合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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323≫ お尋ねに答えて

2017-08-18 19:42:11 | 日記
 本ブログをご覧いただいているY様から下記のようなコメントを頂戴しました。それにつきわたしの理解の範囲でお答えできるものはお示ししたいと思います。


①『いつも疑問に思っておりました。
私は足の運びや体遣いの細かい説明をされる指導者にめぐりあったことがありません。
先日のことですが、開祖晩年の本部直弟子の師範の講習会に参加させていただきました。稽古後の質問会で当時開祖の稽古では短刀突きの場合、刃の向きは上向きか下向きか、規定はあったのでしょうかとの質問がありました。
先生曰く、開祖は刃の向きは「なんでもええんじゃ」と言われて細かい指示もなかったというのです。
私は、今まで短刀突きの刃は上向きで下腹部から上方向に跳ね上げるのが正しいと習ってきました。
同じく開祖からは正面打ちも横面打ちも刃筋については何の指示もされなかったとのことでした。
武道の基礎的教養のある稽古生は別として合気道が初めての武道人には、何の規範も無いのは迷いが生じます。
刃の向きなどに捉われない捌き、崩しが大事なのかなと自問自答しています。
今の稽古場は、いろんな道場の経験者が寄り集まって発足した比較的新しい道場です。
何十年も他道場で稽古を積んだ方達は、中心者のお手本の技を無視して違う技を遣っています。
不思議な道場です。茨城道場系の高段者と山口清吾師範系の高段者は絶対に一緒に稽古しません。
また、会の中心者の方の技は関西の小林裕和師範系なので、初心者は稽古時間内にいろんなスタイルの技を経験します。
下手すると汗をかくだけで、何が合気道の基本だかわからずにやがて審査を受けます。
この道場の昇級昇段審査は先の開祖直弟子の先生が遠方から来られて審査されます。
審査に求められる技と普段の稽古技が違いすぎて中途半端で未消化な動きが多く見受けられます。
最近は本ブログの更新が待ち遠しいです。しかし、読ませていただくと、今の稽古内容が・・・とても不安です。

②『やはり、汗かき体操と他武道の方から言われてしまうのを自分でも肯定してしまっていたように思えます。
黒岩先生は合気道稽古者に対して「惑わされてはいけないですよ」とおっしゃっているようで、「虚実」を探求しない毎日の稽古がとても無味乾燥に思えて来ました。
と言うか私のような地方では黒岩先生を存じ上げている方は皆無です。取得された段位だけでしか実力を評価できない人には説明するのが疲れます。
「タテとヨコの崩し」を話題にしただけで誰の教えか?などと聞き返されます。
本部道場の華々しい師範方には全国、海外にそのスタイルを慕う稽古生がたくさんいらっしゃいます。
また、多くの動画も残されています。
中にはそれらの師範の動画を観て、見よう見まねで指導している先生もおられます。
合気道の普及って何だろうって、私の定年後の楽しみだった合気道の稽古が、今は悩みに変わってしまいました。』


 以上です。このようなコメントをいただくと、このブログがかえって真摯な稽古者を混乱させているのではないかという思いも湧きますが、せっかく縁があって合気道に入門されたのですから、私のような者の理解を紹介するのも少しは意味があるのではないかと思い直し、以下に要旨を記してまいります。

 まず、具体的な疑問としてあげられている短刀の扱いについて、わたしの理解(くどいようですが、あくまでもわたしの理解です)は次のようなものです。

 結論から言えば、大先生が「なんでもええんじゃ」とおっしゃったのであればそれが答えです。確かに大先生は指導の際、細々しいことには無頓着だったようです。松竹梅の剣もそのときによって竹松梅の順だったりしたようです。ただ、詳しい指導がなかったからどうでも良いということでは合理的であるべき武道を身につけようとする者の主体性が失われますし、実際の稽古としても不都合なので、たとえば刃の向きを限定したいというのもわかります。

 わたしは順手(包丁と同じ握り方)の場合は刃を下に向けます。この持ち方は一つには斬りと突きの両方に適応すること、二つには突きのとき誤って握りの手を滑らせてしまっても指を傷つけるだけで済むことです。

 稽古で真剣を使うことはあまりないでしょうが、実際の戦いではこれは重要です。突いたときに必ず相手に刺さるとは限りません。何かで突きを遮られることもあるでしょう。そんなとき鍔無しで刃を上向きに握って手が滑れば親指と人差し指の間の手のひらを切ってしまうことになります。これは以後の戦闘不能を意味します。逆手に持って、いわゆる横面打ちふうに突くときも同じ理由で刃は指側にくるように持ちます。

 下から突き上げぎみに刺すとか、やくざは柄頭にもう一方の手のひらを当てるから滑る心配は無用だというのであれば、それはそれでやればよろしいかと思います。だいぶ以前にペルーで指導されている金井さんという方(黒岩門下)とお話をしましたが、あちらでは護身術に現実の需要があるということで、短刀取りならぬナイフ取りやピストル取りが行われるそうです。かれの手首まわりにはナイフの切り傷がいくつもありました。実際に合理的で使い物になるかどうか、いかに損傷を最小限にするかが大事だということでした。そのような観点からもわたしの理解は間違っていないように思われます。

 手刀による正面打ちは、黒岩先生によると大先生はストレートパンチのように顔に真っすぐ打ち出しておられたということです。実戦的にはその通りだと思います。ただ稽古に際しては、取りに時間的猶予を与えるために一旦振りかぶって切り下げるということも正しい方法です。どちらを採用するかはその都度取りと受けで決めればよいことです。

 横面打ちは、受けとしては狙いどころはコメカミか頸動脈付近で、打ち方は右半身の場合、正眼の構えから正面打ちと同じように振りかぶり、右足を斜め前に踏み出しつつ左足を回しこみ、真っすぐ立てた手刀を自分の中心線上を切り下げます。手刀は振り下ろしに合わせて手のひらの角度が斜めになります。結果として手刀は螺旋状に動きます。刀の袈裟斬りのように斜め上から斜め下に動くのではありません。つまり、体が回る以外は正面打ちとほぼ同じ軌道をたどります。おかしく思う人もいるでしょうが、攻防の実際(受けだからといって防御をを考えなくてよいわけではありません)を考えるとこうなります。

 ついでに言うと、横面打ちの技法の際は逆半身に構えます。受けはそのまま振りかぶり斜め前に踏み出して横面を打っていきます。相半身に構えて後ろ手で打っていくやり方もありますが(多くの方はこれかもしれません)、これは短刀などを身の後ろに隠して打ち込む方法です。短刀取りの場合はよいですが、徒手でこれをやると至近距離で一瞬相手に正面をさらけ出すことになるのでお勧めしません。

 次に、いろいろな先生の指導のもと、標準にすべき動きがわからないということ、これは稽古意欲を継続させる上で結構深刻な状況ですね。ただ、考えようによっては恵まれた環境であると言えないこともないと思います。

 わたしがかつて門をたたいたО道場は3~5人の指導者がいました。本部からおいでになっている方かその系統の方が主でしたのであまり混乱はありませんでしたが、それでもやはりそれぞれ個性があって全て同一というわけではありませんでした。そこからさらに個性の強い西尾昭二先生や黒岩洋志雄先生の指導をうけましたので、トータルでいえばわたしの頭の中はゴッチャゴチャでした。しかし、このような環境の中にこそ、何が優れ何が自分の求めにふさわしいかを考える際の選択肢が示されていたことは間違いありません。豊富な選択肢を邪魔ととらえるか有り難いと考えるか、自ずと答えは明らかではないでしょうか。

 もちろん稽古においては、先生が示す方法、動きをなぞるようにするのが礼儀です。そのようにしながら、複数の先生の各動きに共通する理合いを見つけ出すことは案外楽しいかもしれません。最終的には、信頼できる指導者に出会えるかどうかですが、こればっかりは武縁ですから、わたしの手を離れます。

 タテ・ヨコの崩しといい、虚実といい、どちらも合気道稽古の真理であるとわたしは考えていますが、これは黒岩先生の理論であって、他の指導者の方がそのようなことに触れていないのはしかたありません。もったいないとは思いますが試合のない合気道(実際の優劣を決められない)ではこの辺が限界ということでしょう。

 どのような指導者に出会っても合気道のすべてを教えていただけるわけではありません。技法でも理論でも未知のものに出会い、その価値を判断するとき重要なのは『合理性』だと思います。武術というのはもともと命のやりとりを前提にしています。そこでは相手の配慮などというものはまったく期待できません。そのようなとき有効な方法は合理性に裏付けられたもののみです。合理的な技法とは再現性がある技法です。たとえば、気という不分明なものに頼ったり、特別な能力がある人しかできないようでは合理性に反します。一定の手順を踏めばだれでもできる、それが稽古をする意味のある技法です。

 言い始めると終わらなくなりそうです。今回はここまでということにしますが、足りないものがありましたら、どなた様でもまたお尋ねください。