震災から半月経ちました。本ブログをご覧の多くの皆様からお気遣い、お励ましのお言葉を頂戴しましたこと、重ねて御礼申し上げます。
普段の稽古場(公共の武道館)が現在も避難所として使われており、帰るに帰れない多くの被災者の方が起居をともにしておられます。皆様もご存知のとおり、道場などというものは畳こそあれ、生活の場としては決して快適なところではありません。当地ばかりでなく、いまそのような、繁栄を極めた現代日本からは最も遠い境遇のもとで耐え忍んでおられる膨大な数の方たちに引き続きお心をお寄せくださいますよう伏してお願い申し上げます。
楽しみに読んでいただくべきブログで、かえって心にお痛めをおかけするようなことを書くのは本意ではありませんが、被災地に居住する者として感ずるところをお伝えするのもひとつの役割であろうと存じますのでご寛恕ください。
さて、それでもここは合気道、武道に関するブログですから、あくまでもその視点から、身を護り、地域を護り、国を護るということの意味を震災とその後の経緯をふまえて論じてみたいと思います。
わたしの住まいするのは宮城県の内陸北部です。このあたりはこれまでもよく大きな地震に見舞われるところで、わたしの記憶にある範囲でも、昭和39年の新潟地震にはじまって、十勝沖地震、宮城県沖地震、日本海中部地震、宮城・岩手内陸地震など震度5~6クラスの地震を数回経験しています。そして最近はあらたな宮城県沖地震が10年以内に99パーセントの確率で起きるといわれていましたから、近県住民はそれなりに覚悟はできていたのです。
それで今回の地震が起きた時も、わたしがそうであったように多くの人にとって、ついに来たかというのが第一印象であったろうと思われます。ただ、揺れている時間が想像していたよりだいぶ長く、これまでに経験した地震と明らかに違いました。自分で確認できる範囲でも、倒壊家屋や道路の割れなどの数や規模から相当な被害が出ていることはわかりました。しかしそれでも、その時点では後で明らかになるほど甚大な被害がもたらされているとは思っていませんでした。
停電により、その後数日間にわたって情報が途絶したために、正確な被害状況がわかりませんでした。ラジオが唯一の情報源でしたが、『仙台市若林区で二百人ほどの遺体が道端に倒れている』とか『仙石線の電車が行方不明』という地震直後のニュースがいったい何を意味しているのか、さっぱり理解できませんでした。巨大津波のありさまを知ったのは1週間もたってからのことです。被災地以外のところでは津波を含めた震災被害がリアルタイムで放映されていたのに、情報にもっとも疎いのは一番情報を欲している人たちであるというのがよくわかりました。
さて、その後の被災者救援や原発事故対応などでの国をあげての(正確には為政者の)ドタバタぶりは目を覆いたくなるほどです。2万人を超える死者・行方不明者や概算25兆円にのぼる一次被害額など、どれをとっても一定規模の戦争並みの損害を出しています。であれば国のとるべき方針は戦時体制に準ずるものでなくてはならないのに、実際にやっていることは少々範囲の広い地方災害というレベルの認識にもとづくものであるとしか感じられません。戦争であれば、たとえば、戦場は東北地方だからとりあえず九州は関係ない、とはいえません。国家総動員といえば時代錯誤かもしれませんが、少なくとも為政者の覚悟はそうあるべきだと思うのです。
ただし、それは国民みんなが同じ事をしろということではありません。一方で悲嘆にくれているときでも一方で活発に日常活動をこなしていく、これが国としての強さであると思います。
今回のタイトルは≪うろたえるな≫です。はっきり申し上げますが、これは一般の国民を想定したものではありません。震災の被災者はもちろん、放射線被害を心配する周縁住民がうろたえるのは当たりまえのことであって、それはある意味で護身の行為です。そうではなくて、問題はどこまでいっても為政者ならびに公共的事業の責任者です。ちっとも顔を見せないと思ったら地震から2週間ぶりにテレビに出てきて全く意味のないことを言うだけの人、400m走でもしてきたかと思えるような完全に息のあがった状態で原稿を読み上げる人、いいならいい悪いなら悪いとはっきり言えない人、どれもこれも事態の沈静化に寄与しない、なくてもよい情報発信者ばかりです。非常時にこそ輝いた見習うべき偉人が過去日本にはいくらでもいたのですが、その方面のお勉強はお嫌いだったのでしょう。
半月も経つのに、今の日本で、握り飯を一個配ってもらって涙を流して感謝している人がいることをなんと思うか、一番偉い人に聞いてみたいものです。ですから、怒りと悲しみをこめて彼らに一言申し上げます。『うろたえるな!』
一方、多くの民間人、自治体、企業の善意には頭がさがります。国民あげての物心両面のご支援、ボランティア活動、近県は言うに及ばず関西や中国、四国、九州の自治体からまで一時避難先としての申し出があるということです。そのような方々がいらっしゃる限り、被災地は必ず立ち直ります。その点、まったく心配していません。
ついでに、今回の震災でわかったこと、個人で対処できることを二、三お伝えします。
ⅰ よく、非常時のための食料、水の備えは三日分あればよいといわれますが、今回のような規模の災害のときにはそれでは足りません。どこの家庭でも冷蔵庫にぎりぎり三日食いつなぐ分くらいは持っています。問題はそれ以降に発生してきます。物流の停滞で補給不能になり、それが多少改善するのはさらに一週間ほどたってからです。それくらいを目安に備えることをお勧めします。
ⅱ 近代的生活というのは、つまるところ電化生活です。したがって電気が止まるとすべてが止まります。そのようなときでも最低限の生活を確保できる用意が必要です。たとえば、ファンヒーターは灯油を燃料としますが、電気がないと働きません。ガス風呂も電気がないと着火しません。もっとも、灯油もガスも欠乏してしまいますが。(ソーラー発電を除く)オール電化の家というのは今回はアウトでした。そうなると布団をかぶってロウソクをともすことしかできなくなります。このようなとき、登山や野外活動用品(携帯食料、コンロ、バーナー、寝袋、ヘッドランプ、ポリタンク、テントなど)は役に立ちます。レジャーにも使えて非常時にも役立つ道具をそろえておくのは有効だと思います。
ⅲ 今回、近場で倒壊したのは戦前からせいぜい昭和20年代までに立てられた古い家が多いように見受けられました。それ以外では1階が間口の広い店舗や駐車場になっているような壁面積の小さい建物(すじかいが足りない)、変則的な地形(ぢがた)に合わせた変形平面の建物(よじれる)などが目立ちました。また、先年の宮城県沖地震を教訓に、以後しばらくは頭が重くなる瓦屋根が敬遠されてきましたが、最近はまた増える傾向にありました。それらの中には新築なのに被害を被ったところもあります。安全を考えると一考を要すると思います。それでも、基本的に日本家屋は地震に強いと思います。あわてて外に飛び出して上から降ってきた瓦や看板に当たってもつまらないので、それらを踏まえて避難経路を確保することが肝要です。
それから、これは個人のレベルの話ではありませんが、首都機能のバックアップ体制の確立と分散移転は絶対に必要です。今回の震災と同規模の災害が東京に起きたら混乱は現状の比ではなく、はっきり言って、しばらくの間は他国に統治を任せざるを得ない状況になるでしょう。『そのほうが良い』というのが悪い冗談であることを政府は証明すべきです。