合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

266≫ 10回目

2015-05-22 19:23:07 | 日記
 過ぐる17日(日)に開催した特別講習会に遠路ご参加いただいた皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。

 そもそもこの講習会は黒岩洋志雄先生のご逝去(2010年1月19日)により、その優れた理論と技法が途絶えてしまうのではないかという危惧から(杞憂でしたが)、その直後の同年3月7日に分際もわきまえずわたしが勝手に始めたものです。もっとも、勝手に始めたというのは今にして思うのであって、そのときは自分がやらないといけないという意気込みであったことを、初回時に参加者に配った資料を見返してみて思い出しているような次第です。
 
 それから毎年春秋2回ずつ開催し(開始の翌年に東日本大震災があってその直後の開催はできませんでしたが)、今回で数えて10回目となりました。その間、講習の中身は最初の頃と大差ないのですが、むしろ変わったのはわたし自身の気持ちでしょう。いい意味で気持ちにゆとりができました。それは、この講習会に最初から参加してくださっているZ氏(わたしよりもよほど正統な黒岩合気道の継承者です)が主宰として昨年から稽古会を始められたからです。左記のブックマークにある=輪の会=です(だから杞憂だったということです)。

 ご存知の方もおありでしょうが、黒岩先生の技法は見た目では一般的な合気道技法とは相当趣を異にしています。ですから一般の道場で稽古するとどうしても動きの違いが目立ってしまいます。それでは指導してくださる方に失礼ですし、自分自身も消化不良になってしまいます。ですから、黒岩式を守ろうとすればどうしても自分の責任で自分の稽古ができる環境が必要です。それですからZ氏の決断を喜んでいるわけです。

 さて、一般的な技法と黒岩式技法の違いと言いましたが、本当は違いではなく、技法解釈の深さの度合いというほうが正確でしょう。すなわち、理合といいますか、理屈、理論の領域の問題です。もちろん、だからといって他のやり方との間に優劣があるということでは決してありません。そのことは先生ご自身もおっしゃっていました。

 しかし、武術であることの本質を忘れず、かつ、現代武道として求められる種々の要素を突き詰めていくならば、必然的に黒岩式にならざるを得ないとわたしは考えています。しかも、それこそが達人に至る道であるとわたしは思っているわけです。

 参考までに、今回の講習で配布した資料の中から黒岩合気道を特徴づける言葉をピックアップし、ごく簡単に説明を加えておきます。

①ヨコの崩し・タテの崩し=人は崩しをかけないと容易に倒れません。それは柔道を見ればわかります。合気道においてもしっかり崩しをかけます。

②虚と実=合気道の稽古は受けの人に手首などをつかんでもらって行いますが(虚の稽古)、実際は倒れたり投げられたりするまでつかんでくれる人はいません。そのため実戦的には取りが自分からつかみにいくのが本当です(実の技)。

③脳天逆落とし=合気道の投げ技は(場合によっては押さえ技も)おしなべて頭から真っ逆さまに落とすようにできています。稽古においては危険を避け受身をとれるように投げます。

④主と従=手(腕)や足(脚)は左右のどちらかが主、反対側が従として働きます。それを交互に繰り返すように遣うのが正しい方法です。

⑤間を埋める=合気道の技は自分と相手との間にできる空間を自分の体で埋めていくことで成立します。

⑥押す動き=原則として合気道には引く動きはありません。逆に自分が出ていって相手(の体の一部)を押すようにします。

 資料にはもうひとつ《輪》というのがありますが、これはちょっと説明がむずかしいので機会を改めます。

 以上。あまりにも簡単な説明ですので理解の助けにならないかもしれませんが、本文をお読みになって気になる点がありましたらできるだけお答えしますのでお尋ねください。

265≫ 手をとるということ

2015-05-07 16:08:56 | 日記
 前回ちょっと触れましたように、いささか体調を崩しお医者さんのご厄介になりました。本ブログは読んでくださる皆さんの稽古に少しでも役立ちたいと考えて発信しているものですので、しょうもない病気ネタは自分でもあまり感心しないのですが、この体験を通じてちょっと得るところがありましたのでそこから書き出しますことをご寛恕願います。

 さて、そのときの差し当たりの治療は利尿剤を使って体から余分な水分を排出することでした。その結果、10日間の入院期間中を通じての総排出量が10㍑でした。要するに、しっかり中身のつまった体だと思っていたのが、実は無駄な水分を10㍑も身にまとっていただけだったということです。結果的に体重が10kg減りました。75kgが65kgになったわけで、ダイエット中の人にはうらやましいことであろうと思います。ちなみに、一所懸命に稽古をし、一日四食も食べていた学生時代の体重が65kgでしたので、これがわたしの適正体重なのでしょう。

 というわけで、情けないほど手首も細くなり、腕時計などはユルユルで文字盤が裏側に回ってしまいます。四教の攻めどころを教えてくれているのでしょうね、きっと。

 そこで思ったのが、稽古でこの手首をとった人はなんとも頼りない握り具合だと感じるだろうなということです。合気道の稽古においてはなんといっても手首が主要な接点ですから、その感触によって稽古相手の印象は大いに変わることでしょう。

 思い起こせば、学生時分にO道場で指導を受けた奥村繁信先生の腕は骨太で、当時若手の鳥海幸一先生の腕も太くてはちきれんばかりでした。入門から間もなくて、学校(高校・大学)での授業(柔道)でしか武道経験の無い(ちょこっとかじったのはいろいろありますが)わたしでもその手首をとったら、相手がどのような力量の持ち主かはわかりました。 

 合気道においては教えるほうも教えられるほうも手首を通じて相手の意思を読み、またこちらの意思を伝えるということが頻繁にあります。そのように手首というのは合気道稽古においてはアンテナの役割もする主要な部位ですが、愚かなわたしなどはその感触の繊細さよりは外見上の太くてたくましい腕にあこがれていた覚えがあります。

 そのような考えから解き放たれたのは黒岩洋志雄先生を知ってからです。勝手に押しかけ稽古に通った黒岩先生の道場には、当時わたしの他に2、3人、多くても5、6人くらいしか来ていませんでしたから、いきおい先生の手をとる機会は多かったのです。当時の先生はこれまた病気で胃を3分の2ほど切除してからいくらも経っていないころでしたので、見た目の印象は痩せて骨ばったものでしたが、こちらの手首などをつかまれると想像を裏切る握力で自在に操られる感じでした。はじめ、この力はどこから来るのだろうと思ったものでした。それから続けて稽古に通うようになると、先生はだんだん種明かしをしてくださるようになりました。

 先生の若いころの写真を見せていただいたりしましたが、そこに写っている黒岩青年はまことに筋骨たくましい肉体の持ち主でありました。そのような人が永年の稽古を通じて獲得した身体能力は、少々病気をしたくらいでは無くなるものではないようです。もちろん完調のときと較べればいささかの体力低下はあるでしょうが、稽古の賜物はけっして失せません。そのような事実を思い起こし、わたし自身励まされて徐々に復調を期しているわけです。そして、細くなった自分の手首を見て、これがどの程度の能力を発揮できるか、かえって闘志がわいてきております。

 さらに、手首などの皮膚感覚を通じて意思の交流をはかる合気道の稽古法は、単なる技法にとどまらない、もっと全人格的な強さ(あるいは弱さ)を相手に伝えるものであると考えるに至りました。だからこそ手ずからの指導、稽古が重要なのであって、逆に言えば相手に触れることのない映像や文章では絶対に伝わらない秘訣があるということです。

 転んでもただでは起きないという言葉があります。また、人生いたるところ青山ありとも言います。要は、与えられた環境のなかでいかにより良く生きるかということです。

 いろんなことに気づかせてくれる、あるいは教えてくれる合気道ではあります。


 【お知らせ】
 第10回 特別講習会を5月17日に開催いたします。
 今季最終のご案内です。向上心のある方はどなたでも歓迎いたします。
 詳しくは=大崎合気会=ウェブサイトをご覧ください。
 ----------------------