合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

222≫ 年末に思う  

2013-12-28 20:26:20 | インポート

 わたしの主宰する会では今年も何人かの新たな会員を迎えることができました。今年の特徴は比較的年齢の高い人が多かったことです。長年勤めた会社をめでたく定年で退き、余裕のできた時間で合気道という武道を嗜んでみようという方たちです。同年代の主婦の方もいらっしゃいます。

 五十の手習いといいますが、それより十歳以上も上で、本来であれば家の中で孫(いらっしゃるかどうか聞いていませんが)を相手にのんびりぬくぬく過ごしても誰にも文句は言わせない身の上です。にもかかわらず未知のものに取り組んでみようという彼らの若々しいチャレンジ精神には大いに敬意を表したいと思います。

 彼らが合気道を選択した一番の理由は、ある程度の年齢でも(やりようによっては)無理なく適度な運動ができ健康に良いということのようです。指導者としては最低限その望みには応えなければいけないでしょう。

 さてしかし、健康維持のためだけなら、より高齢者にふさわしく楽しい娯楽やスポーツがいくらでもあります。そんな中、彼らはなぜ合気道を選択したのか、そこまで理解しないと本当に期待に応えたことにはならないでしょう。そしてそれこそが現代に武道を学ぶ意義に通じるものだと思います。

 わたしが、指導者の立場で合気道とはこれこれのものだと能書きを垂れるのは簡単なことですが、それでは彼らの真の選択の理由を説明することにはなりません。やはり彼ら自身の言葉で説明してもらう必要がありますが、そこまでの話は伺っていません。いまはまだ手足をどう動かすかというレベルのことで精一杯のようです。そこで、ちょっとだけ勝手な推理をしてみようと思います。

 彼らが生まれたのは昭和20年代。記憶に残る原風景といえるのは昭和30年前後の貧しくも明日に希望の持てる日本であるに違いありません。その後の高度経済成長も、さらにその後の低迷期も知っていますが、なんといっても敗戦の痛手からみんなで立ち上がろうとしていたあの時代の空気こそが人格形成に大きく寄与したと言ってよいでしょう。

 その立ち上がるためのエネルギーはどこから来ていたと思いますか。はっきり言って、それは自分たちが日本文化を背負った日本人であるというその一点に尽きると思います。当時、大人たちは戦争の当事者であることも、それに負けたことも、そのあと自分の足で立ち上がらなければならないことも、潔くその全てを引き受け、さらにそういう環境にもかかわらず子どもたちを全力で守ろうとしていたのです。おかげで、敗戦間もない時期にありながら、子どもであったわたしたちは貧しいけれども、悲惨で鬱屈した思いはほとんどせずに育ちました。

 そのことを知っている人たちがいま産業社会の第一線を退き、あらたな世界に一歩踏み入ったのです。そのあらたな世界というものの一つが、日本文化としての武道であるのは、ある意味必然です。もちろん、かつて自分を育んでくれた日本文化ではあるけれども、子どもだからその中身を理解していたわけではない、それでも、なんとなく惹かれるものがある、そういうことでよいのだと思います。そののち、この世に合気道があって良かった、そう思ってくれる人が一人でも増えればこんなにうれしいことはありません。

 それがいずれは日本文化の一端を担っている自覚につながることを期待し、そのことに大いに誇りを持って、大先生のおっしゃる、合気道の究極の目的たる地上天国の出現に寄与していきたいものです。

 もうひとつ。このくらいの年齢になると、なんとなくまだやり残しているものがあるような気がしてくるものです。そして体力も精神力も、弱ったといいながらも少しは残量がある今こそそのやり残し感を払拭すべき時だ、そう思うのかもしれません。そのお手伝いも指導者の仕事です。それもなかなか楽しいですよ。それにしても合気道の間口の広さがありがたい、そうあらためて思います。

 この一年も拙いブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。どうぞ良いお年を。


221≫ 身分or職業

2013-12-13 18:04:50 | インポート

 先日、わたしが関係する合気道団体宛ての文書を作成するにあたり、その書式に身分、立場を記す欄がありました。その中に《職業》という項目があり、ちょっと考え込みました。そこからたどって、合気道にはプロというのがあるのだろうか、というのが今回のテーマの発端です。

 合気道の専門家といえる人は相当数いらっしゃいます。ただ、それを職業としている人はそう多くないでしょう。実は上述の文書の職業欄に、わたしが関わる会の主宰という名目を記入してしまって、ちょっとまずかったなと思っています。職業というのはそれで生計が成り立つことが前提でしょうから、われわれの世界では本部の指導者や規模の大きい道場主および一部の指導者などに限られます。わたしなどはとてものこと該当しません。

 さて、プロです。そもそも合気道には試合がありませんから、職業スポーツや、あるいは囲碁・将棋のように試合に出て賞金を稼ぐというプロはいません。もっとも、それは合気道に限ったことではなく、試合のある他武道でもだいたい似たようなものでしょう。

 ちなみにゴルフには、試合に出て賞金を稼ぐトーナメントプロと他者を指導することで報酬を得るレッスンプロというのがあります。そうしてみると、いささかなりとも報酬を得ている合気道の指導者はレッスンプロに相当するのかとも思います。

 しかし、合気道の指導者をレッスンプロと言い切るのにはいささか抵抗があります。いわゆるレッスンプロと合気道の指導者の間には画然とした違いがある(べき)と思われます。これは修業と修行の差ではないでしょうか。学芸や技術の習得を《修業》と呼ぶとすれば、《修行》にはそれに加えて人格の陶冶を目指すことも含みます。そこから、武道の稽古は《修行》でなければならないと考えます。そのような覚悟をもって事に当たる合気道の指導者を、やはりレッスンプロと呼ぶべきではないということはご理解いただけるものと思います。

 また、合気道界には、十分な力量を持ちながら、信念としてあえて合気道を飯の種にしないことを墨守している人もいます。そのような人を、報酬を求めないことを理由にアマチュアと呼ぶことにも違和感があります。

 そうしてみると、武道界においてそれぞれの立場をプロとアマという枠で仕分けすることは適切ではないことがわかります。ごく大まかに、プロ・アマは職業上の立場を表す区分だといっていいでしょう。それに対して、武道家というのは狭い意味での身分を表すと考えるとしっくりきます。

 明治維新をもって日本ではそれまでの身分制度を廃しました(実情はどうあれ)。しかしかの制度は、その身分制度の最上位に位置した武士階級にとって、良くも悪くも自分を律する便利な区分法だったはずです。

 ひと口に武士といっても、幕府や諸藩に仕えて禄を食むサラリーマン武士とそのような仕官のかなわない浪人とがいました。浪人といえども何らかの方法で生活を成り立たせねばなりませんから、傘張り浪人などと揶揄されるように様々な労働に勤しんだことでしょう。それではその傘張り浪人に身分は何かと問えば、恐らく皆がみな自分は武士であるといい、間違っても傘張り職人とは答えないでしょう。

 これと同様の身分意識が武道家にもあてはまるのではないかと、そう思うわけです。武道で飯は食っていないけれども、生きることの多くの時間を武道のために捧げている、そのような人が少なからずいることをわたしは知っていますし尊敬もしています。

 願わくは、武道家として技法の向上のみならず常に人格の陶冶を心がけているそのような方々に正当な評価の下されんことを。