今回のテーマは【あらためて黒岩合気道】シリーズの最後として、〔間をうめる〕ということと〔押す動き〕のふたつです。
まずは〔間をうめる〕から。
ここでいう『間:ま』とは一義的には自分と相手との間にできる空間のことですが、時間の間(タイミング)でもあります。しかしまあ、とりあえず空間に限定して話を進めます(タイミングをはずしたらどんな技も意味をなさないという前提です)。
さて、合気道における掛かり技法(片手取りだとか肩取りだとかその他もろもろ)は、少なくとも稽古においては自分と相手との間合いを決定づける働きをします。つまり、始動時における近距離(肩取り)、中距離(片手取り)、遠距離(正面打ち)をそれぞれ表現しています。そのいずれにおいても大なり小なり相手とのあいだに空間が生まれます。合気道の技はこの空間を自分の体でうめていくことで有効な働きをします。
たとえば、正面打ち一教は受けの腕をすり上げて上段で崩すことが極めに至る手段ですが、それだけでは技法の実体を説明したことにはなりません。実行手段としては、自分と相手の腕が上段で接している下に山形の空間があるので、そこに自分の体を進めて、体で空間をうめていくことが肝要です。相手との間が離れたままで腕力だけでねじ伏せるような動きは武道、武術ではありません。
そのような理屈は、四方投げでも腰投げでもなんでも一緒です。相手との間をうめないと技にならないことは柔道も同じで、たとえば相手が背負い投げにきたとき、こちらは投げる側の後腰を手で押し出し、相手の背中と自分の腹との間に空間をつくれば投げはくいません。柔道家はそれを克服するために数知れないほどの打ち込みの稽古を重ねるわけですが。
かいつまんで言うと、間をうめるということは相手と密着するということです。合気道の技のほとんどは手を使って行いますが、手は体のなかで最も器用な部位なので、どうしても手(腕力)に頼ってしまいがちです。できるだけ腕力を使わない、あるいは有効に(少ない力で)使うためにはできるだけ手が体から離れないほうがいいわけです(テコや歯車など初級物理学でわかること)。それが間をうめて体を密着させる理由です。
次に〔押す動き〕です。
極論ですが、合気道には引く動きはない、みんな押す動き、というふうにご理解ください。
引くことのデメリットは大きくふたつです。
その一、引くよりも押すほうが力が出る(伝わる)ことは体験的におわかりではないでしょうか。変な例えですが、前輪駆動車と後輪駆動車ではどちらが踏ん張りが効くか、かつてのラリーでリアエンジン、リアドライブのポルシェが圧倒的に強かったことが証明しています。荷車を引くより押すほうが重いものを移動しやすいということです。
その二、引く動きによって、せっかくつくった程良い間合いが広がってしまい、自分の勢力圏からはずれてしまいます。その結果、相手の反撃をくいやすくなります(合気道の稽古では相手は反撃してきませんから気づきにくいのです)。
横面打ちや逆半身片手取り四方投げ表の序盤の動き(一般的には斜め後方に回る)を例にとれば、前足を引き後方に回しつつ掴まれたほうの手を引き寄せる動きをする方がいますが、この下がり方が単純だと受けは片手と両足が自由ですからいろんな第二撃が可能です。
ですから、間合いを広げるのではなく、逆に、詰めるように動くのが合理的です。そのためには前足を引くのではなく、後ろ足が出るようにするのです。そうするとちょうど相手のふところに入り込むようなかたちになり、そのことによって受けの手を押し出すことが可能になります。手は引くのではなく押すのです。一教の裏も、受けの腕を引き回すのではなく、相手に密着し受けの肘を押し出すようにして回し落としていきます。
今回の二つのテーマは、実はどちらも同じことを言っています。それは、自分と相手がつくる距離(間合い)を、動きの中でどんどん詰めていくということです。このことを黒岩洋志雄先生は『相手に打たれるくらいのところまで入っていかないと、こちらも打てないんですよ』とおっしゃっていました。これが武道、武術の実像です。
まずは〔間をうめる〕から。
ここでいう『間:ま』とは一義的には自分と相手との間にできる空間のことですが、時間の間(タイミング)でもあります。しかしまあ、とりあえず空間に限定して話を進めます(タイミングをはずしたらどんな技も意味をなさないという前提です)。
さて、合気道における掛かり技法(片手取りだとか肩取りだとかその他もろもろ)は、少なくとも稽古においては自分と相手との間合いを決定づける働きをします。つまり、始動時における近距離(肩取り)、中距離(片手取り)、遠距離(正面打ち)をそれぞれ表現しています。そのいずれにおいても大なり小なり相手とのあいだに空間が生まれます。合気道の技はこの空間を自分の体でうめていくことで有効な働きをします。
たとえば、正面打ち一教は受けの腕をすり上げて上段で崩すことが極めに至る手段ですが、それだけでは技法の実体を説明したことにはなりません。実行手段としては、自分と相手の腕が上段で接している下に山形の空間があるので、そこに自分の体を進めて、体で空間をうめていくことが肝要です。相手との間が離れたままで腕力だけでねじ伏せるような動きは武道、武術ではありません。
そのような理屈は、四方投げでも腰投げでもなんでも一緒です。相手との間をうめないと技にならないことは柔道も同じで、たとえば相手が背負い投げにきたとき、こちらは投げる側の後腰を手で押し出し、相手の背中と自分の腹との間に空間をつくれば投げはくいません。柔道家はそれを克服するために数知れないほどの打ち込みの稽古を重ねるわけですが。
かいつまんで言うと、間をうめるということは相手と密着するということです。合気道の技のほとんどは手を使って行いますが、手は体のなかで最も器用な部位なので、どうしても手(腕力)に頼ってしまいがちです。できるだけ腕力を使わない、あるいは有効に(少ない力で)使うためにはできるだけ手が体から離れないほうがいいわけです(テコや歯車など初級物理学でわかること)。それが間をうめて体を密着させる理由です。
次に〔押す動き〕です。
極論ですが、合気道には引く動きはない、みんな押す動き、というふうにご理解ください。
引くことのデメリットは大きくふたつです。
その一、引くよりも押すほうが力が出る(伝わる)ことは体験的におわかりではないでしょうか。変な例えですが、前輪駆動車と後輪駆動車ではどちらが踏ん張りが効くか、かつてのラリーでリアエンジン、リアドライブのポルシェが圧倒的に強かったことが証明しています。荷車を引くより押すほうが重いものを移動しやすいということです。
その二、引く動きによって、せっかくつくった程良い間合いが広がってしまい、自分の勢力圏からはずれてしまいます。その結果、相手の反撃をくいやすくなります(合気道の稽古では相手は反撃してきませんから気づきにくいのです)。
横面打ちや逆半身片手取り四方投げ表の序盤の動き(一般的には斜め後方に回る)を例にとれば、前足を引き後方に回しつつ掴まれたほうの手を引き寄せる動きをする方がいますが、この下がり方が単純だと受けは片手と両足が自由ですからいろんな第二撃が可能です。
ですから、間合いを広げるのではなく、逆に、詰めるように動くのが合理的です。そのためには前足を引くのではなく、後ろ足が出るようにするのです。そうするとちょうど相手のふところに入り込むようなかたちになり、そのことによって受けの手を押し出すことが可能になります。手は引くのではなく押すのです。一教の裏も、受けの腕を引き回すのではなく、相手に密着し受けの肘を押し出すようにして回し落としていきます。
今回の二つのテーマは、実はどちらも同じことを言っています。それは、自分と相手がつくる距離(間合い)を、動きの中でどんどん詰めていくということです。このことを黒岩洋志雄先生は『相手に打たれるくらいのところまで入っていかないと、こちらも打てないんですよ』とおっしゃっていました。これが武道、武術の実像です。