例のXPのサポート終了で、わたしもご多聞にもれず右往左往しました。以前に買っておいてそのままにしていたウィンドーズ7搭載機に替えたのですが、この乗り換えがわたしのようなごく普通のPC利用者にはなかなか難しいことでした。
新しいPC(7が新しいかどうかはさておき)にはメールやワープロ、表計算などのソフトが付いてないので無料ソフトを取り込むことにしたのですが、きとんと使えるようになるまでなんだかんだで10日ほどかかりました。でも、買えば何万円かするソフトとほぼ同等に使えるものが、ネットで探せば無料で手に入るというのも、考えてみればすごいことではあります。ソフトそのものを売るという考え方ではなく、それを提供することによって別のメリットが生まれるということなのでしょう。物の価値ということを考え直す必要があるのかもしれません。
それにしても、いろいろ問題はありながら社会が全体としては今回の事態(サポート終了)を容認しているように見えるのは、コンピュータというものは日々改新されるべきものという認識が行き渡っているからでしょう。そして、対症療法的な改変がたくさん重なった結果、合理性や機能性に障害が出てきたところで今回のようなフルモデルチェンジで一気に問題の解決を図ろうという、版元の経営判断なのだろうと思います。
わたしもそのような流れに身を浸しながら、これは現代武道たる合気道のあり方にも似ていると思いました。いろいろなものが日々更新されていく現代にあって、それとあまり関係のなさそうに見える武道でも、人間の営みである以上、時代の流れと無関係ではいられません。それは合気道創始から戦前、戦後にいたるまでの折々に見せた大先生の心境と技法の変化を訪ねればわかります。
合気道以外でも、例をあげるまでもなく、試合のある武道の技法は日進月歩で向上(かどうかはわかりませんが)しています。ちなみに、40年以上も前の大学生時分のことですが、わたしは体育の授業は柔道を選択しましたので、それなりに柔道技法に関心を持っていました。そのうち今でも覚えていることに背負い投げの打ち方の変化があります。背負い投げは基本的には立ったまま技を施すのですが、そのころ、全日本選手権などで、畳に膝をついて投げる人がぼちぼち出てきました。背負いの動作に入りつつ頭を低く下げて膝をつき、そこから今度は尻を高く持ち上げて投げる方法です。
これはそれなりに有効なやり方で、今も目にしますが、大学の授業でご指導くださった先生も、またわたしが所属していた合気道場の道場長(柔道経験者)も期せずして『あれは危険だ』とおっしゃっていました。投げられる側としては受身をとる体勢を十分に作れないまま頭から畳に突っ込むような形になり、首を折る恐れがあるからという理由でした。先生方の言は教育者としての当然の配慮であったと思います。柔道創始者の嘉納治五郎師が教育者であったことを考えれば、彼も同様のことを言われたのではないかとも思います。
もっとも、投げられるほうもそれへの対処法を研究しますから、後には膝つき法の出初めのころのように見事に決まるということも少なくなり、逆に今ではなんかもっさりした技法に見えてしまいます。
ひるがえって、合気道はどうでしょうか。わたしは合気道は達人養成システム内蔵型の武道だと思っています。ですから、理念はもちろん技法においても近視眼的な捉え方にはなじまないもので、安易な変化は望ましくないと考えています。ただしそのことは全ての変化を嫌うということを意味するわけではありません。物事の変化というものは、その変化の時点では玉石混交であり、よくよく吟味されるべきものであると考えますが、変化そのものを厭うべきではないということは言えると思います。
では、何をもって好ましい変化というのでしょうか。そのことは次回に言及しようと思いますが、要は、合気道の理念を強化する方向に働く変化のことだとだけ申し上げておきます。
PC更新の話からやや強引に合気道のあり方につなげた感が免れませんが、つまりは現代という時間帯において、合気道といえども時代の変化の波と無縁ではありえないということを言いたいわけです。そしてその時代の波に一番翻弄されたのは他でもない先駆者としての大先生であったに違いないということです。
※またまた【お知らせ】です
これまでもお伝えしておりますように、黒岩洋志雄先生の合気道理論と技法を軸に、≪遣える合気道≫とはどのようなものかを共に考究する=第8回特別講習会=を平成26年5月18日(日)に開催します。
今回のテーマは『間合い』です。
東北の片田舎までおいでいただける方はどうぞお気軽にご参加ください。
詳細は本ページ左のリンク欄から≪大崎合気会≫ホームページをご覧ください。