合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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212≫ 技法考察③ 肩・片手取り

2013-07-24 15:57:25 | インポート

 今回、肩取りと片手取りをいっしょに考察する理由は、それらが自分と対手との間に特定の間合いを強いる体勢を形作るからです。このことは以前にも触れていますが、間合いという、武道ではもっとも重要な感覚に関わることなので、重複を厭わず思うところを述べてみたいと思います。

 特定の間合いを形作るとはどういうことか、この点をについてお話しします。技法の考察といった場合、一般的には肩取りの〇〇投げあるいは片手取りの◇◇押さえといった技の、〇〇や◇◇の部分に興味関心が向くことが多いと思います。それはそれで大事なことですし、とりわけ古流武術では表向き(あくまでも表向き)それが技法鍛錬の中心になっていることが多いようです。

 しかし、武道あるいは武術の本質を考えると、実際はその〇〇、◇◇までもっていくための環境づくりこそが大事だといえます。その環境づくりの要点こそが≪間合い≫であると考えます。

 肩取りや片手取りでは(もちろんそれだけに限るわけではありません)、相手の肩や手首を掴んだ時点で、それぞれ特定の間合いが形成されます。ごく大雑把にいえば、自分と対手両者にとって、肩取りはボクシングのフックやアッパーカットの間合い(距離)、片手取りはストレートの間合いです。ボクシングをたとえに出すのは、わたしの先生がボクシングの出身であることもありますが、往々にして合気道家は相手の打ち、突きに関して無頓着だからです。実際の格闘では隙があれば打つ、蹴るなどは当りまえなのですが、そのようなことを想定しながら体捌きをする方はそう多くないように見受けられます。

 現代において合気道を学ぶ目的は決して闘争の具としてではないでしょう。別の言い方をすれば、闘争手段として合気道を修練しても合気道の本当の意義は見つけられないでしょう。そのことは大先生はじめ歴代道主や多くの先人がおっしゃっています。

 しかし、そのことは合気道が戦いの手段としての技法や理合を捨て去り、それとかけ離れてよいということではないと、わたしは考えるものです。このことを説明するためにわたしが好んで例として取りあげることに居合道があります。いまどき、しっかりとした居合道家で、人を斬ることを前提に稽古をしておられる方は一人もいらっしゃらないでしょう。しかし、人を斬らないのだから使用する刀は手入れが行き届かないナマクラ刀でよいのかといえば、ほとんどの方は同意なさらないでしょう。つまり、斬る斬らないということと別の次元で、彼らには斬れる刀が大切なのです。

 合気道もそれと同じです。ただそれらしく動き回るぶんには間合いなんか気にしなくても、それこそ間に合います。でもそれでは武道ではありません。ひとと戦ったり痛めつけたりするわけでは全くないとしても、十分にその能力を秘めているというのが武道、武術の実態でなければなりません。

 その、いうなれば危険な技能を修練し、しかもそれを遣わないことによって大いに精神を磨くことが、現代において武道を学ぶ意義でありましょう。振り回して、誤ってひとに当たってもちょっとコブができるくらいの刀や、蚊に刺されたくらいの影響しか与えられない体術では、とても武道家としての高みには到達できないでしょう。それでいいのだとお思いの方には、武道ではないもっと適切な方法があることを教えてさしあげるのが良いと思います。

 さて、そういうわけで、間合い感覚を身につけることは武道家として必須の条件であると考えていますが、今回のテーマである肩取り、片手取りなどがそのために役立つ技法であることをお伝えしたいわけです。

 間合い感覚を身につけるためにはいろんな方法があります。道場長さんが許してくれるのであれば、ボクシングのスパーリングのようなものでもいいでしょうし、竹刀を構えて剣道のまねごとをするのもいいかもしれません(同じような興味を持っている相手が必要ですが)。しかし、一般の愛好者の方にとっては『そこまでしなくても、合気道の枠の中で何かいい方法がないのか』というのが本音でしょう。その一番簡単なのが、肩取りや片手取りをするときにできる間合いを意識することです。

 たとえば肩取りでは、相手は稽古の決まりだから肩を取りにきているのであって、その間合いは顔をなぐろうと思えば完璧になぐることのできる位置取りなのです。そう考えれば、こちらがなすべきことは、その間合いの内で、できるだけ自分有利に持ち込むことのできる体遣い以外にありません。それができて初めて〇〇投げや◇◇押さえができるのです。

 そのように、合気道技法はちょっと視点を変えれば武道の本質に触れることのできる動きがあらゆる局面に表れるようにできています。それを知る時点でナマクラ刀は伝家の宝刀に大変身します。


211≫ 技法考察② 横面打ち

2013-07-10 14:47:20 | インポート

 本シリーズ2回目は横面打ちについて考えてみます。

 数ある掛かり(受けの攻撃)の中で、これが最も考察を要する技法ではないかとわたしは思っています。その理由は、これが『合気道の理合は剣の理合に通ずる』といわれていることを良く表す動きである一方で、いかにして現代に求められる格闘法に適応し得るかという部分で工夫の余地というか工夫の楽しみがあるからです。

 つまり、不易と流行です。伝統と現代性と言ってもいいかもしれません。わたしがとりわけ横面打ちに興味をひかれるのは、伝統の面でも現代性の面でも、いわゆる実戦における中軸の技法であると考えるからです。

  わたしは、剣術は合気道の稽古の一環としてたしなむ外はまったくの素人ですから断定的なことは言えませんが、対手にとって袈裟斬りほど厄介なものはないのではないでしょうか。試しに木刀などで打ちかかってもらえば、真っ向斬りや突きなどに比べてその対処の難しさはすぐにわかると思います。さらに、第一撃を避けることができてもすぐに逆袈裟が襲ってきます。いわゆる燕返しです。

 もちろんこれらには剣術ならではの応じ方があるでしょうから、合気道家風情が悩むことではないかもしれません。ここではそれが厄介だということを述べるに留めておきます。

 そのような刀法をもとにしたのが横面打ちです。大先生が正面打ちについて、『いまどきそんなふうに打ちかかってくるやつはいない』とおっしゃったのと同じで、やはり横面打ちも、いまどきそんな攻め方をする人は稀でしょう。しかし現実に危難に遭遇することを想定すると、少し変形した横面打ちが最も可能性が高いように思われます。もったいをつけずに言うと、ナイフによる斬りつけまたは単純な殴りかかりです。

 このような状況に応ずるときに有効なのが横面打ちに対する捌きでしょう。これについて、わたしは最近対処法を変えました。見た目はマイナーチェンジですが、実は相当大きな変更です。

 これまでは、受けが横面打ちで攻めてくるのに合わせて、こちらは一教運動のような動きで受けのふところに入っていくようにしていました。そのようにすると相手が打ってくるのと同じ側の腕でガードをしつつ手は顔面をとらえることが可能で、さらに続けて反対側の手で首筋を打つことができます。

 しかしそのやり方の欠点は、受けが理想的な打ち込みをしてくれないとガードも顔面攻撃も中途半端なものになることです。稽古ならそれでもよいのですが、実戦ではそんな注文を聞いてくれる人はいません。そこで、ガードと攻撃を別々の手で行なうという、すごく当たりまえの方法に変えたのです。

 それなら、ほとんど多くの人がやっていることと同じじゃないか、と思われるかもしれません。文章で表せばたしかにその通りです。実際はいくつかの点でそれとは異なるのですが、ひとつだけ明らかにしておきますと、通常の横面打ちのような大きな振りかぶり動作がありません。実戦を想定するとそれが現実的です。双方がそういう条件で動きを作り上げることがこの稽古の中心になってきます。それに応じて細かな体遣いにも種々の変更が生じます。たとえば打つ手は手刀ではなく拳や掌底になりますし、狙い所も首筋やこめかみではなく顎になったりします。また、相半身にするか逆半身にするかということも考慮の対象になります。

 わたしが考えた方法はまだ未熟で、自身をもってお伝えするレベルではありませんので詳しく言うのは遠慮しますが、ちょっと動きを変えるだけでも様々な考えを誘引するだけの材料が横面打ちにはあることがわかります。教本にあるような基本に忠実な動きを大切にしながら、並行していろいろな工夫を加えることも場合によっては必要ではないかという、ひとつの例証です。ある程度人前に出せるくらいにまで精度が上がったら講習会の具にでもしてみようかと思います。

 健全な稽古を目指しておられる方々には不必要な技法ですが、ただこのような工夫をしていると合気道技法の奥の深さがわかってくるというオマケがついてきます。