合気道には試合がありませんので、普段の稽古は決まった動きを決まった通りに運ぶことになっています。広い意味での型稽古に含まれると思いますが、古流のそれは技法の前後に決まった作法があり、それに比べれば合気道の定めはだいぶ緩いものです。それでも便宜上型と呼ぶことにします。型稽古では個々の体格、体力によって若干の工夫変化は認められますが、やりにくいなどという理由で動きを改変することは許されません。
今や武道においても試合形式が大人気ですが、合気道がそのような方法をとらないのはなぜでしょうか。いくつかの理由があると思いますが、そのうちのひとつをお示しいたします。
先日の稽古で、久々に黒岩洋志雄先生直伝の棒きれ(ステッキ)術をしました。棒きれ術につきましては以前に述べていますのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、あらためてご説明いたします。これは黒岩先生が若いころ考案したもので、身近にある1メートルほどの棒状のもの(傘だのステッキだの、モップの柄でも構いません)を利用して、合気道の稽古で培われた動作で操って敵を制圧する方法です。
これのポイントはなんといっても一教や四方投げやその他もろもろの合気道技法そのままの操体法をもって棒きれをあやつるということです。合気道一般に刀や杖を使う方法はありますが、その多くは合気道の〔ような〕刀術であったり合気道の〔ような〕杖術であったりで、合気道そのもの、本来の操法にはいささか遠いように思われます。しかし黒岩式棒きれ術は極力合気道の技法に則った動きで、そのためには元になる体術の体捌きがしっかり身についてないといけません。試しに子供の部の稽古でちょっとだけやらせてみたのですが、棒先が向かってくる恐怖から通常の体捌きが乱れてしまい、しっかり動きが身につく前に取り入れるのは断念しました。
この棒きれ術の稽古では、まず基本的な体術で動きを確認し、次に棒きれを介在させて同じ動きで相手を制する稽古をします。この場合、手取りと同様に棒先を相手に取らせます。さらには、棒を取らせず、座頭市の逆手斬りのように振り、打ち込む動作を稽古します。つまり、ひとつの動きが3態に変化する、とても面白い稽古ですが、先述のように、元になる動きがしっかり身についていないと有効な動きになりません。要するに、繰り返し繰り返しの型稽古の意味はこういうところにあります。
このように、武道、武術としての合気道の本質にせまる棒きれ術ですが、わたしが在京で黒岩先生の稽古に通っていたころには教えていただいておりません。それは、当時、合気会の大番頭格でいらっしゃった大澤喜三郎先生に禁じられていたからです。黒岩先生が本部道場で自らが考案した棒きれ術をやっていたところを大澤先生に見とがめられ、大先生はそのようなことを教えておられないということで『大先生の目の黒いうちはやってはいけない』と言われたそうです。黒岩先生は大澤先生を深く敬愛しておられましたのでその通り従ったのですが、そのとき『大先生が考えておられるのはこのようなこと(棒きれ術で表しているような意味)ではないのですか』と伺ったところ、大澤先生から、それはその通りだと思うとの言葉をいただき、納得して棒きれ術を封印したのだそうです。
その後、大先生が入神されても封印を解きませんでした。わたしが黒岩先生に師事したのはちょうどそのころです。そしてさらに大澤先生がお亡くなりになったところで再開したということです。そこまで待ったのは大澤先生への尊敬の表れでしょう。
本文のはじめに『やりにくいなどという理由で動きを改変することは許されません』と述べましたが、実のところ、わたしは棒きれ術の一部を変えています。ただし、合気道本来の動きに一層近づけるための工夫ですので、許していただけるのではいかと、これは勝手に思っています。
今や武道においても試合形式が大人気ですが、合気道がそのような方法をとらないのはなぜでしょうか。いくつかの理由があると思いますが、そのうちのひとつをお示しいたします。
先日の稽古で、久々に黒岩洋志雄先生直伝の棒きれ(ステッキ)術をしました。棒きれ術につきましては以前に述べていますのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、あらためてご説明いたします。これは黒岩先生が若いころ考案したもので、身近にある1メートルほどの棒状のもの(傘だのステッキだの、モップの柄でも構いません)を利用して、合気道の稽古で培われた動作で操って敵を制圧する方法です。
これのポイントはなんといっても一教や四方投げやその他もろもろの合気道技法そのままの操体法をもって棒きれをあやつるということです。合気道一般に刀や杖を使う方法はありますが、その多くは合気道の〔ような〕刀術であったり合気道の〔ような〕杖術であったりで、合気道そのもの、本来の操法にはいささか遠いように思われます。しかし黒岩式棒きれ術は極力合気道の技法に則った動きで、そのためには元になる体術の体捌きがしっかり身についてないといけません。試しに子供の部の稽古でちょっとだけやらせてみたのですが、棒先が向かってくる恐怖から通常の体捌きが乱れてしまい、しっかり動きが身につく前に取り入れるのは断念しました。
この棒きれ術の稽古では、まず基本的な体術で動きを確認し、次に棒きれを介在させて同じ動きで相手を制する稽古をします。この場合、手取りと同様に棒先を相手に取らせます。さらには、棒を取らせず、座頭市の逆手斬りのように振り、打ち込む動作を稽古します。つまり、ひとつの動きが3態に変化する、とても面白い稽古ですが、先述のように、元になる動きがしっかり身についていないと有効な動きになりません。要するに、繰り返し繰り返しの型稽古の意味はこういうところにあります。
このように、武道、武術としての合気道の本質にせまる棒きれ術ですが、わたしが在京で黒岩先生の稽古に通っていたころには教えていただいておりません。それは、当時、合気会の大番頭格でいらっしゃった大澤喜三郎先生に禁じられていたからです。黒岩先生が本部道場で自らが考案した棒きれ術をやっていたところを大澤先生に見とがめられ、大先生はそのようなことを教えておられないということで『大先生の目の黒いうちはやってはいけない』と言われたそうです。黒岩先生は大澤先生を深く敬愛しておられましたのでその通り従ったのですが、そのとき『大先生が考えておられるのはこのようなこと(棒きれ術で表しているような意味)ではないのですか』と伺ったところ、大澤先生から、それはその通りだと思うとの言葉をいただき、納得して棒きれ術を封印したのだそうです。
その後、大先生が入神されても封印を解きませんでした。わたしが黒岩先生に師事したのはちょうどそのころです。そしてさらに大澤先生がお亡くなりになったところで再開したということです。そこまで待ったのは大澤先生への尊敬の表れでしょう。
本文のはじめに『やりにくいなどという理由で動きを改変することは許されません』と述べましたが、実のところ、わたしは棒きれ術の一部を変えています。ただし、合気道本来の動きに一層近づけるための工夫ですので、許していただけるのではいかと、これは勝手に思っています。