合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

154≫ 片手取り天地投げ?  

2011-05-25 17:38:27 | インポート

 なにかと落ち着かない昨今ですが、合気会においては今月28に全日本演武大会、7月17日には少年少女錬成大会が予定されています。参加される皆様には是非日頃の研鑽の成果を発揮していただきたいと願っております。

 かく言うわたしどもの会ではまだ参加実績がなく、今回もその予定はありませんが、そのようなところにも合気会からはそのつど案内と資料が送られてまいります。ありがたいことです。そのなかで、少年少女錬成大会での稽古課題に関する資料にちょっと気になるといいますか興味をひかれる箇所がありました。

 年少(小学校1年生~3年生)、年中(同4~5)、年長(小6~中3)という区分になっているようですが、年中の課題のなかに≪片手取りからの天地投げ≫というのがあります。天地投げといえば両手取りを代表する技なのに、です。写真が付いていて、簡単に言えば、取りは天地の地だけを掴ませ、天の手は取らせず入身投げのように受けの首筋に掛けて投げ倒す動きのようです。これを見てはじめわたしは、本部も結構冒険をするもんだなと思いました(どうもそれは的外れであるようですが)。

 実は、わたしのところでも天地投げを、天の手と地の手に分けてそれぞれの働きを確認する稽古をします。天地投げは基本技に準ずる技であるといいながら、実際は最も難しい部類の技です(基本が最も難しいということであればその通りなのですが)。それで、わたしのところでは手足胴それぞれの動きに注意をはらうことを求めていますが、とりわけ手の遣い方は相当細かく指示します。そのため天地を分けて稽古するのですが、地の手は普通の逆半身での遣い方なのでまだしも、天の手は逆半身で遠いほうの手を取るという、片手取りとしては普通はあまり出てこない腕遣いで、最初はほとんどの人がとまどいます。

 そのようなイレギュラーな稽古法なので一般的ではないでしょうし、当会でもあくまでも細かな部分の確認のための方法として採用しているだけで、それ自体に大きな意味があるものとは考えていません。ところが、それと似た方法を本部が指示しているというのですから、これは少々驚いたのです。

 もっとも、よく説明書きを読むと、これは片手取り隅落としなどといっしょに稽古することになっていて、その近似性は理解できます。また、この稽古のねらいとして、取りの技よりは受身法が重視されていて、便宜的に天地投げが採用されたことがわかります。そうすることによって、こどもたちの興味をかきたてながら、なおかつ安全に合気道に親しませようという思いは伝わります。

 それでも、あえてここで本来的な手遣いを離れてまで天地投げをしなくてもよいのではないか、とヘソマガリのわたしは思うわけです。天地投げも含めて両手取りでは手による当身ができませんから、それに代わってしっかりした崩しが必要で、それも含めての両手取りの稽古であると思うからです。まあ、だれが何をやってもいいではないかとも思うのですが、天地投げの難しさとこの技に求められる理想的な体遣いに個人的な思い入れのある者としては少々複雑な気持ちです。

 とはいえ、この技の提案者はなんらかの思いがあってそのように工夫されたのでしょうし、《片手取り天地投げ》ではなく、片手取り【からの】というあたりで、その苦労がしのばれます。【からの】という助詞を付加することで、これが正規技法ではないということを表しているのでしょう。

 ところで、今回これを書くにあたって、以前に天地投げについて述べた文章を読み返してみました。(参照 90≫天地投げ                            http://blog.goo.ne.jp/gasyojuku/d/20090121)       そうしましたところ、なんとまあ読みにくいこと。『手刀を立てて縦回転させ』という表現ではたして意味が伝わるのかどうか、これでは、詳しく書けば書くほどかえって真意が伝わらないだろうと、はなはだ心もとなく感じました。やはり百聞は一見にしかずということなのでしょうか。そういえば、ここ以外のほとんどのブログでは写真や動画をふんだんに、かつ上手に使っていますね。わたしももう少し工夫しなければいけないようです。


153≫ 徒然なるままに 

2011-05-12 16:45:41 | インポート

 当地では一人ぼっちでうら寂しく、手持ち無沙汰だったりすることを『とぜん』といいます。その語源が古語であることに気づいたのは教科書に徒然草が出てきたときです。震災以来しばらくそのとぜんを味わってきました。 

 無為徒食の日々でしたが、休止していた稽古をなんとか先週から再開しました。ただ、これまで利用していた2ヶ所の武道館はどちらも損傷復旧の目処が立っておらず、やむなくそれぞれ近くの中学校の武道場をお借りすることになりました。なんにせよ、ありがたいことです。

 それにしても、ほぼ2ヶ月近くも稽古を休んだのは合気道を始めて以来のことで、まわりの様々な物事が再スタートしていく中、若干の焦りがあったことは否めません。この経験を今後にどう活かすかが大事なのでしょう。

 そういうわけで、長いこと頭の中で合気道の動きをなぞるだけの擬似稽古をしてきたのですが、思うのはやはり、なぜこのような動きになるのだろう、いったいこの動きにどのような意味があるのだろうということです。

 これまでにも述べていることですが、合気道の技法は表面的にはどうしても遣い物にならない動きで成り立っていると思わざるを得ないということです。個別具体的なことは言わずとも皆さんがご存知のとおりです。通常の稽古はほぼ全てにおいて受けの協力によって成立しています。受けが取りの意に副わない(さからった)場合、かなりの実力者であっても型どおりの技では相手を制圧するのは難しいことは明白です。かつての指導部の第一人者が素人の外国人相手に、合気道的に取り押さえるのに相当手間取っている古い映像があります。もちろん手心を加えているのはわかりますが、友好的雰囲気の中で余興として行なわれたものでさえこうなのですから、もし敵対心があればなおさらです。

 これを他の武道と比較したらどうでしょう。剣道、柔道、空手道などであれば、素人などおそらく一撃のもとに制圧されるでしょう。そうしてみると合気道の置かれた状況がいかに特殊であるかわかります。誤解を招く表現になるかもしれませんが、これが大先生の残された合気道の実態です(表面的には)。

 それでは大先生はどうしてこのようなかたちで合気道を残されたのか、これが稽古休止期間の徒然に考えたことです。そこでいくつかの理由を考えるにあたり、大先生の意識や宗教的哲学が究極に達しておられたという前提に立つことが必要かもしれません(そんなことはないという考えもあり得ます。その場合は別の意見がおありでしょうから、それはそれとして尊重します)。

 わたしは、大きくふたつの理由があげられると思います。

 ひとつは、大先生の宗教的境涯から勝ち負けなどどうでもよくなって、武技を振りかざすことに価値を置かない生き方を示されたのではないかという考えです。これは大いにあり得ることとは思いますが、そこだけを強調すると大先生は武道家ではなく、したがって合気道も武道ではないという結論につながります。なにしろ武道とは武技を操ることをもって自他の存在を認め、その行為を通じて人格の完成を目指すものだからです。

 したがって、勝ち負けなどどうでもよくなったかもしれないけれども、武技の有効性まで放棄したわけではないと考えるのが妥当ではないかと思います。それではその有効性というやつははどこに行ったのかという疑問は残ります。

 ふたつめの理由です。大先生は一般的に知られている合気道の動きの中に、凡人には感じ取れないかたちで必殺技法を仕込んだ、という、あまり出来の良くない小説みたいな話ですが、わたしはこれが真実に近いのではないかと思っています。

 大先生が研究されたといわれている鹿島新當流では、互いの刀を打ち合わせるような定められた型から、更に一歩間合いを詰めることで即座に敵を仕留める技法があって、これは皆伝者にのみ伝えらるということです(このごろは公開されていますが)。このように、一般に教授する技法が一方にあり、それに少しの変化を加えることで必殺技法になるというのは実際にあるわけです。同様の発想が合気道にあっても少しもおかしくないと思っています。その隠された意図に気づくか気づかないかだけの違いですが、この差は決定的に大きいと思います。

 以前にも書きましたが黒岩洋志雄先生は、負けないということは武道における(とりわけ宗家にとって)最重要のテーマであり、したがって開祖から後継者(植芝家)にのみ伝えられている不敗の技法(いわゆる秘伝)があるはずだという意味のことをおっしゃったことがあります。わたしはその論を一歩進めて、その特別な技法は実際は通常技法の中にひそかに含まれていて、その糸口はなんらかのかたちでわたしたちに示されているはずだと考えています。

 そういう意味でも、通常の動きのなかにいくつもの当身技法が含まれていることをお示ししたいと考えているわけです。この件、口先ばかりになっていますが、いずれ機会をあらためて。