急いで家の中に入る。座敷で寝入っている孫二人の小さなほっぺたを軽くつついた。
結局、今日予定していた、国立博物館で開催中の”伊藤若冲展”は次回のお楽しみになってしまった。それにしても省みて欲張りな一日であった。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
ふっと目が覚めた。しまった。寝過ごしたようだ。時計を見る。6時15分。飛び起きる。4時に起きるつもりだったのがとんだ遅刻だ。いつもこれだ。少しも懲りない。昨夜のバーボンが効きすぎたようだ。
それでも、車のエンジンキーを回して時計を見たら6時40分。中央高速韮崎ICに急ぐ。これで今日の、予定、どれかをカットしなければと思う。
平日の早朝とあってか高速は割合すいている。私同様、山梨ナンバーの車が結構多い。みんな同じように東京に何かの予定を抱えて一目散に走っているのかと思うと、戦友か同士のように思えてくる。
8時、国立府中ICを出る。東京、たちまち車車の世界だ。しばらくノロノロと走る。それでも第一目標の小平霊園には、家を出てから2時間で着いた。
■ 盂蘭盆会墓参。平日、早朝のためか余り墓参の人影は無い。いつもはきれいに除草されている園内通路の草丈が目立つ。そういえば、今まで7月には、ほとんど来たことが無く、8月の旧盆にお参りしていたためだろうか。
やはり、今、大半の人たちが、勤め先の夏休みが集中する8月にお参りするため、霊園側でも管理費の節約から、その時期にあわせてしか、清掃整備しないのだろうか、と思った。
それにしても夏草の伸びは早い。3月のお彼岸以来だが、どくだみのひょろひょろと、墓石の周囲の僅かの空間を埋めている。玉砂利の間から根こそぎにとばかり、根気よく抜き取る。
幼い頃、疎開先の田舎町で、祖父母に連れられての墓参の情景が走馬灯のように思い出される。今は、息子を誘おうにも仕事が忙しくてとても無理である。
こうしたところにも、家族の解体の一要因があるのではないかと思ったりも、ついしてしまう。
掃除して花を飾り、お線香を上げたら汗ぐっしょりである。合掌して先ずは先ほど亡くなってほどない母を懐かしむ。
花を上げた墓前を香華が緩やかに包み込む。いい気分である。小一時間が経っていた。
■ 車を置きに急いで、息子のマンションに向かう。汗まみれの体が気持ち悪い。車を置いて下着を買いに駅前商店街に行くが、洋品店が一軒もみつからない。
東京郊外の私鉄沿線駅前商店街も厳しい二極化が急速に進んでいるようだ。区画整理へ消極的な高齢の商店主が多いこの街では寂れる一方のようである。
結局、らちがあかないので一つ隣りの急行停車駅へ電車で行き、そこの駅前ビルでようやく目的を果たせた。
急いで取って返し、シャワーを浴びて一息、ビールを飲んだら眠くなり、2、30分うとうとしたようである。しかし、それぐらいではとても瞼にはりついた眠気はとれない。
これでは、ならぢと気を取り直し、着替えを済まして飛び出した。
■ 午後0時半過ぎ、三鷹駅前三鷹市美術館に入る。目当ての高島野十郎展である。
先日、偶然開いた週刊誌の紹介記事で開催されているのを知った。因縁を感じた。18年前、中学の恩師から一通の葉書を戴いた。「伯父の展覧会が、開催されますので、もし、好かったら行って見てほしい…」と、私の絵の好きなことを知っての案内であった。
案内に従ってすぐに会場の目黒区美術館へ行った。そして、その画業の素晴らしさ、画家の精神の高さに心うたれた。
この画家を紹介するについては、私の稚拙な小文よりも、この回顧展カタログの“ごあいさつ”が適切であると思い、以下に引用する。
『 「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」書簡に残された画家の言葉通り、アカデミックな絵画の世界とは無縁のまま、昭和50年、千葉県野田市の老人ホームで、85歳の生涯を閉じた孤高の画家、高島野十郎の回顧展です。野十郎(本名・高島弥寿)は、坂本繁二郎、青木繁を生んだ近代洋画揺籃の地、福岡県久留米市の裕福な酒造家の四男として生まれました。旧制中学明善校から八高を経て、東京帝大水産学科を首席で卒業。そののち、故郷の期待と約束された将来に背を向け、念願だった絵画の道へ進みます。4年の滞欧をはさんで、地元福岡県筑後地方、東京や千葉県柏市にアトリエを構え、終生独身で孤独の中に身を置き、晴耕雨読の修行僧にも似た生活を貫きました。故郷の風景や信州の高原、からすうりやりんごといった生物、火のともされた1本の蝋燭や月のシーリズなど、残された作品は、深い精神性をたたえた独特の写実絵画の世界を創っています。またその生き様は、現代人が失ってしまった一徹の真摯さや、誠実さを伝えています。…』と。
その絵を見ての感想はまさにこのとおりであった。
それからというもの、その作品の重厚静逸な印象は、野十郎氏の面影に恩師の面影が重なり、私にとって忘れがたいものとなっている。
そして、私も、昭和44年頃から昭和62年ごろまで、柏市の周辺にすんでいたことがあり、画家が晩年を過ごした土地への馴染みは深い。そんな近くに敬慕する恩師の親族の画家が居られたとは知る由もなかったのであるが、何か余計に縁を感じてみたくなる。
そんなわけで、今回は、まだ、賀状の往復ではご健在の恩師から連絡があった訳ではなかったが、再度の回顧展の開催を知り、これは見逃せないと思って出かけたのである。
やはり来て見てよかった。今回の展示では、野十郎氏生涯のモチーフの一つであった、蝋燭のシーリズの何作かが、一枚一枚丁寧に効果的な照明がされて、まるで本物の蝋燭の炎が、そこに額縁の中で揺らめいているだ。
そして画家の絵に向かう姿勢、絵に求めたものこそは、それは、及ぶべくも無く、おこがましいが、私が絵に求めているものと共通するところがあると感じたからでもある。
■ 3時半、今見た絵の印象を反芻しつつ、三鷹から新橋に向かった。次は、毎年定例の元の職場仲間のグループ展である。
会場に入ると、すぐ仲間の先輩後輩と雑談となった。久しぶりに会うのはやはり良いものである。特に職種職場を離れて絵を通じてだけの長い付き合いは特別である。いつまでも昔のままである。
ただ、そこでも時間の経過による、お互いの心身の風化を見聞きする中には、先輩の一人のつらい病後の話も聞くこととなる。作品が昔の力と輝きが薄れるのも哀しい。そういう中に、おや?と、思う技量の発展を見ると嬉しくもなる。
■ 4時半、今日の上京のきっかけである、10月に毎年開いている仲間、男女5人とのグループ展の打ち合わせに新宿に向かう。
駅ビルの5階の本屋で落ち合い、ビル内の居酒屋へ入る。5人の内、私を含めて3人が完全リタイア組み、残る二人は再雇用の身である。生ビールで乾杯のあとは、展覧会の打ち合わせは、最後に席をかえた喫茶店で短く済ませただけで、あとは全てお互いの近況報告から、再雇用職場での周囲の後輩正規職員との微妙な感情の齟齬、政治、世情の動向についての雑談に終始した。
小泉政治の総括から、北朝鮮まで、こんな話は普段滅多に他の人とは、したことがなかったと、お互いが驚いていた。そんな中で小泉評価論(勿論全てでは無いが)を主張する私は、少数派であったことは言うべくも無い。
仲間の一人が言った。人間、一日百人の人と会話しなくなると呆けるとか…。百人、山家の隠居にとってはとても不可能な人数である。
まあ、しばらくは精々、この五人組との付き合いだけでも大切にしていかなくては…と、マンションへの帰りの電車で思った。
それにしても、みんな元気なことだ。仲間の女性の一人は、この秋インドへの何回目かの旅に出るとか、一人は北欧三国巡りから帰ってきたばかりとか。
山家の隠居は、とてもそんな外(トツ)国に、重たいスーツケース引っさげてなど、億劫でと感じてしまうのだ。
■ 22時30分、マンションに駐車しておいた、車に乗り換え山家に向かう。
夜の高速、トラックがやたらと多い。走行車線は、トラックの行列である。景気が好くなったのは、確かのようだ。
深夜、0時30分。山家の居宅に帰りつく。車外に出ると、東京の蒸し暑さが嘘のように、ひんやりとした山里の冷気に包まれる。娘婿の車が止まっている。土産に買ってきた5キロのスイカを手に急いで家の中に入る。座敷で寝入っている孫二人の小さなほっぺたを軽くつついた。
結局、今日予定していた、国立博物館で開催中の”伊藤若冲展”は次回のお楽しみになってしまった。それにしても省みて欲張りな一日であった。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
お墓参り・・・お母様は最近亡くなられたのでしょうか。暑い中でのお墓のお掃除とお参り、きっとご先祖様も喜ばれたことでしょう。
高島野十郎展・・・検索すると昨年テレビの「何でも鑑定団」に睡蓮の絵が出され150万の値段がついたようですね。その生き様、光を探求された絵に感動された視聴者が多いようでした。
昨年は福岡で展覧会があったみたいです。
わたしも機会があれば展覧会に行きたい気持ちです。
毎年定例の元の職場仲間のグループ展・・・すばらしいことですね!いつまでも続けば良いですね。
男女5人とのグループ展・・・皆さんすごく活動的でビックリいたしました。お話も弾んで楽しい時間だったことでしょう。1日100人との会話はほとんどの人は無理ですが「たくさんの人と話すこと」は
大切なことかも知れませんね。
深夜、0時30分。山家の居宅に帰りつく・・・車で行かれた事に驚きましたが、無事に帰られて良かったです。お孫さんもスイカ、喜ばれた事でしょう。
1日にこれだけの計画を立てられたこと、蛾遊庵様の
パワーはすごい!とただただ感心します。
でも後で疲れが出るかも知れませんので、少しゆっくりされてくださいね!
この頃は、電車も時々利用するようになりましたが、ごちゃごちゃした荷物のある時や、時間が決まっていないときは、やっぱり車が便利です。
ここから、東京までは片道130kほどなどで、私にしては大した距離にはあまり感じないのと、高速は入ってしまえば、一本道をただ前を向いて走っていればいいので、それほどストレスにはならないようです。
とはいえ、東京の中であっちこっち階段上ったり下りたり、もの凄い人間の流れの渦を掻き分けて歩く方こそ余程つかれますね。
この山里へ帰ってくるとほっとします。
お陰さまで、昨日今日は孫を交えての食卓、いつもの二人だけに比べて、子供たちが小さかった若い頃の食卓を思い出しました。
その孫たちも、明日早朝には帰宅するとかで、またもとの静かな日常に戻るようです。
ところで、高島野十郎のことですが、手元のカタログのメモを見ましたら、93年12月19日の日曜美術館で取り上げられていました。
この前、ブログに書きました和田何とか画伯のように生きている間から化けの皮が剥がれ落ちるのと、亡くなったあとから、じわじわと見直され評価が高まっていくのとでは、まさに天と地の相違ではありませんか。
九州の方ですから、また近い内に回顧展がそちらでも開催されることとなるのではないでしょうか?
その際は、お目に止まりましたら是非、ご一見ください。
私の絵の師匠も川上尉平(ジョウヘイ)といって春陽会の中堅画家(春陽会賞受賞)だったのですが、惜しくも60歳で画家としてはいよいよこれからというときに亡くなられました。この先生がやはり熊本の出身で代表作に”肥前香春岳”(文化庁買上)があります。
伯母の嫁ぎ先も小倉ですし、こうしてさくら様ともコメントの往復など、九州には、何かご縁があるようです。
久留米の高島野十郎の生家、青木繁の眠る背振山系ケシケシ山、香春岳…等々機会をみて一巡したいものと思っております。
<でも後で疲れが出るかも知れませんので、少しゆっくりされてくださいね!>とのこと、ありがとうございます。
先日の投稿、まだかなぁ~と待っていたところ今朝載っていました。また弁護士さんの反論もあるかもしれませんが。とりあえず良かったです。
今日は朝4時に起き、5時から11時半まで草刈でした。日焼け止めはすぐ剥げ落ちました。(涙)
やはり10時くらいから暑くなりますね。
夜は友達とカラオケ♪に行きストレス発散出来ました。年に1度行くか行かないかですが、なかなか楽しいものです。
伯母様は小倉にいらっしゃるのですね。
わたしも5年くらい住んでいました。
街はどんどん変っているようですね。
蛾遊庵様の絵の師匠様は有名な方!なのですね。
本格的に勉強された絵画、第二の人生で花開けば良いですね。
亡くなった祖母の兄が水木伸一という画家でした。(逢ったことはありませんが)
絵を1枚だけもらっています。
お孫さんが帰られると寂しくなりますね。
ご夫君さまには見せられましたか?
私も読ませていただきたいものです。
このコメントを見て下さっている方があれば、やはり同じような思いをおもちなのではないかと思います。
もし、よろしければ、次回にでも、ここに書き写してはいただけないでしょうか?
ところで、草刈大変ですね。我が家でも先日刈った草が、ここのところの雨と日差しでみるみる伸び放題です。その生命力に圧倒されます。
そして、こちらは夕べの強風でトウモロコシが皆寝てしまいました。
トウモロコシは意外と根付きが浅く背が高いため倒れやすいのですね。
家だけかと思ったら、近くの専業農家の畑も同様でした。悪いですが何故か安心しました。
今夕、篠竹を買ってきたので、明日は引き起こし作業です。農作業って本当に大変ですね。
でも、人が生きていくうえで大切なことを実にたくさん教えてくれます。
だから日本のお百姓さんは昔から賢く、この国を支えるバックボーンの役割を果たしてきたのだと思います。
さくら様も日焼け止めクリームの落ちるのなんか気にしては駄目ですよ。健康に日焼けしてください。尤も、日射は皮膚癌の重要因子とか、その面では十分お気をつけ下さい。
私の師匠も、絵画制作は現場主義で、今のような皮膚がんの知識もないじだいゆえか、戸外での写生がもっぱらだったためか、皮膚癌で亡くなられました。お酒好きで酔うとお銚子の口を割り箸で叩きながら歌われる”無法松の一生”は、渋くて絶品でした。その絵のように。
ところで、さくら様のカラオケでの持ち歌は何ですか?私は、三橋美智也の「古城」です。
さくら様のお身内にも絵描きさんがいらしたのですね。水木伸一様、どんな絵描きさんだったのでしょうか。お持ちの絵大事にしてあげてください。油絵なら、石鹸水で固く絞ったタオルで丁寧に拭くときれいになるはずです。
孫が帰って行って、静かになった今、後は黙々と絵を描く外は無いようです。
本社に行って小切手をきります。
うちの事務所は支払いの件数も少ないのですが、本社は集金にみえる方が多く、お茶だしでくたびれました。
投稿はまたかいつまんで内容を書き込ませていただきますね。
「古城」は聞いたことがあります。良い曲ですよね。
わたしは小柳ルミ子の「星の砂」がキーがピタリと合いました。
トウモロコシ立ち直ればいいですね!
何でも一途に手を抜かずにおやりになるのでしょう。だから人一倍疲れてしまわれるのではないでしょうか。
他人様の会社のことですから、あれこれ部外者の私が言うのもなんですが、本社の仕事は本社の人が遣ればいいように思いますが、なかなか効率主義第一でそうもいかないのでしょうか。
<わたしは小柳ルミ子の「星の砂」がキーがピタリと合いました。>とのこと、残念ながら私はこの歌知らないのです。今度機会があったらどんな歌か心がけてみます。
トウモロコシ、お蔭様で背丈は不ぞろいですがみんな元気に育っています。しかし、一昨日突風が吹いて、朝起きたら大きく伸びていたのは、みな横倒しになっていたのが、今朝みたら少しずつくの字になって、起き上がろうとしています。その生命力の旺盛さにびっくりしています。
命あるものは、皆何とかして生き抜きたいんですね。
それを見ても、我が子をうっとうしくなったからと言って、川に投げ込んだり、その友達の子どもまで絞め殺すなんてと思うとやりきれませんね。
ところで、ご相談なのですが、このところ、さくら様と私のコメント、だいぶ私的な内容が多くなってきましたので、私のブログ読んで戴いているかたが少ないとはいえ、万一、身元が特定され不愉快な思いをされてもいけませんので、次回からお手数ですが、私的な内容が入る場合は、
下記へメールいただけないでしょうか?
メールアドレス:gayuuan@yahoo.co.jp
よろしくお願いいたします。私の方も、そちらに関しては、いただいたメールあてご返事したいと存じます。
メールも一日一回は、チェックしております。
なお、本文記事内容に関してのコメント、ないしこれは多くの方に読まれてもなんら支障ないとのご判断のものについては、これまでどおり、このコメント欄で結構です。
お疲れのところ、少々煩わしいことを申してすみません。今日はゆっくりお休みになって、また、お元気な文章を楽しみしております。
上記、メールアドレス、クリックしますとメール送信画面が表示されるのですが、そこから記入して送信テストしてみたのですがうまくいきませんでした。
恐縮ですが、通常お使いのメールフォーマットで、上記アドレスあて送信してみてください。
よろしくお願いいたします。
有難いご配慮に感謝です。