3月30日(木)曇り、小雪、また薄日射す。朝、気温2度。
昨日、26日(日)BS2で放送された、「あなたもブログ通になれる」でとりあげたお勧めブログ30選のリストが知りたく、NHKのホームページを捜したが見当たらない。そこで同局に電話した。
応答にでた視聴者係りとかの担当者は、口頭でお伝えすることはできるが、リストをFAXで送るとかはできないとのこと。
それなら仕方が無い。応答者の女性がいかにもすまなそうに答えてくれたので気が済んだ。
しかし、そこで私の口からは、日頃、NHKに感じているもやもやが、ついて出た。
一番、腹が立つというか気になることは、アナウンサー、ゲスト、ドラマの脚本家、歌謡番組の出演者、等々特定の人間に偏りすぎているように感じるのである。
あれ、こんなところ(番組)に出ているのか、またか、と感じることが多すぎるのである。
何か、それらの人間を選定している企画者というのか、人事担当者に特定の人脈,派閥があるのではと勘ぐってしまう。
さらに極論を言えば、一部の人間により、公共放送機関が、今や私物化されているのではないかとさえ感じるのは私だけだろうか?。
その弊害の悪例が先日、懲役5年半とかの判決言い渡しがあった6千万円だかを使い込んだプロデューサだったのではないか?。
彼なんかも外部の私なんかが知るよしもないが、上のほうのお覚えめでたく、何でもかでもご指名受けていたばかりに、その鼻がピノキオになって局の財布は俺のものと錯覚しての結果ではないのか?。
それから、もう数年も前のことかもしてないが、酔っ払ってか何かで、タクシー運転手を殴り飛ばしたと報じられ、暫く姿が画面から消えたと思っていた、四国何とか藩主の末裔とかの、世が世ならば殿様大キャスターと申しあげるのでしょうか、松平定友氏である。
事件が報じられる前は好い感じで目にしていた。
しかし、この事件報道を聞いてからはダメである。もっともらしい紳士然とした陰の顔で、弱いもの虐めをするような輩から、偉そうなもっともらしい解説(どうせ別の人間が書いたものだろうが)なんか、二度と聞きたくも見たくもないと思うのだ。
ところが、私の好きな番組「その時歴史が動いた」にも、この殿が毎度偉そうに腕組みして一席のたまう。
「シルクロード」でもしゃしゃり出てくる。どうかすると日に二回もいやいやお眼にかかることがある。
これは、一体どうした分けなんだ?。
NHKにはそんなに人材が枯渇しているのだろうか?。第一、彼もそろそろいい歳のはず。一体、NHKの定年はいくつなのか?。
それでいて、歴史ものなんかにはうってつけと思える内藤啓二アナなんかは、いつの間にか甲府放送局とかに追いやられ、最近はやっとラジオ第一、NHK教育朝7:45~に出ているとか。(これは、私の内藤アナは今どこにと?と言う質問で教えてもらったのである)
断るまでも無いが、私は内藤アナの親戚でも友人・知人でもない。
私が、この内藤アナを偶然知ったきっかけは、今から11年前になるのだろうか、阪神・淡路大震災の報道ニュースでその死傷者の人数を放送しているとき、突然嗚咽しながら報じたのを視てからだ。NHKにも随分人間的なアナウンサーがいるものだなと、信頼と親愛感を持ったのだ。
その後、彼が、何かの連続番組、「その時歴史…」に衣替えする直前の番組だったか?、で紋付袴扇子をもっての講談口調がさまになっていてなかなかの名調子だったのだ。
そんな訳で、彼の一層の活躍を期待していたにも係らずいつの間にか見えなくなってしまったのである。
―閑話休題―
ここまで書いていたら、知人がこの作業場へ集金にやってきた。めったに来客の無い山家の隠居、これ嬉しやと薪ストーブの前の椅子にコーヒー勧めながら、今こんなこと書いてるんだと、モニタリングしてみたところ、得たりや応の反応。意を強くした次第。
最も彼は、早々と、NHK視聴取り消し届けを出して、目下視聴料不払い中とか。
勿論、私は、本来NHK大好き人間で口座からの年払い、不払いなんてことは思いもよらないNHK愛局者であることを断っておきたい。
知人が来るまでは、書いていて、あれもこれもと燃え盛っていた不満の焔が、二時間余りもしゃべって中断したら、少々下火になってしまったので、この続きはまた改めて書きたい。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。
昨日、26日(日)BS2で放送された、「あなたもブログ通になれる」でとりあげたお勧めブログ30選のリストが知りたく、NHKのホームページを捜したが見当たらない。そこで同局に電話した。
応答にでた視聴者係りとかの担当者は、口頭でお伝えすることはできるが、リストをFAXで送るとかはできないとのこと。
それなら仕方が無い。応答者の女性がいかにもすまなそうに答えてくれたので気が済んだ。
しかし、そこで私の口からは、日頃、NHKに感じているもやもやが、ついて出た。
一番、腹が立つというか気になることは、アナウンサー、ゲスト、ドラマの脚本家、歌謡番組の出演者、等々特定の人間に偏りすぎているように感じるのである。
あれ、こんなところ(番組)に出ているのか、またか、と感じることが多すぎるのである。
何か、それらの人間を選定している企画者というのか、人事担当者に特定の人脈,派閥があるのではと勘ぐってしまう。
さらに極論を言えば、一部の人間により、公共放送機関が、今や私物化されているのではないかとさえ感じるのは私だけだろうか?。
その弊害の悪例が先日、懲役5年半とかの判決言い渡しがあった6千万円だかを使い込んだプロデューサだったのではないか?。
彼なんかも外部の私なんかが知るよしもないが、上のほうのお覚えめでたく、何でもかでもご指名受けていたばかりに、その鼻がピノキオになって局の財布は俺のものと錯覚しての結果ではないのか?。
それから、もう数年も前のことかもしてないが、酔っ払ってか何かで、タクシー運転手を殴り飛ばしたと報じられ、暫く姿が画面から消えたと思っていた、四国何とか藩主の末裔とかの、世が世ならば殿様大キャスターと申しあげるのでしょうか、松平定友氏である。
事件が報じられる前は好い感じで目にしていた。
しかし、この事件報道を聞いてからはダメである。もっともらしい紳士然とした陰の顔で、弱いもの虐めをするような輩から、偉そうなもっともらしい解説(どうせ別の人間が書いたものだろうが)なんか、二度と聞きたくも見たくもないと思うのだ。
ところが、私の好きな番組「その時歴史が動いた」にも、この殿が毎度偉そうに腕組みして一席のたまう。
「シルクロード」でもしゃしゃり出てくる。どうかすると日に二回もいやいやお眼にかかることがある。
これは、一体どうした分けなんだ?。
NHKにはそんなに人材が枯渇しているのだろうか?。第一、彼もそろそろいい歳のはず。一体、NHKの定年はいくつなのか?。
それでいて、歴史ものなんかにはうってつけと思える内藤啓二アナなんかは、いつの間にか甲府放送局とかに追いやられ、最近はやっとラジオ第一、NHK教育朝7:45~に出ているとか。(これは、私の内藤アナは今どこにと?と言う質問で教えてもらったのである)
断るまでも無いが、私は内藤アナの親戚でも友人・知人でもない。
私が、この内藤アナを偶然知ったきっかけは、今から11年前になるのだろうか、阪神・淡路大震災の報道ニュースでその死傷者の人数を放送しているとき、突然嗚咽しながら報じたのを視てからだ。NHKにも随分人間的なアナウンサーがいるものだなと、信頼と親愛感を持ったのだ。
その後、彼が、何かの連続番組、「その時歴史…」に衣替えする直前の番組だったか?、で紋付袴扇子をもっての講談口調がさまになっていてなかなかの名調子だったのだ。
そんな訳で、彼の一層の活躍を期待していたにも係らずいつの間にか見えなくなってしまったのである。
―閑話休題―
ここまで書いていたら、知人がこの作業場へ集金にやってきた。めったに来客の無い山家の隠居、これ嬉しやと薪ストーブの前の椅子にコーヒー勧めながら、今こんなこと書いてるんだと、モニタリングしてみたところ、得たりや応の反応。意を強くした次第。
最も彼は、早々と、NHK視聴取り消し届けを出して、目下視聴料不払い中とか。
勿論、私は、本来NHK大好き人間で口座からの年払い、不払いなんてことは思いもよらないNHK愛局者であることを断っておきたい。
知人が来るまでは、書いていて、あれもこれもと燃え盛っていた不満の焔が、二時間余りもしゃべって中断したら、少々下火になってしまったので、この続きはまた改めて書きたい。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。