合気道ひとりごと

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358≫ 休むということ

2019-05-08 17:23:00 | 日記
 長い連休でした。わたしの会では公立施設をお借りしている関係で、来る11日が二週間ぶりの稽古となります。これほどの休みは会の設立以来なかったことです。体は楽をさせていただきましたが、もともと好きでやっていることですから、かえってストレスがたまるような感じが無きにしもあらずといったところでしょうか。会員の体調がどうなっているかにも興味がわきます。

 ただし、わたしの合気道人生でこれ以上の長期にわたる稽古中断がなかったわけではありません。それは学生時代の夏休みです。まるまる一か月くらいは帰省していました。その間一人稽古のまねごとみたいなことはしましたが、簡単な体操か踊りのレベルでしかなく、合気道と呼べるものではありませんでした。

 そんな鬱々とした気分の休みを終え稽古に復帰したら、いつもの稽古仲間の一人は帰省せずに稽古に通っていたというのでした。その差は次の昇級審査にあらわれました。稽古日数の差で彼は飛び級を許され、わたしは通常の昇級でした。ちょっと悔しい、けれどもいろいろ教えてもらった経験でした。

 先日、わたしの体調を心配してくれている会の世話役の方から、稽古に顔を出すのを少し減らしたらどうかと言っていただきました。大変ありがたい心遣いではありましたが、丁重にお断りいたしました。技術や理論の面で会員の方々に直に伝えなければならないことがまだまだ沢山あるからという理由です。

 いずれにしても、これまでやってきたことは間違いではないのだけれど、その密度が若干粗かったということかもしれません。

 休むということは普段のあり方から一時的に離れるということであり、必然的にこれまでの日常を省みることを求められます。そういう意味で、休むことは向上を目指す上で大切なものなのかもしれません。

 合気道は考える武道でもあります。いたずらに体を動かしているだけではわからないこともあります。そんな時はちょっと休んで、じっくり考えることが大切です。わたし自身、かつての長期休暇の間に気づいたこともいろいろあります。要は、時間の過ごし方の問題です。

 有意義に、有意義に。

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