前回文中でちょっと触れた、わたしが目指す世界標準技法とはどういうものか、これは以前にも述べたことがありますが、まずはその目指すところから説明いたします。
世界標準などと、言うことがちょっと大袈裟な気がしないでもないのですが、それには意味があります。合気道においては技法を展開するにあたっての許容範囲が大きいこともあって、同じ技なのに見た目が随分違うことがあります。そういう現状にあって、いくら許容範囲が大きいといっても、せめて中核的な技法においては共通の展開法があるべきで、それを皆で確立してはどうかというのが今回の問題提起です。そのために、権威ある人もそうでない人も、志のある人どうしでそれぞれの技法を提示して競ってみてはどうかという提案です。もちろんわたしもその中の一人として自信をもって提案させていただきます。
その場合、対象となるのは基本の技とそれに準ずる技に限定されます。それ以外の個性とバリエーションに富んだ技は、これはそもそも比べることはほぼ不可能なので対象外です。
さらに、提示される各技法はできるだけ細かいところが明示されねばなりません。なにしろ、これまでそういうことがなかったために徒に許容範囲が広がったといえるからです。従来、合気道のような体技は理屈ではなく感覚で身に着けるものだという考えが支配的ですが、世界標準として万人に受け容れられるためには、誰がやっても同じようにできるシステムが必要です。そのためにはできるだけ言葉で説明できる提示法が求められます。
ですから、『見て覚えろ』とか『やっているうちにわかる』というような提示法や指導法はこの時点で失格です。できるだけ多くの人に合気道を理解してほしいという願いに反します。自分のやっていることをきちんと他人に説明できない指導者は、はっきり言います、落第です。
大先生が合気道を開創されてからおおよそ90年、その道統をしっかり守っておられる歴代道主に敬意を表しつつ、各道主があえて触れておられない技法の精細部分を明らかにすることを、わたしは求めているわけです。
ひとつ言っておくべきことがあります。わたしの提案は技法的なものに限定しています。合気道の素晴らしさは精神性にもあるわけで、本来であればその面にも触れなければならないのですが、わたしに限って言えば馬に喰わせるほどの歳をとっても、とてもひと様に能書きを垂れるほどの精神性を持ち合わせていません。このことはごく一部の方を除いて、多くの一般人にとってだいたい同じようなものではないのでしょうか。とても、これが世界標準ですと伝授できるほどの自信はありません。そのようなことは聖人と目されるひと(私たちの世界で言えば大先生)に任せれば良いのだと思います。
また、武士道などに代表される道徳律が先にあって武術ができたわけではありません。ものの順番として、技法としての武術ができ、その後にそれに伴う道徳観が生まれたと考えるのが自然でしょう。そのようなこともあって、まずは技術面を優先させたいと考えているわけです。
そういう前提で、次回から各技法について提案してまいります。
【謹んで申し上げます】
毎年秋季(11月頃)に開催しております特別講習会は、当方の事情により今回は中止させていただきます
次回までにさらに内容を吟味してまいりますのでご容赦ください。
世界標準などと、言うことがちょっと大袈裟な気がしないでもないのですが、それには意味があります。合気道においては技法を展開するにあたっての許容範囲が大きいこともあって、同じ技なのに見た目が随分違うことがあります。そういう現状にあって、いくら許容範囲が大きいといっても、せめて中核的な技法においては共通の展開法があるべきで、それを皆で確立してはどうかというのが今回の問題提起です。そのために、権威ある人もそうでない人も、志のある人どうしでそれぞれの技法を提示して競ってみてはどうかという提案です。もちろんわたしもその中の一人として自信をもって提案させていただきます。
その場合、対象となるのは基本の技とそれに準ずる技に限定されます。それ以外の個性とバリエーションに富んだ技は、これはそもそも比べることはほぼ不可能なので対象外です。
さらに、提示される各技法はできるだけ細かいところが明示されねばなりません。なにしろ、これまでそういうことがなかったために徒に許容範囲が広がったといえるからです。従来、合気道のような体技は理屈ではなく感覚で身に着けるものだという考えが支配的ですが、世界標準として万人に受け容れられるためには、誰がやっても同じようにできるシステムが必要です。そのためにはできるだけ言葉で説明できる提示法が求められます。
ですから、『見て覚えろ』とか『やっているうちにわかる』というような提示法や指導法はこの時点で失格です。できるだけ多くの人に合気道を理解してほしいという願いに反します。自分のやっていることをきちんと他人に説明できない指導者は、はっきり言います、落第です。
大先生が合気道を開創されてからおおよそ90年、その道統をしっかり守っておられる歴代道主に敬意を表しつつ、各道主があえて触れておられない技法の精細部分を明らかにすることを、わたしは求めているわけです。
ひとつ言っておくべきことがあります。わたしの提案は技法的なものに限定しています。合気道の素晴らしさは精神性にもあるわけで、本来であればその面にも触れなければならないのですが、わたしに限って言えば馬に喰わせるほどの歳をとっても、とてもひと様に能書きを垂れるほどの精神性を持ち合わせていません。このことはごく一部の方を除いて、多くの一般人にとってだいたい同じようなものではないのでしょうか。とても、これが世界標準ですと伝授できるほどの自信はありません。そのようなことは聖人と目されるひと(私たちの世界で言えば大先生)に任せれば良いのだと思います。
また、武士道などに代表される道徳律が先にあって武術ができたわけではありません。ものの順番として、技法としての武術ができ、その後にそれに伴う道徳観が生まれたと考えるのが自然でしょう。そのようなこともあって、まずは技術面を優先させたいと考えているわけです。
そういう前提で、次回から各技法について提案してまいります。
【謹んで申し上げます】
毎年秋季(11月頃)に開催しております特別講習会は、当方の事情により今回は中止させていただきます
次回までにさらに内容を吟味してまいりますのでご容赦ください。