合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

325≫ オマケとコツ

2017-09-19 19:03:54 | 日記
 合気道の稽古は相手と対面して技を施し、最終的に極めに至るまでの経過のすべてが大事であって、どれが重要でどれが重要でないということはありません。これは当然のことです。ですが、その重要度にも順位はあると思われます。

 一般的に、技法途中での関節の極めや最後の極めがうまくいくと技全体がうまくいったような気になるものです。しかしわたしは、そのような小手先の技術は重要度あるいは稽古の優先順位としては高くないと考えています。もちろん下手よりは上手なほうが良いのは言うまでもありませんが、そのような技術が生かされる状況の作り方のほうがより重要、大切だということです。この場合の状況とはすなわち間合いのことです。

 多くの場合、関節の極めなどは方法をちょっとアドバイスしてもらうだけで初級者でも割合うまくできるものです。そういうのをコツといいます。道場においても先輩格の人が初級者の人に有り難そうに教えたりして、かりそめの敬意を受けたりしているのを、昔見たような記憶があります。悪いことでは決してありませんが、ちょっとコツをつかんだだけで上達したような気になるのは勘違いというべきものです。だいたい、それくらいのことで上達していくのなら誰も苦労はしません。それよりも、自分優位の間合い作りに意を配るべきです。たとえば二教小手回しがうまくいっても、それをやっている自分の位置取りが相手の正面だったらこれはもう勝負以前、初歩的不注意です。

 黒岩洋志雄先生は、最適の間合いから崩しをかけ、そのあとは四方投げや一教など標準的な技から様々のバリエーション技を繰り出していきました。これらのバリエーションはちょっと教えて頂いただけで割合簡単に覚えられます。わたしなどは初めて目にするものが多かったので、喜んで稽古したものでした。ただ、稽古の後にコーヒーをいただきながらお話を聞いていると『あれはオマケですよ』と言っておられました。

 オマケといえばわたしの年代ではグリコキャラメルのオマケを思い出します。年配の方は知っておられるでしょうが、紙にくるまれた10個ほどのキャラメルが入った紙箱の上に、さらに1cmほどの高さの小さな紙箱が重なっていて、その中に子供の興味をひくような小さなおもちゃが入っていました。いろんなものがあって、あれはあれで結構楽しみでした。

 というわけですが、グリコの会社はキャラメルを売りたいのであって、その販売促進のためにオマケを付けていたのです。これを合気道にあてはめると、稽古で特に身につけてほしいのは相手との接触の瞬間から崩しまでであって、その後の技の展開は身体強化と興味をつなぐためオマケだということ、これが黒岩先生のおっしゃりたかったことなのではないかと勝手に推測しています。

 このオマケの部分の習得に役立つのがコツというものだと思います。それはそれで結構ですが、コツをいっぱいつかんでも、それだけでは合気道の本質を習得したことにはなりません。オマケだけをいくらたくさんコレクションしても、それでキャラメルを食べたことにはならないのと同じです。もっとも、キャラメルを買って食べないとオマケも増えませんけどね。それが『最終的に極めに至るまでの経過のすべてが大事』ということです。

 わたくしごと、稽古年数だけは馬に喰わせるほど重ねてきて行き着いたのは、要するに合気道(技法の稽古)の標的は間合い作りだという、武道共通の理論でした。わたし一人の思い込みかもしれませんが、案外正解かもしれませんよ。

324≫ テーマ式稽古

2017-09-01 22:38:20 | 日記
 9月に入りました。8月の当地は連日雨模様で多くの日が最高気温30℃に満たない冷夏でしたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。

 さて、本ブログはその都度テーマを決めて拙論を展開していますが、今回は『稽古におけるテーマ』ということについて考えているところを述べてみようと思います。

 普通、稽古では正面打ち一教だとか片手取り四方投げだとかというふうに提示されて進められると思います。その場合、それぞれの技の最初から終わりまでを通してやることになりますが、テーマの設定のしかたによっては重点を置くポイントが異なることがあるということを知ってほしいと思います。

 どういうことかというと、基本の技とされるものであっても、足運びか、手の遣い方か、崩しか、最後の極めか等々、技を成立させている各要素はそれぞれが難しく、その全部を通してやるにはだいぶ荷が重いものだからです。それで個別の要素に絞って『きょうは足運びに重点を置いて稽古する』となれば、極端に言えばそれ以外のことは多少手抜きしてかまわないとも言えます。もちろん初心者の方は全部通して平均的に稽古するほうが技の全体像をつかみやすいのでこの限りではありません。むしろ上級の方、上級を目指す方に大事な稽古法です。

 合気道は、稽古においては技法展開の縛りが比較的緩いように見えます。本当はそれではいけません。足運びひとつにしても、踏み出しのタイミング、歩幅、つま先の向き、踵の浮き沈みなど留意すべき点がいろいろあります。そうしながらその他のポイントも全部わが物にするというのは一定のレベルに達した方でないと難しいでしょう。とにかく、技を漫然と施しているだけでは意味ある動きは身につきません。そのようなとき要素を分解した稽古法が有効なのです。

 ただ一番の問題は、足運びにしても、それならどんな歩幅が良いのか、つま先の向きはどこを向くのが良いのかなど、より優れた方法がわかっていなければ稽古のしようがありません。指導者も含めて多くの方がわかっていないか興味がないというのが実情ではないでしょうか。これが合気道技法の縛りの緩さの原因です。

 本ブログではいくつかの技法について各要素の細かなことを言ってきましたが、やはり文章の限界はあります。それでも、こうであるべきだ、という思いは以前より強くなってきました。いま言っておかないと言いそびれてしまう、そういう齢になったということでしょうか。

 でも、こんなことは本当は初心者の時に覚えるべき事項なのですがね。実態はあまり変わっていないのかもしれません。