合気道ひとりごと

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337≫ 鍛と練

2018-04-16 16:57:35 | 日記
 ご存知のように、わたしの合気道は理屈の多い合気道です。稽古では技の一つひとつに細かい説明をつけます。あらゆる動きにはそうでなければならない理由があると考えるからです。深く考えずに、昔からそうやってきているから、先生にそう習ったから、というのはわたしの流儀ではありません。そういうふうになったのはたぶん合気道の習い始めのころに疑問に思ったことを合理的に解釈しようと苦しんだことと無関係ではありません。

 そして、その解決に大きな力を与えてくださったのが黒岩洋志雄先生でした。それまでも、それ以降もいろいろな指導者の方に教えを受けましたが、多くの場合、これこれこうすれば上手くできるというものでした。一方、黒岩先生はなぜそうするのかということまで踏み込んで教えてくださいました。それ以来、技の一つひとつにそれぞれ隠された意味があることに気づいたのです。

 ただ、そうはいっても、先生の言わんとすることをわたしが全て正確に理解していたかというと必ずしもそうではないと言わざるを得ません。なぜならば、今になって、ああそういうことだったかと修正するべきことが出てくるからです。

 ひとつ例をあげて説明します。本ブログのはじめの頃に記したことですが、先生は手首に手を当てて、合気道の世界には手首が太くて、ちょっとやそっとでは手首技がかからないような人がたくさんいるが、稽古の目的は手首を鍛えることではなく、大事なのは手首よりもこちら側(体躯)を鍛えることだ、という意味のことをおっしゃいました。それを聞いたときわたしは、なるほどそういうものかという程度の理解でしたが、それだけでも意識の転換には十分で、それなりに満足していました。

 当時、先生は胃の大部分を切除された後でずいぶん痩せておられ、手首もほっそりしていました。わたしも太さは似たようなものでしたが、ただ先生は小学生のころは剣道、中学の頃からボクシングをし、合気道入門後も各種武道を研究された方ですので、本来であれば手首は相当鍛えられていたであろうことは容易に推察できました。その人が手首ではないと言うわけです。

 わたしとて、入門以来稽古のはじめには必ず各種手首鍛練法を欠かしませんので、通常の稽古での手首技に対応できないということはありません(近年体調を崩してからは少し怠けていますが)。それでも手首のしっかりした人には若干の劣等感がないわけでもありません。ですので、大事なのは手首からこっちだと教えていただいたときは変に納得したものです。

 それから長いことそういう解釈で来たのですが、最近、それでは理解が浅いと思うようになってきました。黒岩合気道全般を鑑みると、先生が伝えたかったことは更にその先のことではなかったかと思うのです。それが今回のタイトル『鍛練』です。文字通りに解釈すれば手首からこっちを鍛え練ることです。しかし、鍛えることと練ることには方向性といいますか時間差といいますか、あるいは次元といってもよい違いがあります。

 いささか説明しにくいのですが、鍛というのは特定の目的に向け身体各部を単機能的に向上させること、つまり上腕を鍛える、下肢を鍛えるなどです。対して練というのは限定的な動きで汎用的に対応可能な能力を身につけること、要するに相手の意図や動きに関係なく、ごく限られた動きで様々な状況を自発的に作り出す能力を磨くことを目指した稽古法だと考えるに至りました。

 実戦において敵と相対する状況のバリエーションは数限りなくあります。そのうちの特定の状況を取り上げて対応策を示すのが一般的な武道教授です。もちろん稽古法としてはそれで良いのですが、それだけでは不十分であることは明白です。しかしながら、いくつもある状況設定にいちいち対応する具体策を稽古するということも現実的ではありません。

 ではどうするか、そこで求められるのが練の意識です。諸手取りで押さえられた腕を振りかぶるために腕力を鍛える、これは鍛です。そうではなく、体軸を意識しながら普段の稽古で培った全身のあらゆる筋力を動員することで腕が上がる、これが練です。

 いや、それも説明としては不十分です。腕を上げることすら目的としない、それでも結果として上がる、上がる状況を作る、そういうことだと思います。一つひとつに個別に対応する技量を身につけるのではなく、あらゆる状況に瞬時に無意識に主導権を握れる反射能力を築く、それが練です。稽古によって体を十分に練り上げると部分的技巧的な動きはいらなくなってしまう、それこそが練の目的です。

 なんだか訳のわからないことになりつつありますが、イメージとしては、岩をも砕きつつ方円の器にも従い、時には氷にも蒸気にもなる水のようなものです。合気道は奥深いです。