蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

石 平 著、“私はなぜ「中国」を捨てたのか”を読む

2011-01-02 12:08:44 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
1月2日(日)晴れ。

  暮れに立ち寄った書店の棚でこの本が目に止まった。新書版の帯に『中国に幻滅した中国人エリートの魂の叫び! 尖閣問題だけではない、ノーベル平和賞受賞者の不当監禁―この一党独裁国家には法治も人権もない! 
この「美しい日本」に見惚れ、帰化した。評論家石平の誕生! ◎北京の殺人政府に決別を告げたあの日 ◎目に余る反日宣伝の恐ろしい実態 ◎「愛国攘夷」という集団的熱病の正体 ◎日本で再び出会った「論語の世界」 ◎日本語を覚えて礼節を知る』とある。

石平氏、少し前、尖閣諸島での中国船体当たり事件を取り上げたBSフジのプライムテンでコメンテーターとして出演した際の印象が記憶に残っていた。
買って帰って一晩で読んだ。読み終わって、あの尖閣で一中国漁船(?)が白昼堂々、何故、日本の巡視艇に体当たりする無法で挑戦的な蛮行を行ったかが、その背景が凡そわかったような気がした。

結局、今の中国は、私たちが歴史の教科書で習ったような唐、宋といった当時の日本からみれば先進文化国家のイメージからは似ても似つかない別物だということらしい。
共産党一党独裁体制が、毛沢東の文革の嵐を巻き起こし、天安門事件での殺戮を必然とした。そしてこの体制を、維持するために何にが何でも日本という仮想敵の存在が必要となり、国家挙げての反日キャンペーン(国民教育)が展開されているのだ、と著者は説く。

そんな自国に愛想をつかし機会を得て日本に留学した著者は、そこで我が日本と言う国の自然と風土、文化、人間に感嘆する。そしてその背景に江戸時代から連綿と続く儒学と論語研究の世界に孔子の描いた理想世界の実現と承継を見る。
西郷隆盛の生き方こそはその象徴だと著者は賛美する。

そして、日本でよく使われる「やさしい」と言う言葉は、他のどの国の言葉にも無い素晴らしい言葉だという。中国語で「やさしい」を説明しようとすると、「もっとも良い人間」を説明する最上級の褒め言葉を十個以上あつめなくてはならないという。
ところがこの日本では、その「やさしい人」がごく普通の平均的な日本人であることに著者は驚きとともに賞賛するのだ。

今、我が日本の国家として、また民族としての精神の劣化がしきりに言われる。しかし、祖国中国に愛想をつかした石平氏の目から見れば、こんな日本でもまだまだ素晴らしい国民性の国にみえるらしい。
真に嬉しいようなこそばゆいような感じもさせられる。
ただ、我々日本人が忘れてはならないのは、その「やさしい日本人」が、半世紀少し前には、お隣中国や朝鮮に押しかけて行って、傍若無人の振る舞いをした歴史的事実だ。
石平氏の賞賛する「やさしい日本人」が、一度、軍人となり兵士となって国家の道具となった時には、そんなやさしさは吹き飛んでしまうのだ。

隣国中国で反日に狂奔する一部の人々もまた、国家体制に呑みこまれて、個人としての良識を失ってしまっているということではないだろうか。
一人の人間としてのまっとうな理性を保つことが、国家という集団エゴを確保していくための政治体制の下では、如何に難しいかということではなかろうか。
「国家」という概念から、人間が自由にならない限り、世界中の人類が真に民主主義的な政治体制の下で人権や自由を謳歌できることはないのではないか。

石平氏の本書を一読して、こんなことを思った。

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