合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

276≫ 危機管理のこと

2015-09-26 11:01:52 | 日記
 テレビで三重県伊賀市が紹介されていました。伊賀流忍術を観光の目玉にしているということで、いろいろなからくりが仕組まれた忍者屋敷の見学や忍者ショーなどで楽しませてくれ、なかなかの集客に成功しているようで、まことに結構なことです。

 ただ、ちょっと気になることがありました。ショーの一環として観光客が風車型手裏剣(一応武器です)を実際に打って楽しむのはまあご愛嬌として、スタッフによる、丸めた畳表を据物とした日本刀の試し斬りは感心できませんでした。本来、武術家が修業の一環として為すものをショーにしてしまうことに対する違和感も無くはありませんが、それよりも、その試斬が観客のすぐそばで行われていたからです。

 武道家諸氏には先刻ご存知のことでしょうが、刀を扱うに際しては間違っても周りの人に危害を及ぼすようなことがあってはいけません。何かの拍子に刀身だけ吹っ飛んでいくことがないわけではないので、柄まわりの事前のチェックはもちろんのこと、刀を振るう軌道や方向また対人距離には十分すぎるほどの注意をはらうものです。わたしなどはとりわけ臆病なので、となりで稽古している剣道の稽古者が、わたしたちが使っている畳にあがって竹刀を振り回すのにさえ注意を促します。はっきり言って、出て行けと命じます。

 とにかく、武道というものは正しく稽古していても事故が発生することがあります(あってはいけないことですが)。武道家はそのようなことも予測して行動しなければなりません。このショーの場合、観客は素人ですから刀を遣う人のほうが万全の安全策を講ずるべきで、そういう観点からするとテレビで映し出された情景はいかがなものかと思ったわけです。せっかくの行楽ですから事故が無いことを切に祈ります。

 さて、つい先日まで国会では安保法案なるものでてんやわんやでした。政治向きのことはこのブログの守備範囲ではありませんし、皆様のなかにもいろいろなお考えがあるでしょうから、わたし個人の意見は差し控えます。ただ、武道を嗜む者として、この一連の騒動を通じて思うところがありました。この法案は要するに危機管理の是非を問うているのだということはわかりましたが、その部分の討議がほとんどなされず、もっぱら法理論の解釈段階で止まってしまっていたのは残念でした。危機管理について政治家がどのように考えているかは実に興味のある課題でしたのに。

 わたしがそう思うのには理由があります。東日本大震災がそうです。そのなかでもとりわけ福島の原発事故を経験した日本人が、国民やその財産を護るためには平時においてどのような方策が必要かということに対し共通の理解を持つに至っているだろうかという思いがあります。かの事故は、専門家と称するひと達の『そのような事故は起きない』という、今になれば妄想といってもよい前提のもとに起きたのです(くどいようですが原発に賛成か反対かはこのブログの趣旨に直接関係ありません。あくまでも危機管理がテーマです)。

 このことは既に言い尽くされて、いまさらわたしが力むことはないのですが、武道家(力量からいって武道愛好者というべきか)から見ると、いかにも危機管理意識のレベルが低いと言わざるを得ません。そのレベルの低さがいくらかでも改善されたか討議を通じて明らかにしてほしかったのですが、入り口で詰まってしまって土俵にまで上がれませんでした。それが現在の危機管理のレベルだということはわかりましたが。

 武道家にとって政治は守備範囲ではありませんが、危機管理の専門家ではあります。それは個人でも国家でも基本的には同じです。まずい試斬のレベルで済ませてよいものではありません。

 そう言えば、かつて黒岩洋志雄先生と自衛隊について話をしたことがあります(もちろんわたしが聞き役ですが)。その存在と役割についての理解が今ほど国民に共有されていないころでした。そのとき先生がどう言ったかはここでは触れないでおきます。ただ、やはり武道家だなという思いを持ちました。

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275≫ 標準ではないこと

2015-09-15 17:50:45 | 日記

 いつも言っていますように合気道は未完の武道です。未完というのは完成形がないということですから、人によって動きが違ってよいのです。それは大先生の直弟子師範方の動きが十人十色であることをみてもわかります。多くの場合、その違いはそれぞれの方の履歴(指導を受けた時期や武道歴)が影響しているようですが、そういう差異を許容する度量が大先生はじめ歴代道主にはあるということです。

 しかし、動きが違ってもよいというのは何をどうやってもよいということでは決してありません。やはりそこには合気道という特定の武道としての枠組みがあり、その範囲内で自由だということです。そして、枠組みという以上はその中心に標準形があります。現在、その標準形というのは大先生監修のもとに吉祥丸先生がお示しになった一連の技法に他なりません。それは現道主が示される技法であり、また教本等に著わされていますから、原則的には合気道人どなたでも接することのできるものです。

 その標準形に示されるある局面において、たとえば右足が前とされていればそれはその通りでなければなりません。しかし、そうでない場合も実際あるのです。一例をあげれば、右半身一教表において、標準形としては振りかぶりと同時に右足を進め、切り下ろしながら左足を進めます。ところが、術者においては右足を一歩進める間に振りかぶりと切り下ろしを一挙にやってしまう方もいます。かくいうわが師、黒岩洋志雄先生も転換からの片手取り一教表においてそのような運び方をします。

 あらゆる動きには、そう動くべき理由があります。左足前であるべきところを右足前のままにする、はっきり言ってこれは原則に反します。もっとも、それくらいのことはどちらでもいいんだ、と考えていたころのわたしは気にもなりませんでした。しかし、技法に対する自身の理解が進むにつれ(そんなに昔のことではありません)そのままで良いとは思えなくなりました。まして、緻密な理論に裏打ちされた黒岩先生の技法が、どちらでも良いなどというレベルで表されるはずがないと思ったのです。

 それでその理由をいろいろと考えてみたのですが、ついにそれは間合いと関係するのであろうという結論に達しました。黒岩先生による片手取り転換からの一教表は転換した時点で普通のやり方よりも相手と密着する位置取りをします。したがって、一歩目を踏み出すとほとんど二歩目を踏み出す間隙がありません。出したくたって出せないのです。これが、相手との間合いがある程度広ければ余裕で二歩目が出るのですが、黒岩合気道は自分と相手との間にできる空間(間合い)を自分の体で埋めるというものですから、理論上隙間ができにくいのです。

 このことに気づいて思ったことは、標準形にはそうであるべき理由があるのと同様に、原則からはずれるものははずれるだけの理由があるということです。標準形からはずれた動きをする人は、その理由を自覚していなけらばならない、訊かれたらきちんと答えられなければならないでしょう。それを、何も考えず『そのように教えられたからそうしている』というのは、少なくとも上級者のあるべきかたちではありません。要するに、原則からはずれることがいけないのではなく、はずれる理由をわかっていないことがいけないということです。

 標準形を教えられ、その通りにできている人は幸せです。しかし、標準形と異なる動きをしている人はもっと幸せです。なぜなら、動きが違うことの理由を考えるチャンスを与えられたということであり、それがわかったら標準形と異形のふたつを自分のものにできるからです。黒岩合気道がそうであるように。

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【お知らせと御礼】

2015-09-12 10:44:18 | 日記
秋季特別講習会を開催いたします。
詳細は大崎合気会ホームページをご覧ください。

このたびわたくし(aga管理人)の住まいする地域で大規模な水害が発生しましたが、本ブログをお読みくださっている方々からご心配いただきましたこと、略儀ながら本欄をもって厚く御礼申し上げます。
決壊現場はわたくしの住居や稽古場からは少々離れたところですのでどうぞご放念ください。
ただ、会員や知人で被災された方もいますので、わたくしの立場でできることで支えていきたいと思います。
どうもありがとうございました。

274≫ 同時代人

2015-09-02 14:49:35 | 日記
 司馬遼太郎の作品が好きな友人からもらった【以下、無用のことながら:文春文庫】という本を読んでいます。ちょっと厚めの文庫本で、随筆や出版物の序文、解説また口演記録など、比較的短い文章を集めたものですが、中身はいろんな時代のいろんな舞台、扱う分野もさまざまで、それらを支える司馬の博識と好奇心の強さには畏れ入るばかりです。いったい人間の頭脳というものにはどれほどのキャパシティがあるのだろうかと期待を持たせる本でもあります。種々の作品群やテレビ(よく歴史番組に出ていました)を通じて記憶に残る作家であることは間違いありません。
 
 もし、同じ時代の空気を吸っていたことで同時代人といってよいのであれば、わたしの場合、司馬の後半生の40年くらいの期間において同時代人でした。もちろん単に作家と読者の関係でしかありませんが。

 ところで、わたしのこれまでの40数年にわたる合気道との付き合いのなかには、いくつかの貴重な出会いがありました。何も知らずに飛び込んだ道場で素晴らしい稽古仲間を得られたこと。後々自分の方向性を定めるに際し、きっちりと物事の基準を示してくださった先生。身近に愛好者を増やそうと思ったとき支えてくれた友人たち。ここまでを振り返る限りにおいて、わたしの合気道人生はきわめて幸せなものであると言って良いと思います。

 その、幸せな合気道人生ではありますが、一番の心残りは大先生(開祖植芝盛平先生)のお顔をご在世中に拝することができなかったことです。わたしが18歳で入門する2年前にお隠れになっておられましたから、これはなんとも致し方ありません。ですから、せめて当時の先輩諸兄が使っておられた大先生という敬称をまねることで、わびしくも謦咳に接したつもりになっているわけです。

 それでも司馬の例と同じ理屈でいえば、大先生晩年の16年間は一緒の時代の空気を吸っていたわけですから同時代人と言えなくもないのですが、そのとき何らかのつながりがあったわけではないので、これは相当無理のある解釈になってしまいます。単なる未練というべきものでしょう。

 さて、過去の偉人に思いを馳せることは意味のないことではありませんが、いま現実に同じ空気を吸っている人たちがたくさんいるわけで、そのような人たちと新たな歴史を育むことのほうが大切で前向きなことであるに違いありません。

 それではどのようにして歴史を育むべきなのか、それは、合気道は完成形ではないということ、すなわち未完の武道だという前提に立てばおのずと答えは出てきます。このことは大先生も吉祥丸先生もおっしゃっておられるように、合気道は未来に向けてますます進化発展すべきもので、その原動力はいま生きているわたしたちにあるということです。

 でもこれは言うは易く行うは難しの見本みたいなものです。なぜなら、わたしたちは何か権威にすがると楽で安心できるからです。大先生が創ったもの、吉祥丸先生が育てあげたものをありがたがっていれば、とりあえずこの世界で干されることはないでしょう。しかしそれではお二方が望んだ合気道の進化発展にはつながりません。

 そのためには、守るべきものは守りつつ、各人それぞれの個性を最大限生かした技法と理論を誠実に作り上げていくべきなのです。いうなれば不易流行です。失礼な言い方を許していただければ、合気道はラジオ体操ではない、したがって皆が同じ動きをすることはないのです。だから進化発展があるのです。そして、その変化をもたらす役割は今を生きるわたしたちにある、そのような同時代人こそ大切にしなければならないと思うわけです。 
 
 さて、このごろはちょっと古びた感じの物などを指して、昭和の匂いがするとか昭和の風を感じるというふうな言葉を聞くことがあります。たしかに、平成になって27年にもなりますから若い方にとっては前時代の風景のように思われることでしょう。でも、長いこと昭和を過ごした者からすれば、そんな昔ではないだろうと感じます。
 
 それで思うのは俳人中村草田男の『降る雪や明治は遠くなりにけり』という句です。これは昭和の初めに作られたものですが、想起される時代(明治)と作句の時代(昭和)との時間の隔たりが、昭和と平成の今との時間差に似ています。やはり昭和はひと昔もふた昔も前のことなのでしょうか。

 いやしかし、まだまだそれくらいでは昔とはいえません。昭和43年に『明治百年』を記念して全国で各種行事が催されました。そのひとつとして山口県萩市がかつて先人が戊辰の役のひとつである会津戦争で干戈を交えた歴史のある福島県会津若松市に友好交流を申し出たところ『時期尚早である』という理由で断られたことがありました。頑固な会津魂ではあります。

 百年前の人を敬慕するこころは大切なものです。であればそれ以上に、ともに今を生きる同時代人を大切にしなくてよい理由があるでしょうか。

 そんなことを考えさせられる文庫本ではありました。