蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「きっこの日記」と「イザヤベンダサン」ーその正体探し?-

2006-03-11 01:09:44 | 時事所感
 3月10日(金)曇り時々小雨、薄ら寒い一日。

 このところ毎晩寝る前の楽しみにしているきっこの日記のアップが乱れている。年度末か何かでよほどお忙しいらしい。お疲れのようである。

 さて今日も待望の3月9日(木)分が一日遅れの感じでアップされていた。早速読んだ。
 今日のお題は「猫の鳴き声」。実に楽しい。たいしたものだ。さすが2億円の価値はある。慕いよってくる近所の野良猫の描写からいつの間にか源氏物語の世界へ「さりげに」(きっこさん風の言い回し?)誘い込んだかと思うと、そこにまた今話題熱々のホリエモンとタケベ大幹事長をこれも「さりげに」からませるあたり、その芸の細かく巧みなることまさに猫が舌噛むほど感服した。

 これほどの才能、匿名の中に仕舞っておくのは国民的損失(少し大げさでしょうか)ではないかと思う。最近の直木賞受賞作品なんかの比ではない。もうそろそろ正体見せていただければと切に願う。
 これだけのものを表で書けば、電気代にもガス代にも家賃にも困ることはあるまいにと、いらぬ心配してしまう。

 “きっこさん”が何者か?、毎日、方々でウォンティッドだ。振込み口座が男名義だから男性だと言う人も居る。
 しかし、私は、“きっこさん”が「女性」であることを確信する。文章の端々に滲み出ている様々な事物への感覚や日常の立ち居振る舞いは、とても男のものではないと感じるからである。

 ここで思い出したのが、もう30年ぐらいも昔になるであろうか、「イザヤベンダサン」の一連の著作である。
 一ユダヤ人の目からみた日本文明批評の書である。そこでは「空気」という言葉がキーワードとして一世を風靡し、その鋭く今までの日本人論になかった視点の新鮮さと洞察の深さで、「イザヤベンダサン」とは誰だ、何者か?と喧しかった。結局、イザヤベンダサンの正体は出版元の山本七平氏であったように記憶している。

 きっこさんの筆力からみて、すでに表で活躍されている女流作家か雑誌記者なのかもしれないと想像してみる。例えば林真理子さんとか。もっとも林氏は小泉大宰相とはお食事をともにされるほどの間柄とか、とても匿名でも小泉下ろしなんぞを画策されまい。
 又、表で原稿料の取れる方がわざわざ一文にもなりそうもない文章を毎日原稿用紙にして10枚前後も書き飛ばすような無駄なエネルーギー代謝をするべくも無いはず。

 ところで先日、「きっこの日記」3月5日(日)「春の宵にはぶらんこを」を読んでいて面白い発見をした。

 当日の日記に蘇東坡の漢詩「春宵」とともに、中国の古くからの春の行事である「寒食節」という言葉が出てきた。初めて聴く言葉で気になり、グーグルで検索した。
 すると、何と!、同日付けで現代俳句協会所属の俳人、松田ひろむ氏が、全く同じテーマで、引用の蘇東坡の漢詩も同じで、書いてあったのを見て驚いた。

 一瞬きっこ氏=松田氏とさえ思ったほどである。しかし、昭和13年生まれの松田氏がきっこさんとはとても思えない。だとすれば、同じ俳句に造詣の深い“きっこさん”が松田氏の記事を拝借してかヒントを得て書いたとしか考えられない。

 それにしても、我も我もと電波舞台に、表に出たがり、跳ね上がりたがる今、匿名の黒子被って、チクリ、ザクリと時の宰相の首狙い、誰だ誰だと世間の話題をさらうとは、粋で格好いいですねえ!。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 ―追記―
 ただし、“きっこさん”の名誉のために付言すれば蘇東坡についても寒食節についても言及ははるかに詳細であった。
 今、これを書くに当たり再度、松田ひろむ氏の上掲文書に当たろうとしてグーグルで先日と同様に検索してみたがどうした訳か影も形も現れない。何故だろう?。