合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

284≫ 空手形?

2015-12-23 16:36:04 | 日記
 今年も一年間、本ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。文章が冗長になりがちで、時にはほとんど読むに値しないであろうことなども書き散らしている、本当に拙いブログだという自覚はあるのです。それでも続けているのは、合気道理解を助けてくれそうな何かを誰かに伝え、あわせて自分自身が再確認するための媒体と考えているからです。そのために、受けた教えとそれをもとに自分で考えたこととを合わせ、思い出し思い出し書きとめているわけです。

 そう言ったついでに、その理解を助けてくれる何かのうち、本当に外してはいけないことをひとつだけ確認しておきたいと思います。

 それは《間合い》です。間合いというのは相手と自分との位置関係ですが単なる距離ではありません。距離は奥行きですが、他に方向(左右)、角度(上下)というふうに、相手と自分との間にできる空間の要素すべてを意識した位置関係です。

 これに加えて、相手の出端をくじくタイミング、あるいは予想を裏切る拍子なども広い意味での間合いに含まれると思います。つまり、空間と時間の両方で成立する概念が間合いです。

 合気道に限らずすべての武道・武術というのは結局のところ間合いの取り合いです。多くの場合、先に自分の間合いを作った者が勝ちます。そういうことですから、稽古は各人固有の間合いを獲得するためにするものだと言って良いでしょう。まずはこのことだけ提起しておきたいと思います。

 さて、そろそろ来年のことを語っても鬼が笑わない日数になりました。それで、実現可能性はとりあえず措いといて次のふたつのことをやってみたいものだと考えています。

 ひとつは、結構続けてきているこのブログの中から、意味のある部分をピックアップしてまとまりのある文集にすることです。もうひとつは、先に述べた間合いのことなども含め『文章の限界』を超えてわかりやすく説明できるよう動画化に取り組むことです。どちらも簡便なものを想定していますので技術的にはそれほど難しくないと思います。もちろん、ひと、もの、かね、と必要なものはいろいろありますが、一番必要なのはなんといってもわたし自身のやる気でしょう。その壁を乗り越えることができるか、これが来年の努力目標です。

 空手形にならないよう頑張ってみます。うまくいたっらこのブログで観ていただけるようにしますので、その際はどうぞご笑覧ください。 
 
 そういうわけで、本ブログ、おそらく今年の分はこの項が最後になるでしょう。新たな希望の新年まであとひと踏ん張り、体に気をつけて頑張りましょう。

 どうぞ良いお年を。

283≫ こじつけですが 

2015-12-16 16:51:12 | 日記
 本ブログ281の項で、『悪なるひとのことは項をあらためて』と言いました。そのことを今回は取り上げます。

 師走も半ば、いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。師走の語源はいくつかあるということのようですが、わたしなどは年が果つる(シハツ)というのがそもそもの意味ではないかと素人考えしています(あてになりませんが)。また、お坊さんが一年のシメの法施のために急ぎ歩いて檀家をまわることから来ているとも言われます。

 そのように近所の家々をまわるのではなく、流罪や布教のために国のあちこちをまわった僧のひとりに浄土真宗の祖親鸞がいます。彼の『善人なほもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という言葉は有名ですが、そこには既成の価値観をひっくり返した特別な思いがこめられています。悪人正機説といわれるものですが、ここでいう悪人とは決して悪事をはたらいた人という意味ではありません。

 仏教ではもともと自分の努力で修行を成し遂げる、それが悟りや往生につながると教えています。それが日本にあっては、位の高い人や裕福な人のあいだに、修行とは関係なく財物を寺に寄進したり、はては寺そのものを建立したりすることで救済に与ろうとする風潮が出てきました。要するに、善人とは信仰に基づきそういう努力をしたり仏のために能力、財力を提供できる人々のことです。

 しかし現実の世の中は、だれもがそのようにできるわけではなく、多くは今以上の努力や財力を求められてもとてもできる境遇にはありません。それは今も昔も同じです。仏教(正確には寺や僧)に寄与することが少なく、したがって救済から最も遠いところで生きているのが大方の民衆であり、親鸞はそのような人々を既成の基準から見て『悪人』と呼んだのです。

 ここから親鸞の革命的というかコペルニクス的転回の経文解釈が生まれてきます。彼は阿弥陀経などの経典の解釈を通じて、そのような無力な悪人こそが阿弥陀如来による救済の本来の対象、すなわち正機であると説いたのです。仏教に貢献している人を措いて悪人を救うなど、それはおかしいじゃないかという勢力は当然ありましたし、そのために生涯苦労もしましたが、この親鸞の思想が生まれたおかげで日本仏教は間口と奥行き、そして厚みをを大きく増したといえます。(ちなみに当方は曹洞宗の檀家で、浄土真宗とは特に縁がありません。念のため)。

 ここまで書いてくると、うすうすお気づきの方もいらっしゃると思いますが、そのような親鸞的発想を合気道に持ち込んだのが他ならぬ黒岩洋志雄先生であると不肖の弟子は考えています。開祖に全幅の信頼を寄せながら、弟子の間に定着した既成の合気道理解や硬直した価値観に異議をとなえ、他からの圧力も受け流し、疑問を感じている後進には開眼のための明確な根拠を示すなど、いくつもの共通点があるように思います(その詳細については古い項を見ていただければよいのですが、それもまた面倒でしょうから機会をみてもう一度まとめてお伝えしようと考えています)。

 一点違うのは、親鸞の生んだ『悪人』の集まりが後々日本一の大教団になったのに対し、黒岩先生を慕う者たちの数は全合気道家の中のほんのひと握りでしかないということです。これは、黒岩理論が一般の理解を越えていて、したがって、それに基づく特徴的技法の意味が伝わりにくかったのではないかと、わたしなどは考えています。

 また、こちら側が誰にでも門戸を開いているといっても、一般の方がわざわざ未知の領域に一歩を踏み入れるにはそれなりの勇気も必要で、まして現状に特段の疑問を抱いているわけでもない人ならなおさらです。そういうことも考慮し、先生の教えを受けた人の中にはその遺産を守り広めたいと考えて稽古会を主宰している方もいますので、ご縁があればどうぞ参加してみてください。必ず新しい発見があるはずです。

 わたしは良師を探し求めたすえに黒岩合先生に巡りあったのですが、そのおかげで恥ずかしながら今でもいっぱしの合気道家面をしていられるわけです。もっとも、『あなたたちが師匠を選ぼうとするのと同じように、わたしにだって弟子を選ぶ権利はあるんですからね』と言われたわたし自身が黒岩合気道における『正機』であるかどうかは未だにわかりません、はい。

 ちなみに、日本仏教の偉人でいうと、空海のような天才肌の人、最澄のようなまじめで包容力のある人、道元のような純一無雑の人、日蓮のように曖昧さを許さない闘士のような方々が合気道界にもいらっしゃいました。わたしにもそれぞれに心当たりがありますが、皆さんのまわりにもいらっしゃるのではありませんか。合気道が個性を尊重する武道であることの証です。

 さて、年内中にもう一回くらい書けるかもしれませんが、どうなりますか。いずれにしろお元気で年の瀬をお過ごしください。

282≫ どうせやるなら

2015-12-07 11:59:24 | 日記
 人にもよるのでしょうが、最近は若い人や子供さんはあまり童謡をご存じないようです。そのかわり、わたしなどが知らないことをたくさん知っていて、それはそれで結構なことです。なにもみんなが自分と同じような興味、関心を持っていなくてはならないなんてことはないわけです。

 なまじ古い歌を知っていて、かえって困惑することもあります。『船頭さん』という童謡があります。村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん、という歌詞で始まります。いま聴くと『えっ、オレより若いじゃないか』と、こちらは動揺。わたしなどの感覚では、おじいさんといえば明治生まれと相場がきまっていましたから、いまや自分がその埒内に含まれることなど、すぐには胸に落ちないのです。

 しかし、冷静に振り返ってみると、ずいぶん馬齢を重ねたものだと感じざるを得ません(謙遜ではなく事実として)。これはたぶん合気道をライフワーク(必ずしもプロという意味ではありません)にするという決断が遅かったせいだと思います。

 思い返せば、18歳で上京し、大学から足の便の良いO道場で入門して、週4回の稽古に励みました。当初は通学に1時間半ほどもかかりましたから、できるだけ稽古のある日に授業を集中させ、他の日はアルバイトをするなど、無駄がないようにそれなりに工夫をしていました。

 そのうち、通常の稽古以外に西尾昭二先生や黒岩洋志雄先生の稽古に加えていただくようになって、意識の上では合気道七分、学業三分くらいの生活になりました。それでも、その時点で合気道をライフワークにしようという決断には至っていませんでした。

 その思いが変わるきっかけは4年間の大学生活を終え、帰省を前に挨拶のためO道場の道場長ご夫妻を訪ねたときです。そのとき奥様から『帰っちゃうんですか。あなたの後輩がたくさん頑張ってるんですけどね』と言われたのです。要するに1年くらいお礼奉公しても罰は当らないだろうということのようでした。わたしよりも優秀な先輩が幾人かいたのですが、就職や任地その他の関係で道場を離れざるを得ず、わたしが稽古生頭みたいな立場にあったからです。いささか唐突な申し入れだったのですが、考えた末それを受け容れることにしました。なぜかというと、当時O道場の外で師事していた黒岩先生の指導をもっと受け続けたいという思いがあり、また実家の仕事に就くのが1年延びても大して影響が無いという事情にも恵まれたからでした。

 親には聴講生として大学に1年残るという言い訳をして、その実ほとんど稽古にあてました。そうして5年間の東京暮らしを終えて帰省し、ささやかな同好会をつくり稽古を続けました。そして実際にライフワークにしようと決めたのはそれからさらに10年以上も経ってからのことです。簡単に言うと、いっしょに稽古する仲間がいる限り、どっちみちやめるわけにはいかないと思ったからです。それなら本気でやってみようと。

 そんなふうに、決断が遅くて一番損をしたのは他ならぬわたし自身でしょう。わたしが西尾、黒岩両先生の指導を受けたころのお二人は40歳代でしたが、そのころの彼らは既に事理ともに他の追随を許さないくらいのレベルにありました。それに引きかえこのオレは……これが馬齢を重ねるということであります。自分と比べるのも畏れ多いことですが、やはり『これをやるんだ』という覚悟ができているかどうかは大きな差を生みます。

 どうも老いの繰り言っぽくなってきましたので、このへんでやめておきますが、お二人の名前が出たついでにそれぞれの特徴を(何度も引用していますが)お伝えしておきましょう。同じころ本部で修行し同じ教えを受けてもこれだけ個性の違いが出てくることをわかっていただければよろしいかと存じます。そしてその包容力こそが合気道の美点です。

 西尾=合気道は剣の理合いというが、刀は触れれば切れる。だから徒手の稽古においても、自分の手(刀)は相手に届き、相手の手は自分に届かない位置(間)にいなければならない。

 黒岩=相手に打たれるくらいのところまで踏み込んでいかないと自分も相手を打てない。