合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

329≫ シリーズ 黒岩合気道 ②

2017-11-28 18:29:42 | 日記
 黒岩合気道を理解するためのキーワードとして以下のものをあげることができます。
ー① タテの崩し・ヨコの崩し
ー② 虚と実
ー③ 隙間を埋める
大きくは以上の三つです。

 その中から今回は≪①タテの崩しとヨコの崩し≫について説明します。

 合気道の稽古においては、単純な力比べに陥らず、取り受け双方のなめらかで無理のない動きによって一つの技法が形づくられます。これは、あらかじめ決められた動きを利用し合理的な体遣いを身につけるための有効な稽古法です。

 しかし、この方法に慣れすぎると、武道としての現実的な攻防から大きく外れた、なれ合いともいえる動きが合気道なのだとの誤解を生じます。

 本来、人ひとりを投げ、押さえるには大変な工夫が必要です。それは柔道などの他武道をみても明らかで、生半なことではとても技になりません。柔道では崩しが明確に意識され、稽古の大半がそれに費やされるといってもいいくらいです。

 黒岩合気道においてはそれをタテとヨコにわけ、タテの崩しは一~四教、ヨコの崩しは四方投げに当てはめています。

 タテの崩しにおいては、上段・中段・下段・地のそれぞれに一・二・三・四教をあてます。例えば、一教は上段の崩しのもとに施されるということになります。一教を腕押さえということがありますが、それは技の終末動作であり、大切なのはそれに至るまでの体遣いです。そこで必須なのが上段の崩しで、受けの重心をわずかに浮かせるような体遣いをします。その他も、崩しの位置の高さは異なりますが、考え方は同じです。

 ヨコの崩しは四方投げの崩しですが、これは四方投げに限らず、天秤投げ、腰投げその他受けの正面に入り込む技法すべてに関係します。したがって、例えば四方投げは単に受けの腕をくぐって倒すというものではなく、技の初期段階において受けを横(水平面)に引き出すように崩すことから始まるわけです。

 これらを通じてわかることは、黒岩先生が求めていたのは使い物になる合気道だったということです。もちろん崩しをかけただけで技が使い物になるわけではありませんが、まずはそこから始まるということを理解しなければなりません。それが無いと、やれ小手捻りだ、やれ小手返しだといってみたところで、そこまで行きつかないのですから端から勝負になりません。いかに平和を愛する現代武道だといっても、遣えなくてよいということにはなりません。

 崩しは武道としての十分条件ではありませんが必要条件ではあります。

328≫ シリーズ 黒岩合気道 ① 

2017-11-09 16:31:32 | 日記
 先日、わたしがこれまで開催してきた講習会に何度か遠路参加してくださっているSさんがこのたび初段をとられたとメールをくださいました。昨年秋からはわたしの体調が十全でないせいで開けずにいますが、このようなことがあるとまた頑張ろうと意欲がわいてきます。

 ところで、その講習会はわたしが長く師事した黒岩洋志雄先生の逝去をうけ、その優れた合気道を絶対に廃れさせてはいけないとの思いから自己の力量もわきまえず開催してきたものですが、黒岩合気道を広く知らしめたいとの希望は先生の生前からあり、このブログもそのためのひとつの試みとして始めたものです。顧みると第一回目は今から10年前(2007年)の2月で、すでに若いというには気が引ける年齢でしたが、その後の10年間に限ってみてもわたしの技法が年々変化してきていることに気づきます。その変化は極めて小さいものですが、より良い方向へのものだという自負はあります。

 そのようなわけで、わたしの合気道のベースたる黒岩合気道について様々な事どもを書き連ねてきているものの、このブログに最初からお付き合いいただいている方々(どれだけいらっしゃるか分かりませんが)以外はあまりその基礎部分に触れたことのない方が多いのではないかと思います。それで、これから何回かに分けてあらためて黒岩合気道の核心を重複を懼れず記すことにいたします。どうぞ参考にしていただきたいと思います。

 ただ、厳密には黒岩合気道のわたしなりの解釈ですから、微妙なところで先生の思いと異なることがあるかもしれませんし、わたし独自の考えが紛れこんでいるかもしれません。そこは読み手の方が柔軟に読み説いてください。

 本項ではその初回として、まずは現代武道としての合気道の立ち位置というものをはっきりさせておきたいと思います。ここでいう立ち位置とは、簡単に言えば『合気道を通じて何をしたいのか』ということです。合気道は間口の広い武道ですから、健康法、精神修養そして武術本来の闘争法等々いろいろな目的に適います。

 合気道の究極の目的は大先生がおっしゃった地上天国の建設であることは言うまでもありませんが、そこに至る道はいくつもあり、そのどれを採るかはあらゆる合気道家に任されています。黒岩先生は、そのうち実際的効用のある武術性を目指しておられたのだと思います。ただし絶対に間違ってはいけないのは、具体的な合気道技法がそのまま制敵術として通用するとは考えておられなかったということです。

 『野球では3割打つと名バッターといわれるんですよ。それでも7割は失敗しているんです。われわれ合気道は名人でも10回に1回成功すればいいほうでしょうね』。これが先生の認識です。要は、現実的には使い物にならないと言っておられるのです。

 もちろん、だからといって稽古なんか意味がないということではありません。稽古は大切なのです。それでは稽古で何が得られるか、それが本シリーズのメインテーマで、それをこれから何回かに分けて詳らかにしようということです。

 (もったいぶって)次回以降にご期待のほどを。