蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

車谷長吉 「雲雀の巣を捜した日」を読む。

2005-12-18 23:50:45 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
 車谷 長吉、平成10年 「赤目四十八滝心中未遂」で直木賞受賞。

 その時の経歴紹介で慶応大学独文科を卒業して広告代理店に就職しながら、2年ほどでやめその後、東京を離れ関西で下足番、料理人として働くというのに強く興味を惹かれ、受賞作を読んだ。

 さすがに面白かった。その後、新聞の文化面なんかでの随筆を目にした。その度にユニークな視点が興味深かった。

 先日、書店の店頭で表題の新刊を手にした。ページを繰ると面白い。早速買って帰ってきた。

 その中に「漱石の予見」という小稿があった。

 内容は、日本の将来について、このままではあと六、七十年で亡びるということである。
 夏目漱石はこういう状態を予見していた。として、漱石の「三四郎」の中の次の一節が引用されていた。

 …「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等こくになってもだめですね。…」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかし是からは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。「亡びるね」と言った。…

 この箇所を読んで我が意を得た思いがした。

 私も、はるか昔、「三四郎」を読んだ際、この箇所が強く印象に残ったからだ。戦前のあの時代によくもまあ、「日本がこのままでは亡びるね」と小説のなかでの会話とはいえ問題にされなかったのが奇異に感じたのだ。

 しかも、この予言のとおり、太平洋戦争の結果、大日本帝国は亡んだのである。
 漱石の透徹した時代認識力に驚く。同時にこんな言葉を堂々と発表した漱石の勇気と覚悟にである。編集者も何も口を挟まなかったのだろうか。

 しかし、この漱石の予見について、触れた文章をこれまで見たことがなかった。何故、これほど多くの人に読まれている漱石のこの箇所が問題として取り上げてこられなかったのか不思議でならなかった。私の貧しい読書体験の中では車谷氏が始めてである。

 日露戦争直後は、当時の政府に世論に対してまだ余裕があり、このような言動に対して寛容であったのか。それとも、東京大学教授の経歴に対する権威で見逃されたのか。実に不思議である。

 昭和の戦争が始まっても漱石の著作が発禁処分を受けたともきいたことがない。よく見過ごされたものである。
 
 車谷氏の小稿に、忘れかけていた昔の疑問を思い起こさせられた。

 なお、この本、うちの嫁はんこと詩人の高橋順子夫人とのいきさつ、やりとりがとても温みがあって面白い。


 


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