合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

313≫ 世界標準候補 〈入り身投げ〉

2017-01-27 16:15:03 | 日記
 世界標準候補、基本の技の三つめは入り身投げです。
 
 そもそも合気道の技で入り身を伴わないものはありません。入り身というのは相手の背面に入るものに限るわけではなく、相手との距離を狭めることを前提に間合いに変化をもたらす体移動のことです。そういうことですから、入り身投げというのは特に入り身を意識した技法の名称だと考えていただければよいと思います。

 さて、わたしは合気道の技に必須のものとして崩し(タテの崩しとヨコの崩し)をあげています。それに対して入り身投げはヨコとタテの複合といいますか、螺旋的な崩しであると考えています。実際にやってみるとわかりますが若干の回転を伴う斜め上または斜め下の崩しになります。

 入り身投げは大きく、正面打ちとそれ以外の掛かり(2、3の例外あり)に分類できます。したがって、ここでは正面打ちと相半身片手取りの二つを取り上げます。

 まず、正面打ち入り身投げです。これは入り身投げの代表のように考えられていますが、崩しの視点から見るとどちらかといえば例外的な技法です。

 受けは徐々に取りとの間を詰めていき、一足一刀の間合いから正面を打っていきます。取りは(右相半身として)右手を受けの右手に合わせ(打ってきたのを受けるのではなく合わせるだけ)、同時に右足を一教裏のときと同じように左にずらし、左足を大きく踏み出し受けの背後(多くの人が入り身不足です。せめて受けの右肩甲骨くらいまで)に入り身します。取りは左手の肘を締めながら受けの首筋に当て右手は立て気味にして受けの右手を制し、左足を軸に右足を回し開きつつ腰を落とします。

 そうすると受けは自分の右斜め前下方に崩れ落ちるかたちになります。あとは受けが体勢を立て直そうとするのに合わせて返すだけです。ここで是非ご理解いただきたいのは、入り身投げの稽古でよく見る、受けが這いつくばって取りについていくようなやり方はあまりお勧めできないということです。あれは単なる取りの自己満足か取り受け双方の勘違いの産物で、武術的にはあり得ないかたちです。なぜあり得ないかは既にご存知でしょうから申しません。もしお分かりでない方は、それが実戦で通用するかどうかを考えればすぐ分かると思います。もちろん、合気道の稽古の多くの部分は実戦を想定したものではありません。しかし間合いや体移動は実戦を想定したものでないと稽古する意味がありません。

 入り身投げ、もうひとつは相半身片手取りです。その大部分は正面打ち入り身投げと同じですが、唯一異なるのは、正面打ちでは受けの重心が手刀の振り下ろしの関係上前足がかりになっていますが、片手取りではそのようにはなっていないことです。正面打ちでは手刀を下に切り下げ、かつ前進しているので前足に重心がかかっているので下方に崩せるのです。そういうベクトルがない片手取りでは下に崩せません。それで、正面打ちと同じように受けの背後に入り身したら、取りは左手のかかっている受けの首筋を自分の右肩口に引き付けます。そのまま左足を軸に回転し右手を上げていくと肩も上がり、受けの顎も上がります。なおも回転を続けると受けの腰が前方に流れ適当なところで倒れます。

 以上、入り身投げです。下方への崩しと上方への崩しがあり、一般的と考えられている下方への崩しは前足がかりに限定され、むしろ例外的であることがおわかりでしょう。

 ここまで世界標準候補として一教、四方投げ、入り身投げを提示してきました。基本の技といわれる三つの技法ですが、単に表面的な美しさや動きを真似するだけでは本来の存在意義がわかりません。動きの一つひとつに、そうでなければならない理由があります。なぜ右足が前なのか、なぜ手のひらを反すのかなど、そのなぜを考えながら稽古するのも楽しいものです。そしてそれは最強の武道を作り上げるための必要条件でもあります。

 世界標準候補としては以上ですが、いずれ機会をみて基本に準ずる技にも対象を広げてみることも考えてみようかと思います。

312≫ 世界標準候補 〈両手取り四方投げ裏〉

2017-01-09 18:12:46 | 日記
 世界標準候補、本年の幕開けは四方投げの裏です。昨年末には同じく表について述べました。表と裏でワンセットだとお考えの向きには途中で年を越すのは納まりが良くないと感じられるかもしれませんが、あえて申し上げます。表と裏は別の技です。四方投げに限らず全部そうです。同じなのは名称と始めのかたち、最後のかたち、それだけです。意味や理合いはまったく違います。その点どうぞご留意ください。

 さて、四方投げ裏です。これもあえて両手取りですが、逆半身です。両手取り四方投げの表が相半身で裏が逆半身なのは、かつて所属していた東京のО道場に本部から指導にこられていた奥村繁信先生だったか鳥海幸一先生だったかの方法ですが、そのころは意味もわからずやっていました。合理的理由に気づいたのは恥ずかしながらずっと後のことです。裏については片手取りでも構わないのですが、両手取りで雑な動きをすると受けに返されやすい(受けも両手が働く)のでより気を配るようになることや、両手を体の中心に保つことが容易だというメリットがあります。

 取りの左半身ということにします。まず左足を受けの右足に並ぶくらいに踏み出します。このとき両手を押し込むようなことはしないで、そのままの位置に残すと踏み込むことによって自分の腹(帯の結び目あたり)に触れるかたちになります。ここから、両手を腹につけたまま両足の母指球を軸に後方に向きを変えると(2軸回転)正眼の構えに近いかたちになります。次に右足を引いて両手を振りかぶり大上段に構えます。このとき自分の右手の甲が額に触れるくらいにします。高く振りかぶるのではありません。この段階で左大上段になっています。そこから右回りに後方を向き両手を切り下げ、表と同じように極めます。

 ここまで、全体を通して腰を落とすことが肝要です。腰高だと表で説明したと同じようにこちらが回るのに合わせて受けも回ってしまったり、受けがちょっと手を引いたくらいで倒されたりします。

 ですから、ここで言う転換は、一般に理解されているようにコンパスで円を描くような片足(1軸)回転ではなく、両足での2軸回転のあとに前足を引くという方法です。これは、正眼から大上段という剣の構え、理合いに通ずるということもありますが、何より体軸が回りながら移動するという1軸回転の不安定で外力に弱い動きを嫌うからです。合気道の稽古で木刀を使って素振りや型をする理由の一つはこんな時に役立つからかもしれません。
 
 合気道は円の動きで、それは寄ってくるものを弾き飛ばすくらい強いと言うひとがいますが、それは独楽のように一秒間に何十回転も何百回転もする場合です。われわれの転換くらいでは、かえってよろけるのが関の山です。それが一軸回転を避ける理由です。

 表、裏を通して四方投げの説明の最後に、ヨコの崩しについての最近の解釈を記しておきます。わざわざ〈最近の〉ということはマイナーチェンジがあったということです。

 四方投げはヨコの崩しを代表する技法ですが、これは受けの手首をつかんで横(水平方向)に引いたり押したりすることとはちょっと違います。少なくとも受けの肘が伸びきるように力を加えるのではありません。受けの腕は肘が曲がってどちらかといえば縦回転に近いかたちになります。力の加えどころは手首ではなく肘のあたりです。そのために手首は軽く持つだけにして、(左半身の場合)自分の左肘を受けの右肘のあたりに密着させます。そこで振りかぶると受けの肘が押し出され(正確には、肘が押し出されるように振りかぶる)体はヨコに崩れるのです。ヨコの崩しなのに腕は縦回転になるというところがミソです。

 腕の縦回転について、裏に関しては以前からその通りだったのですが、表においてもより縦回転に近いほうが自然で無理がないことに気づき、そのため動きが少し変化しました。

 より良い方法に気づいたことを喜ぶべきか、今まで気づかなかったことを悔やむべきか。ぜひ前者であってほしいものです。

311≫ 年頭に武術の核心を考える

2017-01-01 00:49:35 | 日記
 
 明けましておめでとうございます。本年も皆様どうぞ健康第一でご精進ください。

 昨年最後のテーマは両手取り四方投げ表でした。基本の技についてはそれで半分くらいで、この後まだ続きますが、年の初めから重箱の隅を突っついたような技法論は勘弁と思われる方もいらっしゃるでしょうから、少し本質的な話から始めたいと思います。

 合気道稽古にあたって意識の上で一番大事だと思うのは、武術技法(技法論に関して言うときは武術と表現します)の目的を理解することです。言い換えれば、相手の打ってきた手をとって床に押しつけたり、手首を返して投げたり、そういうことが稽古の目的ではないだろうということです。そんなことなら普通の人の何倍かの筋力鍛錬やらで体をつくり、大きな力量差で相手を圧倒すれば済む話です。大人が赤子の手をひねるように。

 わたしたちの稽古がそのレベル、方向性を目指しているわけではないことは自明ではないでしょうか。わたしたちは武術技法の練習を通じて、その核心を学ぶべきなのです。それは、一にも二にも身を護ることです。身を護るとは負けないことです。あえて勝たなくてもよい、戦いを避けられるものなら避ける。しかし逃げられないとなればあらゆる手段を講じて勝つ、武術の稽古はここを想定しています。そこには近代の精神論や道徳の入り込む余地はありません。

 あらゆる手段といっても、なかには人に見られたら秘密がばれたり恥ずかしくなるようなものもあります。そういうものは密かに個人的にやればよろしいので、実際の稽古で取り上げることのできるものはそんなに多くありません。方法、方向性を間違えなければ普通の技法稽古で十分です。

 武術の核心(身を護ること)をかたちにする稽古とは簡単にいうと優れた足捌きによる体の移動を学ぶことです。これに投げ固め技や打突技を織り込むことで武術がかたちをなすのです。ここで体の移動とは自分有利の間合いをつくることです。これがない技法はただの力技です。ちなみに世界標準候補シリーズではすべてそれを意識して選択しています。

 合気道の稽古では往々にして手を使いすぎる傾向があります。手は大きくも小さくも遣えて便利なのですが、それに頼りすぎると体の移動がおろそかになりがちです。それこそが〈間〉違いで、それではこちらの急所や弱点をさらけ出すばかりで相手の思うつぼです。より大事なのは手ではなく足です。
 
 自分有利の間合いとはどういうものかを常に考えて動くような稽古をしましょう。合気道は相手が第一撃以外は攻撃してきませんからそのような工夫ができるのです。現実的でないからこそできる稽古法です。おおいに活用しましょう。

 こんな調子で今年も勝手なことを言ってまいります。どうぞよろしく。