合気道ひとりごと

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357≫ 棒きれ術に思う 

2019-04-19 16:37:54 | 日記
 本欄左袖のブックマークに新しくあげた『黒岩先生講習会』は2002年に江戸川区合気道連盟により開催されたものですが、先にコメントを頂戴したN氏が見つけられたものです。これが黒岩先生考案のステッキ(棒きれ)術です。

 ところでN氏は私信で『黒岩先生理論には興味が尽きません。たった棒切れ一本を介して見えないものを具現化して頂いてる気がします』と述べておられます。黒岩先生の棒きれ術の隠れた意義をを見事に言い表していると思います。

 それでは、ここで言う見えないものとは何でしょうか。これは正確に言うと、見えないものではなく見逃がしているものです。合気道は手先の動きによる技が多いのですが、その際、手あるいは腕がどのように動いているかをあまり気にせず施しているのではないでしょうか。手というのは器用なもので、複雑な動きでも簡単にこなしてしまいます。それで、手の動きに頼る技が多い合気道では、結構難しい技もなんとなくできてしまうことがあります。

 むしろ、一つひとつの動きに神経を配ることのできる人にとって、納得するまでは難物と映るでしょう。棒きれ術はそのような人の理解の助けになります。どういうことかと言いますと、たとえば手の甲を上にして棒きれの端を握り、そのまま甲が下になるように手首を回すと、握った反対側の端は大きく弧を描きます。これで明らかに手首を回転させたことが意識できます。また、握った手を一旦放してまた甲を上に握りなおすというような動作をすることで一連の手の動きに注意が向きます。動きが大きいだけにごまかしがききません。実際に体術においても手はそのように動いています。

 ここではたまたま棒きれ術を例にとって説明していますが、合気道の稽古で武器(得物)を使う理由の一つは、得物のほうから体の動きや足運びなどを制約してくることにあります。棒きれに限らず刀や杖などもいい加減な捌きでは役に立ってくれません。体術以上に合理的な動きを求めてきます。その結果、正しい動きが身についてくるという大きなメリットがあります。

 よく、合気道では体術で身につけた動きで得物を扱うことができると言われますが、わたしはむしろ、体術本来の動きを向上させるために得物を使った稽古を採り入れると考えるほうが武器術の意義を正しく言い表しているのではないかと思っています。

 つまるところ、合気道の体術がいい加減でよいとは言いませんが、多少不正確でもなんとなく技らしく見えてしまう、本当はそれが上達を妨げるということを知らないといけません。それを補正するのが武器術だと、そう考えていただきたいと思います。