合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

68≫ 合気道の合気

2008-05-29 13:46:17 | インポート

 今回は、合気道の成立に大きな影響を及ぼしたと考えられている大東流と引き比べて合気道の特色を考えてみます。

 大東流の特徴はなんといっても≪合気≫技法であろうと思います。これについては大東流各流派でいろんな見解があるようですが、稽古における基本はしっかり手首を握らせて、力の方向、相手の意識への働きかけなどを駆使して受けを不安定状態に導く技法であるとわたしは認識しています(バリエーションとして体の他の部分を使ったり触れる程度のものもあるようですが、臨終の床にあった大東流武田惣角氏は合気の伝授にあたり、手首を握らせて演じてみせたとのこと)。

 ここでいう合気はそれを表看板にしている武道にとってはとりわけ大切なものでしょうが、実際はあらゆる武道、格闘技、もしくはスポーツ一般に合気的技術はあります。それを大袈裟に言わないのは、修行者あるいは競技者として当然身に付けておくべきものだからです。余談ですが、2006年FIFAワールドカップ決勝戦で、イタリア代表のマテラッツィから家族を侮辱されたフランス代表のジダンが、マテラッツィの胸板に頭突きをくらわせ、見事にひっくり返したシーンを覚えていらっしゃる方は多いと思います。あれはタイミング、角度、当てる部位、集中力と、下手な武道家をはるかに凌ぐ、まさに合気でした。

 いま世間では、武道家や武道研究家らしき人物が、合気について、都合のよいところだけ科学的手法で説明し、肝心なところは恣意的、似非科学的データを用いて言いくるめるような言説も出回っているようです。さらに、離れていても合気がかかる、という話にまでいくと、これはもう催眠術の世界です。こういうのが、できるだけ辛い稽古をしないでひとを越える技術を身に付けたいという、あまり感心できない武道オタク系の興味を引きつけているというのが実態ではないでしょうか。(この件、真摯に修行に励んでおられる大東流の御門人の方々とは厳然と区別しているつもりですのでご承知ください)

 また、仮にそのような超絶技巧的な合気技法があるとして、それがごく限られた人の個人的能力であったり、合理的に(普遍性、再現性のあるものとして)説明できないものであるならば、継承のすべがないわけですから、それは存在意義がありません。武道の技というものは、身に付けるのに苦労しても最後はできるようになるものでないと値打ちがないのです。達人伝説を面白がるのは結構ですが、一番大切なのは今頑張っている人たちで、その人たちの技量の向上に結びつく稽古法です。汗した人が報われないとね。

 ところで、開祖(大先生)の武術歴からして、黎明期の合気道が大東流の技法を多数取り入れているのは当然のことです。しかし、若き武道家であった≪植芝盛平≫が大本(教)の出口王仁三郎師から受けた影響は、ある意味で大東流の武田惣角氏からの影響よりも大きいのではないでしょうか。言い過ぎならお詫びしますが、大東流がなくても合気道(名称はどうあれ)は誕生したかもしれませんが、出口師との出会いがなければ大先生の合気道は存在しなかったと思っています(黒岩先生からお聞きしたところでは、大先生は『武田先生から教わった技は既に知っている技ばかりだった』とおっしゃっていたそうです:バックナンバー12)。

 少なくとも戦後は、大先生は合気という言葉を大東流が言うような意味では使っておられなかったのではないかと思います。≪合気道技法:植芝盛平監修・植芝吉祥丸著:復刻版㈱出版芸術社≫に、大先生は『合気の奥義は大きく和することであり、絶対無限の宇宙の実相に通ずる道である、と喝破』されたと記されています。昭和20年のこととされています。大東流において合気はあくまで技法として認識されているようですから、大先生のおっしゃった合気はそれとまったく別物と考えたほうがよいのではないでしょうか。縁の深い大東流ですが、大先生はある時期から武田氏と距離をとり、そして氏逝去の後、合気道はまったく別の道を選択したといえます。

 合気道はいくつかの伝統武術の上に、大先生の生来の宗教的素養と出口師の影響のもと、原日本的精神性をまとって生み出されました。制敵技法をもとにする武術でありながら、争いではなく自己と他者との調和を求めようとする武道です。この場合の他者とは、目の前の相手であったり社会であったり、また大自然であったり、つまり森羅万象との調和を究極の目標としています。これが合気道の最大の特徴でしょう。

 壮大な目標ですが、とりあえず小物のわたしは、せめて強さに裏打ちされた優しさを合気道に求めたいと思っています。日々の稽古はそういう思いを確認するための作業です。


67≫ それぞれの事情  

2008-05-21 14:18:40 | インポート

 好きでやっている合気道ですが、長いこと続けてこられた一番の理由は、わたしの場合は優れた指導者との出会いです。もちろんそれとは別に、合気道自体になんらかの魅力があったことは当然です。しかし入門時に、そのことが明確にわかっていたわけではありません。続けているうちにだんだんわかってきたのです。今回は、よそ様ながら柔道の現状に触れながら、合気道の魅力を探ってみようと思います。

 講道館柔道創始者嘉納治五郎氏と合気道開祖植芝盛平先生との間に親交があったことはよく知られています。嘉納氏が合気道に武道の理想の姿を見出し、若手柔道家を大先生のもとに預けたりもしています。

 柔道は教育者である嘉納氏が青少年の体位向上と精神修養を目的に、柔術を教育の場で活用すべく独自の工夫を加えて作り上げた、きわめて教育的配慮の行き届いた武道です。爾来その価値が大いに認められ、世界的スポーツのJudoとして大きく発展した反面、しかしながら、当初の志からは大きく変容してきたことも事実です。その良否を云々するのはこのブログの役割ではありませんが、変容の一番の理由が試合制度にあることは疑いがありません。今や、競技スポーツであり、見せるスポーツとなりました。その結果として、勝つか負けるかにだけ関心を呼ぶ今の柔道が、創始時に嘉納氏が夢見た姿とは大きく異なるであろうことは想像に難くありません。

 わたしは、競技者自身が勝敗にこだわるのは間違いだとは思いません。だれだって負けるよりは勝つ方が嬉しいし、修行の進み具合を判断するひとつの目安ではあります。しかし競技には本人だけではない、第三者の思惑も見え隠れしてきます。ここが武道の精神性とは相容れないところだと感じるのです。修行者の情熱を金儲けにつなげるな、個人の努力を国威発揚の道具にするな、とまあこういうことを思ったりするわけです。

 もっとも、試合のない合気道が無条件に素晴らしいと手放しに喜べないところが、わが合気道の課題でもあります。私自身は競技化に関心はありませんが、競技化を模索している人たちが現状の合気道の問題点をあぶり出す役割を果たしていることは明確です。その意味で彼らの存在は貴重です。そこで浮き彫りにされた問題点(間合い、拍子、当身や崩しなど技につながる技術、そして技そのものの実効性等に関する考え方)は、わたしたちに向けられた質問状ですから、しかるべき回答を用意せねばなりません。

 このブログでは、その辺のところを意識して書いている文章もだいぶありますが、わたしとして、それらについての工夫を実際の稽古に十分に組み込んでいるかといえば、まだ熟度が足らないと答えるしかありません。課題をのり越えるためといいながら、普段の稽古と離れた突拍子もないことをやり始めても、それは一過性のもので終わるのが目に見えています。未熟に未熟を足しても完熟にはなりません。

 下手な仕立て屋が作った背広みたいに、まるで体に合わないものを着こんでも、いずれほころびが出てきます。ですから、新たな工夫であっても使い込んだ普段着のように違和感がないことが絶対条件であり、そのための試行錯誤がいましばらくは続くことになります。新たな試みが既存のものと一体になるには熟成のための時間が必要なのです。

 ただ、新たな試みといっても、もともと合気道のカタに織り込まれているもので、これまでは一部の慧眼を備えた合気道家(もちろんわたしは含まれておりません)を除いてその意味に気づいていなかっただけのことです。ですから決して異質なものではありません。ひとつヒント(バックナンバー64)が与えられると、次から次にカタの意味がわかってきます。この辺にも稽古の面白さがあるかもしれません。

 さて、競技に重きを置くスポーツは、勝てなくなれば練習を続けるモチベーションが弱くなり、若くして引退したり指導者に転進するのが一般的です。その点、武道にはカタ稽古というものがありますから、工夫次第では相当年齢がいっても現役の武道家として続けることができます。ショーアップされた興行的スポーツは別として、やはりスポーツも武道も、自分がやってなんぼの世界です。どっちみち合気道は、ひとのやるのを見ていたってなんにも面白くありませんから。

 そういうわけで、やって楽しい武道でありますと、これが合気道の特色の一つということに今回はしておきます。次回、また違う武道を引っ張り出してきて、合気道の別の特色を考えてみます。

 


66≫ 軌跡

2008-05-13 11:46:14 | インポート

 前回、手足の軌跡を丁寧にたどる稽古が大切だというようなことを述べながら、自分の文章力ではそれをうまく表現できないということでその内容に触れずじまいでした。しかし、柔道で言うところのかけ逃げみたいでみっともないので、あえて無理を承知でその一部でも述べてみようと思います。

 以下は、いまわたしが、このようにすると良いのではないかと思っている方法なので、これが絶対だとか、他は間違っているなんてことではありません。興味があればお試しくださいという程度のものです。

 右半身からの正面打ち一教表を例にとります。

 まず手です。正面で受けと手刀を合わせますが、気構えとしては剣術でいうところの先の先です。でも、稽古ではゆっくり、あわてずに合わせていきます。この際、右肘をしぼり、外に張り出さないようにします。また、すぐに受けの手首を掴んでしまうと、やはり右脇が空いてしまうのでよくありません。

 これにわずかに遅れて左手で受けの肘を掴むと同時にほんの一瞬上に押し上げます。これがタテ(上段)の崩しになります。多くの方はこれを前に押してしまいますが、そうすると受けは左回りに向きを変え、右足を前に送り出してしまうので、崩しになりません。稽古では受けが足を送り出すと注意されたりしますから、足を居着かせたまま体の向きだけ変えるのが習い性になってしまっているのですが、受けが足を出すのがいけないのではなく、出させるように押してしまうのがいけないのです。タテの崩しの重要性もそれではわかりません。

 ここで一旦足運びについて考えます。最初、右足はやや大きく右斜め前に踏み出します。右斜め前ではあいまいなので、それを分解すると、横方向については、仮に受けが真っすぐ進んできてもぶつからずに半身でかわせる程度の移動量です。前方向については、受けの前足よりも若干入り込んだくらいのところまで踏み込みます。この際、踏み込みが足りないとその分自分の上体を前に倒してしまい、受けの腕を前に押し出すことになりますから注意です。

 また、最初に踏み出した右足で踏ん張ってさらに前に出るようなかたちは良くありません。すぐ左足が追いかけて自分の右足と受けの左足の間に運ぶようにします。ですからこの時点で自分の両足の間隔は、せいぜい一足長分程度しかありませんが、これでよいのです。この時、股関節と膝を柔らかく遣い、重心を低くとります。

 また手にもどります。左手による一瞬の上段の崩し(軽く差し上げる程度)の後、右手はなるべく受けの右手首を掴まずに(小指を引っ掛ける感じ)、受けの右手指先が受けの左足めがけて落ちていくような軌跡をたどるようにします。この際、受けの手刀は頭上を真っすぐ返るのではなく、自分の方から見ると最初は中心中段にあり、そこから右上段に移り、右中下段から最後は受けの左足元につながる曲線上(鉛直方向から一定の角度を保った面上の軌跡)を移動するのです。なお、この際、受けの腕が受けの左足よりも前にいかないようにします。前に倒すのではなく下に落とすためです。

 そのような軌跡をたどるように技を施すと、受けは自分の両足の間にペタンと尻もちをつくような感じで崩れます。あとは受けの右腕を整えて押さえてやるだけです。

 以上は正面打ちの場合ですので、他の取り方では当然手足の軌跡が変わります。でも基本的な考え方はいっしょですので、工夫してみてください。

 どうでしょうか、やはり文章では言い及ばないことがたくさん出てきますが、とにかく、相手にとって無理がなく窮屈にならない動きが、もっとも有効な動きです。

 機械式時計は全ての歯車やゼンマイが協調して働くことで正確な時刻を示すことができます。わたしの合気道もそれと同じように、自分の中の協調、相手との協調を目指しています。

 もっとも、精密機械のような動きは、身に付けるのに時間がかかりますし、その割には粗雑な力の前には往々にしてあえかなものです。ですから、稽古にあたっては、取り、受け双方がその動きの意味と目的をよくわかっている必要があります。

 でもこれ、達人へ続く道ですよ。

 


65≫ 教え方 

2008-05-04 18:56:58 | インポート

 わが師、黒岩洋志雄先生は、本部で指導しておられたころ、東京近県のある道場に出張指導されたことがあります。そこの道場主は剣術家でもあり、どちらかといえばその方面で有名な方でした。一時、吉祥丸先生も行っておられたそうですが、なかなか気難しい方のようで、それまで本部から派遣された指導者があまり長続きしなかったのだそうです。

 黒岩先生の指導を受けたことのある方はお分かりだと思いますが、だれにでも丁寧でわかりやすく教えてくださいます。ですからその道場でも、先生が指導に出向くようになってから入門者がずいぶん増えたのだそうです。

 ところがそのうち、だんだんと稽古に来る人が少なくなってきたので不思議に思い、残った稽古生にそのわけを尋ねてみると、くだんの道場主が合気道の稽古生に剣術にも入門するようにと執拗に勧めているということでした。あとで何人かから『合気道は面白いので続けたかったけれど剣術はやりたいわけじゃないので』と伝えられたそうです。結果的に黒岩先生は人寄せに使われたようなものでした。

 そんなことじゃやってられないということで、先生はそこでの指導をさっさとやめてしまったのです。案の定、稽古生は一気に少なくなってしまい、困った道場主は、再び黒岩先生の派遣を依頼してきました。吉祥丸先生から懇願され、やむなく再度出向くようになったのです。そうするとまた稽古生が増えてきて一件落着かと思いきや、道場主がまたまた同じ事を繰り返し、以後金輪際行かないということになったのだそうです。剣術の併習も悪くはないと思いますが、とりあえず合気道を学びたいと思っている初心者には荷が勝ちすぎたことでしょう。

 ところで、黒岩先生の指導法は、稽古年数の長短や段級位の上下などで区別しません。要するに、経歴に多少差があっても、下手さ加減においてはみんな同じ、五十歩百歩ということなのかもしれません。先生の理論や技法は一般の理解とずいぶんかけ離れているように見えるので、むしろ経歴の長い人ほどいっぺん自分の合気道を壊さないといけないように感じられ、よほどの覚悟がないと受け入れにくいかもしれません。教えを受けるとは多かれ少なかれそういうことなのですが。

 そうかと思えばこのようなこともありました。だいぶ以前の講習会に、幕末に重要な働きをしたある偉人を顕彰する会の代表で、かつ合気道の指導もされている方が参加しておられました。その偉人というのはわたしも尊敬する人物ですが、さすがにそのような会の代表は人格者だと感じたことがあります。その方はおそらく黒岩先生よりも段位が上だと思いますが(黒岩先生は吉祥丸先生に頼まれて預けられた、ぎりぎりの六段ですから)、講習会参加者として指導者に対する礼をきちんととっておられました。おそらく普段のご自分の合気道とは異なる動きにとまどわれたのではないかと思いますが、質問しながら懸命に稽古しておられました。

 その方のように、それまでの稽古の蓄積を捨て去る必要はないのです。フルモデルチェンジでなくても、部分改良で飛躍的にうまくなるのが黒岩式です。むしろそれは、普通の合気道を長年やってきて、壁にぶつかったり疑問を感じたような人に有効です。

 一般の稽古者は、上手な人とそうでない人との違いがどこにあるのかわかっていません。逆に言えば、そこがわかればみんな上手になるのです。現在わたしも人に指導するような立場になりましたが、指導のポイントがだんだんわかってきました。技全体を把握し一連の流れをつかむ、なんてのはあたりまえすぎて、わざわざいうこともないでしょう。むしろ技の意味、腰の置き方、足の運び、手の扱いなどを、きちんとした理由とともに少々分析的に過ぎるくらいに説明すると、かえってわかってもらえるものです。

 そして、現在最も大事だと思っているのが、動きを分解し、特に手足の描く軌跡を丹念にたどるような稽古です。この軌跡が目に見える(感じがする)ようになるとしめたものです。見えないものが見えるなんて言うと、非科学的に思われるかもしれませんが、そう感じられるようになるまで繰り返してみる値打ちはあります。

 その軌跡をわたしの文章力では表現できませんが、相手に無理や窮屈さを強いることのない(ここが肝心です)、しかもそれで十分崩しの効いた動き(無理、窮屈を与えない動きのほうがよく崩れるのです)に付随するものですので、研究してみてください。

 それにしても、どう教えればわかってもらえるかということを考えることは、自分の動きを分析的、客観的に見直すことになり、自分自身の向上につながるものです。ありがたいことです。