合気道の稽古は約束事に従ってとり行われます。右足を進めるべきときは進める、左手を返すべきときは返す、というように大まかな動きが定められています。伝統武術ほどの厳密さはありませんが、一応はカタ稽古という部類に含まれると思います。伝統武術では一挙手一投足どころか、指先の動き、目の働き(正しくは目付)まで定められていますが、合気道でそこまで厳しく指導しているところは少ないと思います。だいたい同じならよろしいという感じです。それでも、たとえば初心者の方が本来の動きと違う動きをするとすぐに直されます。それはしごく当然のことであり、原則としてそのやり方で進むべきだと思います。
しかし、ある程度の年限を経て、カタが乱れないくらいの稽古を積んだ方(概ね二段以降ですかね)は、相手が約束通り動かない場合でも対処できる方法を身につけたほうが良いのではないでしょうか。いかに健康志向とはいえ、武道と名のる以上は遣えてなんぼだと思うからです(もちろん、そうではないとお考えの方にまで押し付けるべきものでないことは承知しています)。
初心者に限らず、段保有者でも本来あるべき動きと異なる動きをする人がいます。演武等であえてケレン味を出すための演出なら黙認しますが、稽古においてそのようにしているとしたら問題があります。間違って覚えたか、カタの大事さがわからないでこれまでやってきたということでしょう。そのような人に対し、それではいけないと注意をするのは簡単ですが、なぜいけないのかをきちんとわからせることも必要です。
また、約束に基づくカタ稽古の意味をはき違え、崩してないのに崩れたり、ここで崩れてほしいというところで無理に踏ん張ってみたり、そんな人もいます。勝手に崩れるのはカタ稽古に慣れすぎたが故の悪弊で、注意をすれば直ります。問題は変に頑張ってしまう人で、そういう人はそれが良いと思っているので、そこは違うよ、と言っても、こちらが下手だと思われるのがオチです(有段者でこのての人は始末が悪い)。
そういう人には、少々遺憾ながら奥の手を使わざるをえないでしょう。つまり、本来の動きで崩れないのなら、相手が予期しない動きで崩すしかありません(この時点で既にカタ稽古ではなくなっているのですが、これが実戦の実相です)。
一教を例に考えてみます。右相半身正面打ち表の場合、まず双方右足を一歩進めて右手刀を合わせます(もちろん左手は肘に)。次に左足を進め手刀を斬り落とすのにあわせて、受けは後方に体の向きを変えていきます。この際、受けの両足はその場に留めておくことになっていますが、たまに右足を一歩進めてしまう人がいます。これは実は取りの技を未完に導く方法なのです。なにしろその動きは一教の返し技につながりますから。崩しをかけた時に足を運ばれたらその崩しは失敗です。
そのため(受けの右足の踏み出しを防ぐため)、取りは、受けの腕を前方に押すのではなく、上段から一気に下に斬り落とすようにしたり、あるいはまた、受けの両足の間に自分の左足を割り込ませたりするわけです。このようにして受けに右足を運ばれないようにするのですが、それでも運ばれてしまった時にどうするか、というのが今回の(約束に基づく調和を得られなかった時の)工夫です。
これは実に簡単。受けの腕を本来の位置にもっていくことを諦め、自分の足元、つまり受けからすれば右斜め後ろに落としてしまえばよいのです。ちょうど一教裏の感じに近いのですが、裏の場合は受けの体重が右足(前足)がかりになっています。今回の工夫はそれとは違って、受けが踏み出した右足が着地(畳に)する寸前に斜め後ろに斬り下げるのがポイントです。これは柔道の足払いの考え方と同じで、相手が最もバランスを崩しやすいタイミングを見計らっての仕掛けです。やってごらんになるとわかりますが、見事に崩れます。ここまでやってはじめて『だから足を踏み出してはいけないんですよ』と言えるのではないかと思っています。
さて、若干心に引っかかるのは、このような基本に忠実ではない工夫技法を合気道の技として稽古をしてよいものやら、これはやはり考えてしまいます。伝統武術の世界では、技の改変、工夫というものは宗家のみに許されることであり、それ以外の者がやろうとする場合は、その門から出て新たに一流を立てるのがしきたりです。その代表的な事例が、古流柔術から講道館柔道を産み出した嘉納治五郎師ならびにそれに連なる柔道家による技法群です。これは、試合をすることの必然的帰結であったでしょう。
それを試合のない合気道にそっくり当てはめるのは牽強付会になるかもしれませんが、試合なきがゆえに武術性(あるいは実戦性)の希薄になりがちな現代武道として、また基本形の合理性を補強説明する手段として、ある程度の工夫は許されてもよいのかなと勝手に思っているのですが、いかがなものでしょう。わたしとしては、人に指導する立場にある者として、『相手がこちらの希望通りに動いてくれないので技がかけられません』とは言えないなぁ、と思うこともあるわけです。