合気道ひとりごと

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320≫ 背すじを立てて   

2017-06-16 17:59:12 | 日記
 先ごろ開催された全日本合気道演武大会のプログラムに幾人か存じ上げの方のお名前を発見し、頑張っておられるお姿を想像しながら嬉しく思いました。ご苦労さまでした。

 おそらく4、5千人にせまる大変な数の参加者が大会を彩っておられるわけですが、それでも合気道愛好者のほんの一部にすぎません。世界中ではその何倍(何百倍)にもおよぶ人たちが修練を重ねているわけで、そこには人数と同じ数の目的が存在しているはずです。大先生の言に従えば最終目標は地上天国の建設なわけですから、個人それぞれの目的がさらに進んで皆に共通した目標へと向かう意欲が必要です。

 最近は、目的に向かおうとする意欲を引き出す内的誘因をモチベーションと言ったり外的誘因をインセンティブと言ったりして、日本語もまともでないのに外来語に頼っている現状です。インセンティブなんてのは、言ってみれば馬の鼻先に吊るしたニンジンみたいなものですが、今日のテーマはそれではないのでまあ捨てておきましょう。

 さて、目標到達への第一歩はなんといっても技術が上手になることです。そのための日々の稽古であるわけです。しかし、その目的に向かって、稽古を積めば上手くなるはずなのにそうはなっていないという場合、その大きな原因はどこにあるのでしょう。たぶんそれは技術習得における優先順位(これも最近はプライオリティなどと気取って言うようです)を誤っているからです。

 合気道における技法習得の要素は①適切な間合いのとり方 ②有効な崩しの方法 ③個別技法の獲得、ということになります。しかし、実際の指導においては、多くがその逆の順番になっているのでははいでしょうか。逆ならまだいいほうで、間合いなんてのは意識の上にも上っていない指導者も中にはいるかもしれません。それでは稽古者はある一定のところ以上には到達しません。断言しておきます。

 ところで、合気道の理合いは剣の理合いに通ずるといわれますが、上の①②③に共通する理合いもやはり剣に通じます。それは姿勢と視線です。上体は起こし、目は相手の全体を見るようにします。武道でも、必ずしも上体を起こさない相撲や柔道(自護体)などがありますが、理合いの違いです。

 姿勢と視線の置き方が良くないと結果として下ばかり見ていることになります。つまり、上体が前掲し、目は相手の手に行っている(片手取りなど)ということです。背骨を立てて相手の全景(せめて上半身)を見るようにしましょう。

 手取りなどで、上体を立てるということは前掲した場合に比べていくらか手が離れるということになります。そうするとそれは適切な間合いではなくなるかもしれません。ですからそこで半歩なり四分の一歩なり足を進めて近間の間合いを確保しなければなりませんが、それが合気道の適切な間合いであり普段の稽古はそのためのものです。

 ついでに言うと、剣術用語で正中線というのがあります。簡単にいうと体の中心を通る線ですが、合気道ではこれは天地を貫く軸だと認識します。しかし、そういう軸が物理的にあるわけではなく、あくまでも体感の産物です。臍下丹田も同じです。これらは感じられる人には感じられるというものですが、ある種の催眠効果みたいなものですから、無理に体感しようと思わなくても差支えありません。背骨はほぼ体の中心にあり、臍下丹田は体の重心にあたりますから、普段から全身の力みを無くし、自然に背骨を立てておけばそれで十分です。その姿勢と視線で稽古に臨みましょう。

 なお、技法習得の優先順位と言うのは、①を習得したら②を、その次は③を、ということではありません。①②を身につけるために③をするのです。そこを間違えないように。