合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

351≫ 謹賀新年

2018-12-31 19:01:15 | 日記
 

 明けましておめでとうございます。新年をいかがお過ごしでしょうか。

 新年で思い出すのは黒岩洋志雄先生から伺った昔の本部道場での様子です。稽古始めといっても数人しかそろわず、大先生と一緒に火鉢を囲んで、用意していただいたミカンを一個ずつ食べて年の始めを祝ったという、まことにささやかなもののようでした。聞いたときは、そんなこともあったのかと思っただけでしたが、あとで考えれば意外に家族的で、わたしが黒岩先生と二人でストーブの前でコーヒーをいただいたのも、それと似たようなものでした。

 五日は当方の稽古始めですが、新年にあたり『松・竹・梅の剣』とそれぞれにちなんだ体術をやろうと考えています。ちなみに、松は横面打ち四方投げ、竹は正面打ち一教、梅は突きの入り身投げです。なお、松竹梅の剣の動画は本ブログ左欄『黒岩洋志雄先生inペルー』の8分18秒から竹、8分30秒からが梅です。松の動画は出ていませんが相手が振りかぶったところに突きをいれるだけです。

 上記動画にない松の剣はじめそれぞれの剣とそれにちなんだ体術は下記からわたしの拙い動画に行けますのでご笑覧ください。ただしこの動画では、竹、松、梅の順になっています。わたしの勘違いかもしれませんが、道友Z氏が黒岩先生から伺ったところによれば、大先生はあまり順番にこだわらなかったので、名と動きを違う組み合わせで教えることもあり、異なる動きで覚えておられる方がいるが全て正解だということでした。そのことを動画作成後に知ったので、黒岩直系として現在は松と竹の順番を入れ替えていますのでご了承ください。
松竹梅の剣
松竹梅の剣 捌きの応用

 今年もまたいろいろなことがあるのだろうと思いますが、合気道がもたらす幸福を信じてともに斯道精進に努めてまいりましょう。

350≫ 理想を支えるもの

2018-12-07 17:55:24 | 日記
 先日テレビを観ていたら、岩間で合気道の稽古をしている若いロシア人女性が紹介されていました。小さいころから優等生であることを求められ、その競争社会に疲れていた彼女は、人と争わない、攻撃する技がないことを旨とする合気道を知り、日本でしっかり合気道を学びたいと思い、仕事をやめてやって来たのだそうです。そのようなきっかけで合気道人が増えるのは嬉しいことです。

 外国人に限らず、日本人でも同様の動機で合気道を始めたかたは多いのではないかと思います。現代社会での武道の存在意義を考えれば、それが正解であり、理想的なあり方というべきかもしれません。ですから、それにケチをつけるつもりはまったくありませんし、そのような穏やかな合気道人がもっと増えれば良いと思います。

 ただここで、合気道があくまでも武道であるということを理解しておく必要があります。高い理想にはそれを支える理合いと技術が必須です。武道である以上、その理合いと技術はどこをどうみても闘争で勝利を得るためのものに他なりません。試合のない合気道でもそれは同じです。まだ初心者の域にあると思われる件のロシア人女性にも、そのことは是非わかっておいてほしいと思うのです。

 つまり、争わないことを旨としつつも争うための技を練り上げる、それが合気道にかぎらず全ての武道の稽古というものです。また、合気道には相手を攻撃する技がないというのも誤解です。合気道の動きの一挙手一投足はすべて攻撃技に転化します。普段の稽古ではあまりそれを強調しませんし、指導者の中にはそのこと自体を知らないかたもいるかもしれません。でもそれでは合気道を稽古する本当の意味はわかりません。そんなことを知らなくても一向に構わないという人もいるでしょうから、まあ、それはそれで良いのかもしれませんが。

 合気道の技はすべて必殺技だと言ってもピンとこない人もいるでしょう。でも、畳のないところで、受け身も知らない人に技をかけたらどうなるか。ちょっと小細工をすれば恐怖の技になります(黒岩洋志雄先生は、合気道の技はみんな脳天逆落としですよ、とおっしゃっていました)。そんなに難しい想像ではないと思います。柔道も同じですし、剣道も防具を着けずにやればこれもみな必殺技です。武道というのはそういうものなのです。武道を稽古することによって得られる高い精神性は、そのように非常に危険な行為をできるだけ安全にやろうとする工夫と、それを自分で制御することから生まれてきます。

 合気道で、技を練り上げるということは、一旦は危険人物になるということです。技を覚えたてのころを思い出してみてください。友人なんかに試したことはありませんか。ただし、いつまでもそのままでいるのは愚者。まともな武道人はその先に本来の目指すものがあることを知っています。それこそが理想といわれるものです。