このブログにコメントをくださる方や合気道関連の行事でお会いする道友から『黒岩先生の弟子』との肩書きを賜ることがあります。たしかに合気道修行の最も大事な時期に先生のご指導をいただき、わたし自身《おしかけ弟子》を自認していますので、そのように受けとめていただいて結構なのですが、よく考えてみると先生のほうから正式に弟子に任じられたということはないのです。
それではただ単に指導する側とされる側(先生と教え子)の関係かというと、それもちょっとニュアンスが違うなという感じで、なんとなく座りが悪いのです。そんなわけで、弟子とは何かと考えてみました。
弟子と教え子の違いは何でしょうか。一般的に、職人の世界では、師匠は弟子に技を教えながら、必要最小限の衣食住を提供し、弟子は師匠の仕事の下回りをしたり、身の回りの世話をします。普通の先生と教え子の関係では、そこまでのやりとりはないでしょう。また、金銭面で見ると、弟子は小遣い程度の給金をもらえますが、教え子は授業料を払います。
大先生がかつて北海道白滝の地で指導を仰いだ大東流の武田惣角師は英銘録というものに講習を受けた者の名を残していますが、その人たちは当時それなりに社会的地位の高い人か経済的に余裕のある人で、彼らは少なからぬ受講料を支払っていました。別の言い方をすれば、金持ちでないと教えを受けられなかったのです。大先生にいたっては受講料どころか家屋敷まで提供しておられます。(バックナンバー⑥高級万年筆:2007/03/01参照)
一方、大先生は教え子から直接金銭を受け取ることはなく、教えていただいた人は、しかたがないので神棚にお納めしたということです。もちろん、大先生とて武道教授で身を立てておられたわけですから、お金が必要な時は神様から頂くのだということにしておられたそうです。
こうしてみると、わたしは黒岩先生の身の回りの世話をしたことはありませんし、さりとて授業料を払ったこともないので、厳密には弟子でもなければ教え子でもないということになりそうです。でも、ここまでの考察で、少しわかったことがあります。それは、師匠と弟子は両者がプロフェッショナルの世界の関係であり、先生と教え子は、片方がプロ、一方がアマチュアということなのではないかということです。
ただこの場合、プロとアマの定義が問題となります。なんらかの技術、能力をもって、それで飯が食えることがプロだとすると、わたしはどうもプロではありません。でも、いささかの報酬をいただいていますのでアマとも違う、これまた中途半端な身分です。
しかし、このような立場は黒岩先生も似たり寄ったりで、合気道家としての人生の大部分において、指導報酬のみで家計を支えてこられたわけではありません。当時は本部師範といえども、それぞれなんらかの方法で口に糊する努力をしておられたようです。
ですから、一芸をもって飯が食えるか喰えないかは、合気道に限っていえばプロの基準とはなりえないことがわかります。では何をもってプロというのか、それは、この道に生涯を懸ける覚悟があるかどうかではないかとわたしは思います。と言うと少々大仰ですが、つまり、合気道が精神のありようとしての生活の糧であることが最も大切な条件だということです。
それを仮に私自身にあてはめてみると、、プロである先生と、生涯を懸けて(ライフワークとして)合気道を究めたいと願うわたしとの関係を師匠と弟子と称しても、まんざら間違いではないのではないかと、勝手に思っているわけです。
そして、実のところこれがもっとも重要な師弟関係の証明ではないかと思うのが、理念の継承です。合気道の場合、先生の形に似せることは器用な人ならそう難しいことではありません。しかし、それは外見が似ているだけであって、どんなに優秀な弟子であっても、完全な複製、復元はできないのです。体格や身体能力、その他諸々の要素が異なるのですから当たり前のことです。大先生の直弟子の師範方が、良く言えばそれぞれ独自の個性を発揮しておられる、別の言い方をすれば見た目がみんなばらばらなことからもそれは明白です。
彼らに共通なのはこまごました技法ではなく、大先生を心から尊敬し、その理念を次代につないで行きたいという思いではないでしょうか。そのことをもって、弟子と称するに十分なのであり、それは現にいまどこかの道場で指導を受けているすべての人にも当てはまります。技法を学ぶことが、実はそれぞれの指導者の理念を学ぶことなのです。それに気づいた時、教え子は弟子となります。