このブログ、他と較べて1回あたりの文章量が多く、そのわりに写真や動画などはごく少なく、そして更新の間隔が長いという、読むほうにしてみればなんとも付き合いづらい構成でありましょう。それにもかかわらず長くご覧いただいている方もおいでで、まことにありがたく思います。
そんな中、ずいぶん回を重ねるうちに、なかには同趣旨のことを幾度も繰り返している場合があります。わざわざネットとかブログとかという手段を通じて意見を発し、また受け止めていただくという双方の手間を考えれば、そのような重複は極力避けたほうがよいのは言うまでもありません。
でも、見方を変えれば、重複して採りあげられるテーマというのは、意見を発する側にとって重要なものだということは言えると思います。今回もまたそのようなもののひとつ、合気道の現代的意義について考えてみます。
わたしの主宰する会のホームページにつぎのような一文を載せています。
【多様な価値観が共存する現代、いろいろな技芸や楽しみごとがある中で、なぜ合気道なのかという問いに正面から向き合い、揺るぎない確かな道を見つけたいものです。】
そうなんです。わたしもかれこれ40年以上も合気道を続けながら、いまだに本当の答を見出せないでいます。もしかしたら、あした突然合気道と縁が切れても特に困らないのではないか、なぜなら世間には合気道など知らない人のほうが圧倒的に多く、その人たちはそれで十分に幸せな生活を享受しているではないか、そんなふうに思うのです。
それならわたしたちが今やっている合気道はあってもなくてもよい単なるかりそめの楽しみのためなのでしょうか。そんなことはない、と強く主張するだけの根拠を正直なところ持ち合わせていないようにも感じます。情けないですが。
現代における武道は、ごく大雑把にいえば他と戦う技術を用いて強健な身体と豊かな精神を作り上げようということで括ることが出来ると思います。それはそれで良いとしても、なぜ合気道かということについては、やはり答えにはなっていません。どんなことにもすっきりと割り切れる答があるというわけでもないのかもしれませんが、不満足感は残ります。
迷ったときは原点に帰れといいます。わたしたちの原点は大先生でしょう。その言行をもう一度丹念に吟味してみるのが良いのかもしれません。これからしばらく、その作業をしてみようと思います。その成果は逐次本欄でご報告しますが、一回あたりの文章量を少なく、できるだけコンパクトにまとめ、間隔も短くお伝えします。それで今回も短めということで。
なお、このようなテーマについてはわたしからの一方通行ではつまらないので、皆様もどうぞご意見をお寄せください。場合によっては本欄を提供いたしますから。