合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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214≫ 技法考察⑤ 両手取り・諸手取り

2013-08-22 16:45:06 | インポート

 剣道の決まり手は面・胴・小手・突きの4種類、ボクシングなら大きくはフック・ストレート・アッパ-カットの3種類、柔道や相撲は技数はたくさんありますが個々人の技として実際に遣えるのは数種類くらいなものでしょう。さらに得意技となれば一つか二つに限られてきます。試合のあるものはそうならざるを得ません。

 それにひきかえ合気道の技数は二千とも三千ともいわれますが、はっきり言ってわたしはその詳細はわかりません。ここでは、合気道には試合がないのでそのようなたくさんの技を手段・道具として体を練ることができるということをわかっていただければ結構です。

 ただし、他武道やスポーツで技といっているのは攻撃のための方法という意味ですが、合気道の場合、そのような意味での攻撃の技というのは厳密にいえば≪受け≫の人が仕掛けてくる正面打ちだとか片手取りだとか、いわゆる掛かり(攻め方)です。試合のない合気道ではその掛かりも何種類もあることになります。

 ここ何回かのテーマは技法考察ですが、技法とはいっても、いわゆる投げたり押さえたりといった技法ではなく、上記のように、受けの側の掛かりの方法を中心に考察してきています。今回は両手取り・諸手取りですが、これは掛かりのなかでもとりわけ鍛錬用の趣きが強い技法です。

 回りくどい言い方をやめれば、実際的ではない掛かりだということです。相手の動きを制約するために自分の両手を使って相手の手首を掴むというのは、実際の闘争の場面ではあまり賢いやり方とは言えません。ですからこれは鍛錬用だということです。技の起源においては刀や槍を持った敵を想定していたのかもしれませんが、それは現代武道としては過剰品質でしょう。

 ですからこれは素直に鍛錬法だといえば無理がありません。それではどんなところに気をつけて鍛錬するのがよいか、これが今回の肝です。

 それは、取りの側が両手の働きやバランスを感じ取ることが重要ということでほぼ間違いないでしょう。取りにとって、手は、普通は左右のどちらかが主でどちらかが従の働きをします。それが次の時点では逆になるというふうに役割を交代させながら働きます。しかし、両手取りの場合は左右の手がほぼ同等の働きをしなければなりません。しかも、ある程度のレベル以上にある人には、その働きがより精妙なものであることを求められます。

 天地投げを例にとれば、天の手と地の手はただ上下に分かれればよいというものではなく、それぞれがしっかりと受けを崩していなければなりません。崩しをかけるためには両手がどう働かなければならないか、それを稽古を通じて身につけるわけですが、どちらか片方だけに意識が集中してはうまくいきません。それがなかなか難しいのです。かたちばかりの天地投げをしていてはその難しさはわかりません。

 また、諸手取りですが、この場合、取りにとって掴まれている方の手を動かすことばかりに注意を向けがちですが、それもまた思慮が足りないと言わざるを得ません。自分の片手を相手は両手で押さえているわけですから、それをどうにかしようとすれば単純に考えてもなかなか困難であることは容易にわかります。それをなんとか克服していくのが稽古の目的です。相手の2倍の腕力をつければよいなんてのは論外ですよ。

 たとえば、掴まれた手を振りかぶろうとする場合、その手だけを振りかぶるのではなく、掴まれていないほうの手も同時に振りかぶると力が出て、しかも自分の体勢を崩すことなく上がるのです。実際にやってみれば誰でもわかると思います。これは、両手を同時に振りかぶることで、力の出どころが体の中心になり、その結果バランスが良くなることに起因すると思います。

 ちなみに、今では多くの人がやっていることですが、諸手取りで、接触部(手首)をあまり動かさず、そこを回転の中心にして肘を下げて顔の前に手刀を立てるようにする方法は黒岩洋志雄先生がやり始めたことです。先生が乞われてアメリカで指導をされた折、体が大きく力の強そうな人にがっちりと諸手取りをされた時、そのようにして技をかけると相手はしっかり持っていた分なおさら派手にひっくり返って、『日本から来た先生はスゴイ』と感心していたそうです。『でもね、そうでもしなきゃビクともしないんですから苦労しましたよ。あまり感心されて、かえってこちらが驚きましたよ』とおっしゃっていました。帰国後その話をしたら、みんなそのように動きを変えたということです。

 いずれにしろ、両手取りや諸手取りは、その起源はそれなりの理由があるとしても、稽古法としては他の掛かりとはいささか趣を異にして、両手を合理的に遣うための一法であるということを覚えておいていただくと、そこからさらに新たな展開が望めると思います。

 

 


213≫ 技法考察④ 後ろ取り

2013-08-08 17:35:10 | インポート

 どんな武道、武術でも同じことですが、とりわけ合気道においては技法に秘められた意味をわかっていないとただの形骸をもてあそぶだけのことになります。その最たるものが後ろ取りでしょう。それが目指すものはいったい何なのか、それを考えることはすなわち合気道の稽古全体の意味を考えることと同じです。

 乱暴に言い切ってしまえば、武道で相手に後ろを取られたら、通常それは即負けを意味します。ですから本来、後ろ取りなどというのはあり得ないのです。稽古において、あるいはまた稽古以外でも、だれかに後ろに回られても気にならないような人はまったく武道家に向いていません。

 ですが、それと逆のことを言えば、柔道の背負い投げのようにあえて相手に背を向ける技法がありますから、相手の背後に回ったからそれですべてオーケーとはいかないところが武術の奥行の深さです。もちろん、自ら背を向けるのと相手に回られるのとでは天地の開きがあることは知っておくべきでしょう。 

 と言いつつも、合気道には後ろ取りというのがあります。なぜこのような、本来あってはならない状況を前提とした技法が稽古体系に含まれているのでしょうか。その理由のひとつに、合気道は複数の敵を想定しているからというのがあります(合気道に限りませんが)。多人数掛け(実際に遣おうと思えば想像を絶するような修練が必要です)や四方斬り、転換といった体遣いがあるのがその証拠です。多人数掛けにおいては必然的に背後に敵を置くこととなります。ですから、それへの対処法が求められるということはあります。

 しかし、そもそもの意味合いがそうだとしても、実際の稽古の効用は別のところにあると考えるべきでしょう。その、後ろ取りの稽古の効用あるいは目的のひとつは、視野の外にいる相手の動きや位置取りを目に頼らずに把握する感覚を養うことです。五感と呼ばれる感覚器官の中でも視覚の役割は別格に大きいものがあります。ですから、あえてそれに頼らないで、触覚や聴覚等、それに想像力を駆使して自分と相手との状況を判断する訓練だといえます。これは武道家にとっては存外重要な能力開発かもしれません。

 効用の二つ目は、受けの側に対する戒めです。先に述べたように、後ろに回ることができたといって喜んでいては飛んで火に入る夏の虫です。普段稽古している後ろ取り技法にとどまらず、後頭部での顔面当てや踵で相手の足の甲を踏みつける方法なども含めて、日本武術はあらゆる技法を駆使して後ろを取られたという最悪の状況を切り抜け、立場の逆転を目指します。背後を取ることは取られることと同じくらい危険なのだという教えです。

 効用の三つ目です。上の二点を考慮し、後ろ取りにおいて受けは取りとの間に適度な距離を保とうとします。背後に回ったからといって相手にくっついたのでは簡単に反撃されます。反対に、取りからすれば、受けとの距離をできるだけ縮めるのが良いわけです。そのためにはどのような体遣いが求められるかが問われます。そこで出た答えは、実はあらゆる技法に通用するものです。つまり、合気道の技というものは相手と自分との間にできる空間を自分の体を使って埋めることだからです。その合気道技法の核心を後ろ取りという条件の中で身につけようということです。

 以上のようなことを意識して稽古するならば、後ろ取りという不可思議な条件付け技法に秘められた意義がわかり、大きな成果を得られることでしょう。ひとつだけ蛇足を許していただけるなら、相当な有段者でもよく見受けられるのですが、取りが両手を横にあるいは上に広げながら受けの脇の下を潜り抜ける体遣いはいろんな意味でよろしくないのでご注意ください。手は常に体のすぐそばにあって良い働きをするのです。