蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

―真実はどこにある?!―宮崎学推薦 「官僚とメディア」魚住昭著を読む。

2007-04-24 01:47:46 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
4月23日(月) 曇り。暖。
  
宮崎学氏のブログで、こんな推薦記事を見た。

『2007/04/20 01:01:52 宮崎学公式ウェブサイト
宮崎学推薦 「官僚とメディア」魚住昭著
「官僚とメディア」 魚住 昭 著
角川書店 720円
メディアと官僚の癒着は、ここまで進んでいる!耐震偽装事件に見る国交省とメディアの癒着、最高裁・電通・共同通信社が仕組 』

このところ、メディアのあり方について何かと気になっていた。そこへこの本の紹介である。今日、買い物のついでに買ってきた。新書版、211ページ、一気に読み終えた。
  その感想となると、書き出せばきりがなくなりそうだ。

  先ず、感じたのは、我々が日々見聞するメディアから報じられることが、いかに盾の一面しか見せられていなかったかということであった。

  この書によれば、一大疑獄になるかと思われた耐震偽装事件も、直接の犯人は姉歯元一級建築士だけであり、あれほど悪徳商法の権化のようなヒューザーの小嶋社長も、木村建設の篠塚支店長も総研の  氏も皆被害者であったということになっている。
  諸悪の根源は、一言で言えば、アメリカの要求に従って、安易に建築確認申請業務を民間にまかせてしまった国交省の無責任さにあるという。
  国交省は、被害者からの責任追及の矛先をそらすために、メディアを巻き込んで、コスト削減で利益をあげるためにはなんでもやりかねない悪徳不動産業者、建設会社がグルという図式をつくり上げたまでのことだとのこと。
  そして、その世論操作は、結果的に見て、今、見事に成功しているのだ。

  その官僚の中でも、国民の目をひきそうなことに一番熱心なのが検察官僚だとか。村上ファンド事件,ライブドア事件はその際たるものだという。
  今までの経済事犯では、ほとんど問題にならなかったようなものが、検察官僚の思いあがりであたかも一大疑獄事件に発展するかのように、よそわれたのだという。

  何故、そんなことになったのか。

  著者は、そのきっかけは、92年の佐川急便事件で、政界のドン、金丸信・自民党副総裁に5億円ものヤミ献金が明らかになったにも係わらず、検察は事情聴取もせずに、政治資金規正法違反の略式起訴で罰金20万円で、ちょんにしたことにあるという。
  その結果、検察は国民からの猛パッシングを受けた。

  『ところが、翌年3月、特捜部が金丸氏を巨額脱税容疑で逮捕すると、状況は一変した。検察不信の声は拍手喝采に変った。事件の衝撃で38年に及ぶ自民党一党支配が終わり、ロッキード事件以来、検察に重くのしかかってきた旧田中派の重圧も消えた。やがて検察OBが政府機関のトップに次々起用されるようになった。…検察は我が世の春を迎え、国家秩序を支える司法官僚としての自負心がやがて驕りに変った。組織の安泰のためにやらなければならないことはただ一つ、時代の「象徴的な事件を作り出し、それを断罪する」作業を繰返すことである。…』

  さらに、今回この本を一読して、収穫だったのは、2009年5月までに始まる予定の裁判員制度のことである。
  私は、これまで保守的とされて一切の司法改革に積極的とは見えなかった最高裁が、何故、ここに来て国民の裁判への参加なんてことを、言い出しさっさと制度化を進めるのが、不思議でならなかった。

  これについても、この書によると、『…99年7月に司法制度改革審議会が設置された。中間報告では刑事裁判の迅速化と効率化だけが強調され、企業法務に携わる弁護士を大量に増やす意図が明確だった。早い話しが小泉政権時代に進められた規制緩和・構造改革路線の司法版である。そのためか、被告が無罪を主張すると1年でも2年でも身柄を拘束され続ける「人質司法」や、冤罪の温床とされる代用監獄をなくそうとする姿勢はまったく見られなかった。…』とあった。
 なるほど、そういうことだったのだ。

  しかも、最高裁は、この国民に戸惑いと評判の悪い制度を何とか、国民に納得させようと、なれない広報活動にやっきとなったあげく、そのノウハウに不案内なため、27億円もの巨費が電通などの広告業界に不透明に流されているともある。
  その仕切役というか、橋渡しの影には、著者の古巣、メディアニュースの卸し元である共同通信社が深くかかわっているという。

  何故、官とメディアがこのように癒着するのか。
  そこには、官からの情報に取材元の7、8割を頼らざるを得ない客観報道主義というものがあるという。官からの情報提供により、記事を書く限り誤報や名誉毀損、損害賠償なんてありえない。官から良い情報を少しでも早く得ようとするときに、官と記者との間に濃密な人間関係ができないとだめだという。そこで初めて情報の取引関係と一体感が醸成されるのだという。

  これは、戦後、今始まったことではなく、戦前の陸軍参謀部と当時の記者との間にも同様の関係があったという。軍部が弱腰になると新聞はそれを叩いたという。
 
  こうして見ると、メディアが報じるある一面だけをみて、もっともらしいコメントを書き散らしてきた我が身を省みるとき、なんともこの身が恥ずかしく、滑稽な道化に思えてくる。

  しかしそれは、この山家の隠居のみならず、一時は議事堂の英雄とさえ見えたお方さえ、その同じ道化の一人であったのかというのは、これもまたたまたま本書を読んだだけにすぎないはやとちりということであろうか。

   だがしかし、これでも長年、歳の功とかで人を眺めてきた目から見れば、耐震偽装問題で議会に証人喚問された面々、どうみてもただのお人好しの被害者とは、信じがたいのだが…。

  そしていつの世も、世の中なんてものの真実の姿が、多くの人の目に明らかにされるなんてことはありえないのではなかろうか。
  
  いつの世も、誤解と、憶測、嫉妬、やっかみの坩堝の中で物事は、うやむやに強い力の方へ方へと吹き流されていくだけでないのだろうか…。 

  しかし、そうは思いつつも、やはり事の真実を知りたいと思うのが、これまた人間の本性というものでもあろうか…。 

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。


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4 コメント

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メディアリテラシー (破壊王子)
2007-04-26 00:28:03
これに尽きます。
電通というと、ミズスマシ知事の倅もたしか電通マン。さて長野五輪では幾ら持って行ったでしょう。

この四月から山梨と長野でも「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)がネットされましたね。敢えて東京には流さないとか。
落語の目黒のさんまみたいに、新鮮な秋刀魚をお殿様に出すからといって油抜きをしてしまうようなNHKの番組より、毒気は強いが面白いですよ。
返信する
そのとおりですね。 (蛾遊庵徒然草)
2007-04-26 23:13:57
 早速にコメントありがとうございました。

 メディアリテラシー、複雑な内容をたった一言で片付けてしまう便利な言葉ですね。
 しかし、その中身となると人の数だけということでしょうか。
 まあ、早苗を植えたたんぼのようなもので、せいぜい一足一足自分の足でしっかりと足元を確かめて歩いていくほかありませんね。
 ところで、<この四月から山梨と長野でも「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)がネットされましたね>とのこと。不案内でちっとも知りませんでした。我が家は、アンテナの関係で衛星はよく入るのですが他は山梨放送しか入りません。
 王子殿は、硬軟合わせて様々な情報をお楽しみのようですが、私は、どうも固くていけませんね。
 <油抜きをしてしまうようなNHKの番組より、毒気は強いが面白いですよ。>とのこと。
 この本にも、番組内容の改編につて、NHKと朝日のやりに1章がさかれておりましたが、油を抜かれることへの抵抗感のなさ、人様のことに向かう時とは違い実にぶざまなものです。
 まあ、そんなものと承知したうえでぶつくさつぶやいてみるしかないのではないでしょうか。

 今日は、どこか温かみのするコメントでありがとうございました。

 
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Unknown (さくら)
2007-04-26 23:49:49
組織の安泰のためにやらなければならないことはただ一つ、時代の「象徴的な事件を作り出し、それを断罪する」作業を繰返すことである。…

正義の味方(たぶん)の検察でさえこうならば、あとは想像がつきますね。

またメディアは「情報」をいつ出すのか、時期を微妙に変えることによって状況は全然違ってくると思います。

巨大な組織や行政の安泰のため、叩きやすい者が生け贄になる・個人の問題にすりかえる。
昔も今もこれからも続いていくのでしょう。

メディアリテラシーという言葉、初めて知りました。
ひとつ勉強になりました。


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情報に振り回される! (蛾遊庵徒然草)
2007-04-27 22:13:44
 さくら様コメントありがとうございました。

 <またメディアは「情報」をいつ出すのか、時期を微妙に変えることによって状況は全然違ってくると思います。>とのこと。

 情報の発信者は、皆、強者です。私たちは、何か事件でも起こさない限り、発信者になることは先ずありえません。
 
 私たちは、強者の発信する情報によって良くも悪くも右往左往はたまた、お互いが衝突させられあって、強者の思う壷にはまってしまうのかもしれません。

 こうしえ見ると、事件を起こす人間は、情報発信者である強者への、はかない抵抗者とも見えてくるような気がします。

 まあ、メディアリテラシーを頭の片隅において、なるばけならば、情報発信者の思う壺にはまりたくないものです。
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