合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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⑲ 受けは楽しい

2007-05-09 16:10:22 | インポート

 合気道では、受けのうまい人は総じて評価が高いですね。なぜでしょうか。みんながそう言っているから『そんなものかなぁ』で済ませていると達人になれませんよ。

 受けをとってくれる人は稽古をする上でとても大切なパートナーです。極論すれば、受けがいないと稽古ができません。だから、みんな自分の稽古に協力してくれるとてもいい人だと思っています。でも、武道の稽古は自分が取りの時だけ意味があるというものではありません。それだと受けは単なるお人好しであって、場合によっては木偶でもよいことになってしまいます。

 実際は、受けの稽古は取りの稽古と比べて武術的に同等の価値があります。それはどういうことかというと、受けは取りに協力している風を装って、実は取りの技を未完に終わらせる稽古をしているのです。具体的には次の通りです。

 柔道の受身と合気道の前回り受身はよく似ていますが、目的が違います。柔道では投げられたら《一本》で負けてしまうので、なんとかぎりぎりまで投げられないように頑張るわけです。それでも力及ばず投げられてしまったら、やむを得ず受身をとって衝撃をやわらげる、これが柔道の受身の目的。一方、例えば合気道の《回転投げ》における受けの前回り受け身は、なにも、投げられたから転がっていくのではありません。終末段階での取りによる顔面への膝蹴りを警戒して、さっさと逃げてしまう技法です(膝蹴りを表現する意味で、技の最後に取りは受けに近いほうの足を踏み出すのです)。

 また、黒岩先生のご指導によれば、合気道の投げ技は、本当は全て脳天逆落としなのだということです。四方投げにしろ、入り身投げ、腰投げにしろ、天地が逆になるくらいに浮かせて、頭から地面にたたきつける技なのです(稽古でそんなことをやっていたら世の中に合気道家はいなくなってしまいますが)。それを受けが取りの思惑を先取りし、うまく対応して受身をとって逃げているのです。つまり取りの目論見を実現させない工夫をしているわけです。

 その他にも、投げ技であれ抑え技であれ、取りの目的を達成させない技法はたくさんありあます。返し技といわれるものは明らかに対抗技法とわかるので理解しやすいのですが、普通の稽古にそういう(未完に終わらせる)意図が含まれているというのは、なかなか気づかないものです。そういうわけで、そのような術を遣う受けは単なるいい人ではないということをわかっていただけるでしょうか。

 合気道の稽古は約束事ではあるけれど、約束に安住しないで目や気を配ることが大切です。構図の上では、基本的に受けは自分に攻めかかってくる敵なのです。取りも受けもお互い武道家(もしくは武道愛好家)ですから、それくらいの緊張感を持って稽古しないと、技の本来の意味がわからなくなってしまいます。

 ここまで受けの本質について述べてきていますが、ついでに受け身の方法について、間違った常識を指摘しておきたいと思います。小手返しなどに対応する、いわゆる飛び受け身です。このとき掌を床にたたきつけ、パーンと派手な音が出る、いわゆる《羽打ち》というのをやります。一般に体重を分散させ衝撃をやわらげる技法だと言われますが、これは畳の上でしか通用しません。いや畳でもだめです。ちょっと考えればわかることですが、せいぜい200c㎡程度の掌でどれだけの体重をまかなえるというのでしょうか。

 これは、昆虫の触覚みたいに、センサーとして体が床に着く寸前に掌を着き、直後の衝撃を察知するものです。それによって瞬間的に全身を硬直させ、衝撃に耐えるのです。ですから体と掌の同時着地では遅いのです。わたしの通った大学の柔道場の床下には何個も甕(カメ)が埋けてあって、羽打ちの音がよく響くようになっていました。逆に言えばその程度のものなんです。古流武術や少林寺拳法などでは足裏から着地することが多いことからも、羽打ちが必須技法ではないことがわかります。

 いずれにしろ、考え様によっては受けは取り以上にクレバーかつエキサイティングです。達人目指して、うまい受けをとれるようになりましょうね。