合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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⑰ 棒切れ 

2007-05-02 16:42:27 | インポート

 黒岩先生は、通常の稽古や、また年に一回の講習会においても、ステッキというべきか短棒というべきか、とにかく観光地のお土産屋さんで売っているような節くれだった杖(つえ)を使っての指導をよくされます。武器術というには素朴すぎる実用品なので、棒切れ術といったほうがふさわしいのではないかと思っています。

 30年ほども前のことになりますが、わたしが先生のもとを離れ帰郷して後も、しばらくの間は年に数回、稽古のために上京していましたが、そのころは、そのような棒切れを使った指導はしておられませんでした。その後、長いことご無沙汰し、久々に稽古に参加させていただいた折、初めて棒切れ術をご指導いただいたのです。

 そのときは《先生はまた突飛な指導法を考えつかれたんだな》くらいに思っていました。それで、例のごとく稽古後の喫茶店で、棒切れを使った稽古はいつから始めたのか伺ったところ、なんと昭和30年代に思いついて、ひところ本部道場で実際にやっていたというのです。

 少々本題から外れますが、合気道において各種武器等の道具を使った稽古は、なにもその道のスペシャリストになるためにするのではありません。それは各々の専門家に任せておけばよいのであって、われわれが刀や杖(こちらはじょう)をちょっとかじったくらいでそういう方々に対抗しようなんて、ゆめゆめ考えるべきではありません。ではなぜそのような道具を使った稽古をするのか。それは、道具を利用した稽古を通じて、体術ではお座なりにしがちな部分に気づき、あるいはより合理的な体使いを身に付けるためです。武道において、正しい動きが身に付いた人は、違った動きをすると体が《気持ち悪い》と言ってくるのですぐわかります。

 しかし往々にして体術というのは、右足が出るべきところを左足が出ても、鈍感な自分をごまかすことはそう難しくありません。ですから、そういうことを気にしないで稽古を続けていくことは可能です。『あれ、ちょっと違うかな。ま、いいか』てなもんです。そして武道から最も遠い感性と体を作っていくはめになるのです。

 ところが道具を持つと、そんないい加減な体使いは道具のほうで許してくれません。道具が体、あるいは動きに縛りをかけてくるのです。刀を持って正眼の構えをとればだまっていても右足が前にきます。杖を持って突きの構えをすれば左足が前。それが最も合理的だからです。そのように、いろいろな局面において、そのとき最もふさわしい形を要求してきます。それこそが武器、道具を用いる稽古の目的です。

 さて、棒切れに戻ります。黒岩先生はそのような道具の中で、一番身近にあるものとして棒切れを選択されたのです。『1mくらいの棒切れならどこにでもあるでしょ。モップの柄だっていいんですから。それを使えばいいんですよ』というわけです。よく、刀や杖は手の延長だと言いますが、黒岩流の棒切れは手そのもので、手や腕の動きを棒切れで表現しているだけなのです。ただ、徒手では掌を返すだけの動きが、棒切れの場合は半径1mの弧を描きますから、インチキな動きをするとすっかりボロをさらけ出すことになります。ですから、これは棒切れに導かれて正確な動きや間合いを身に付けていくことのできる、ありがたい稽古法なのです。と言ってもそれを文章では伝えられないので、このブログで写真や映像を扱えるようになったら紹介してもよいのですが…(いつのことやら)。

 というわけで、あらためて再入門のようにして教えていただいている棒切れ術ですが、先生がこれを長い間封印しておられたについては、故大澤喜三郎先生の戒めによるところがあったのだそうです。大澤先生は黒岩先生が最も敬愛する先輩指導者で、そのお人柄や出来事などを稿を改めて紹介したいと思います。