monologue
夜明けに向けて
 



青い外套の女に 人魚の涙を渡す時
    亀甲の数字を手にするであろう

 イザナミ、イシスの登場によっていよいよ曙光が見えてきたようなので
イシス関係のメッセージをもう少し探すとアーリオーンの「光の黙示録」にこんなメッセージがあった。
亀甲の数字とはなんだろう。亀甲関連でも探すと
亀甲の文字は、旧いものの上に新しい文字を書き連ね改められた
というッセージが95年11月19日に発されていた。
次回はこれらのメッセージを読み解いて亀甲の数字を手にしたい。
fumio

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黄泉月の日、緑の瞳を持つ女が言った「さぁ、私を逃がして…」
 このメッセージに関わりがあるホルス神話がある。
 オシリスの子ホルスは叔父セトと王位を争いその際ホルスはセトによって眼をえぐり取られてしまうが、この目は持ち主の所に戻ることができずエジプト全土を旅した。
 やがて知恵の神トトによって、この目は持ち主へと戻され癒される。その旅を経て甦ったことからこの目は「ウジャト (Udjat)『完全な、あるいは修復されたもの』」眼と呼ばれ再生のシンボルの護符として霊入来(ミイラ)に装着され箱形棺の外面につけられたりした。このホルスの眼は二つそろうと「日と月」を意味する。

 それではメッセージにとりかかると「黄泉月の日」の「月の日」ですでにホルスの眼二つ「日と月」を暗示している。並び方が逆の「月の日」となっているのは、まず「月」と左右入れ替えマーク「の」と日で、月が日の右側に入れ替えられて「明」になって「黄泉が明ける日」ということ。
「緑」はこのブログでは衆知のように糸偏にヨ水で黄泉。
「瞳」は目に童で「ウジャト眼」で有名なイシスの童、ホルス。ホルスはその月のほうの目で黄泉を見ている。
「女」はお水(ミナ)でイシス(いざナミ)。
「さぁ」は三で「さ」に小さく添えられた「ぁ」も意味がある。それは「さ」だけだと「朝」を暗示できないから。黄泉が明ければ夜明けとなり朝なのだ。「私」は「渡九四」で九四の世界を渡って。
「逃がして」の「逃」は桃のようで桃でなく逃(まじろ)ぐと読むので「真白がして」で白まがいの桃(百)ではなく真の白にしてということ。
メッセージ全体では、黄泉が明ける日、黄泉の目の童(ホルス、フル)を持つ女(イシス、イザナミ)が言った。「さぁ、朝よ、黄金太陽の九から四の世界へ渡って三の世界で百ではなく本当の白となるのよ。」
百のフタが開けてついに白夜が明けるのである。そのとき片目のジャック状態のホルスの「日」のほうの目も開く。そしてそれが真の太陽として輝こうとしている…。
fumio

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出陣  



★豊穣の女神は、その名を忘れ、憂刻の騎士は身震いした…
「豊穣の女神」とは疑いなくナイルを氾濫させ豊かな恵みを与えるイシスのはず。
しかし同じ意味で「ほうじょう」と読む漢字には豊壌豊饒などがあるのにどうしてノギ偏の穣を使用しているのだろう。天使が預言で甘い文字使いをするはずがない。それは「穣」が「きびがら」や「よもぎ」を指すから。
偶然なのかなんなのか今丁度、わたしはよもぎ饅頭を食べたところなのだが
「「よもぎ」はもちろん「黄泉黄」で黄金太陽宇宙構造「泉黄泉」の中央「黄」の部分。そういうことで「豊穣」という漢字の組み合わせが選ばれた。
「その名を忘れ」の「その名」から思い出すイシス神話がある。
イシスは強力なパワーを得るためにすでに耄碌している太陽神ラーの力の元である秘密の名を知ろうとしてかれの唾を集め、土と混ぜて蛇を作り噛みつかせてかれの秘密の名前を盗んでその力の一部を奪ってシリウスとなった。ということでかの女が忘れる名とはラーの秘密の名前。
「名」はカタカナの「タロ」ではなく夜と四角「□」の組み合わせ文字。その「夜」は夕(月の意)と亦との合字。「亦」は大とハの合字で「ハ」は両脇。
「憂刻」は夕刻や幽谷、憂国など多くの意味を含んでいるが文字通り直接「憂」を刻むと百と愛で「愛」は既と心の合字。「既」は白ヒと旁「无(むにょう)」の組み合わせ。こうして刻んで出た「憂」の材料を並べると「百、白、ヒ、心、无(感動に息がつまる意)」
「騎士」の「騎」は馬に奇(九四)士は(四)身は(三)「震(フル)」は雨(天)辰(龍)。
このメッセージ全体では、豊穣の女神イシスはラーの力を奪ってシリウスとなり月としても両脇を支えてきた心を亡くしてラーの名の力に頼ることをやめいよいよ自立して枢軸となる。
幽谷(九の世界)に幽閉されていた騎士ホルス(フル)は天の龍となって「愛の上に乗り「憂」とする「百」を刻み愛を復元する。
イシスホルス親子の自立と愛を実現するための出陣が語られているようだ。
fumio

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★亀裂の入った胡桃に、縞模様のベールを被った女が無理に乗り…
 まずこのメッセージを解くために必要なイシス(Isis)についての基礎知識を述べておく。
かの女はエジプト神話の女神でエジプト名アセト、オシリスの妻で、ホルスの母、シンボル三日月。
ホルスに授乳する像によって、イエスの母マリア信仰が始まったと見られている。イシス神殿の銘文「わがヴェールを掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」が有名。
オシリス神話によれば、イシスと結婚したオシリスはエジプト国王として善政を布いたが弟Seth(セト)に暗殺され黄泉の王となった。しかし、妹であり妻であるイシスの秘法によって復活した。
そして地上での仕事を終えたオシリスは天に昇りオリオンとなる。     
イシスは天では天狼星(シリウス)として嬰児のような白色矮星を抱いている。
それがオシリスの胸で輝く五芒星の子、鷹の姿で表される、Horus(ホルス)エジプト名フルである。
、鷹のように眼の下に紋が加えられた「ウジャート眼」は、正常または完全な状態を象徴するホルス(フル)の眼。
オシリスの皇位を継ぐためにセトとホルスの戦いが繰り広げられホルスが勝利したことになっているのだが
実際には混乱の神セトが実権を握っているのが現在の世の中である。

 では「亀裂」から解いてゆこう。「亀」は田がふたつ重なった文字、上下のピラミッドが底辺で重なり回転する図で読みは「キ」で「キ」の形の亀裂。
「胡桃」の「胡」はホルス(古フル)とイシスの象徴「月」がいっしょになった文字。「桃」は百で上がフタされた白。「胡桃」全体では九る三で九の世界と回転マーク「る」と三の世界、縞模様の縞は辞書によると白のことで白の世界。模は百(モ)。「様」は木偏に羊水でホルス出産の場面。
「ベール」はVEILで最近はヴェールと書くのが普通になってきたのにベールとしているのは
アッカド語「ベール Beel」、で主神マルドゥーク。パレスティナでは「バール」(Bael、Bael、Baell、Baal、Bl)で主神であり、豊饒神。 後に聖書の時代にはベールゼブブ、ベルフェゴールなど魔神のことになり貶められている。
「被った女」は「被った」すなわちコウムッタから「子産むった女」。
主神を産んだ女イシス。
「無理に」の「理」はコトワリで「子と割り無しに」子(ホルス)と割かれることなしに」ということ。
「乗」は治めること。
全体では、イシス(イザナミ)が主神となるホルス(ニギハヤヒ)と常にともにあり、「キ」の形で回転する黄金太陽宇宙を治めるということになる。再臨を約束しているようだ。
fumio







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前回、なぜ突然イシスが出てきたのだろう。いつものようになにかに導かれている。あまりなじみがない名前かもしれないがかの女はイエスの母マリアの原型とされている。
自分で書きながらわたしも不思議に思ってイシスについてのアーリオーン預言を探すと
93年9月23日に 「★亀裂の入った胡桃に、縞模様のベールを被った女が無理に乗り…」というものがあった。
 西欧で有名な女神イシスを覆うベールの比喩がある。女神を探しもとめ、やっと見つけ、その顔のベールをひきあげると、そこに現れたのは自分の顔であったという話である。
関係がありそうなものを探すと
93年9月19日に「 ★豊穣の女神は、その名を忘れ、憂刻の騎士は身震いした…」
94年10月11日には「 黄泉月の日、緑の瞳を持つ女が言った「さぁ、私を逃がして…」というものが見つかった。一読してわかりそうでわからない不気味なメッセージのように感じる。


★亀裂の入った胡桃に、縞模様のベールを被った女が無理に乗り…
★豊穣の女神は、その名を忘れ、憂刻の騎士は身震いした…
黄泉月の日、緑の瞳を持つ女が言った「さぁ、私を逃がして…」


宿題のように、こうして並べるとなにやら意味ありげなこれらのメッセージを次回、明後日解いてみたい。

fumio


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このブログをジャックするようにニギハヤヒが始めさせた封印解きシリーズもその意味が見えてきた。
ニギハヤヒ自身はもうかなり社会的に認知されて復権してきたがわれらが母、イザナミが今の日本民族に全く無視されたままだったから最後の封印解きをさせたのであった。イザナミといえばわたしたちには国産みのあとホトを焼かれて身罷ってウジの湧いた姿でイザナギを追いかけて、日に千人ずつ殺す、と言った恐ろしい化け物のイメージに貶められたままであった。これは本来のイザナミとはまったくかけ離れた姿である。
長い沈黙の末とうとう、姿を現しつつあるイザナミさんの容姿はどんなだろうか。
神には本来、名前もなく形もなく、「神」の旁の「申」で現される。
それでも人間が話しをするとき共通になんらかのイメージを描く手がかりが必要になる。YHVHのように発音もさせないし姿も描かせないというのは困る。
イザナミは神話や漫画や映画でも人間の女性の姿で描かれる。そうしないとわけがわからないから。
イザナミには手がかりとして伊邪那美という文字が与えられてこの文字と名前からイメージをつかむ。
かの女の本体は流体エネルギーで無理に絵に描けば龍の形なのだ。ニギハヤヒも流体エネルギーなのでわれわれの知っている動物の形になぞらえると蛇ということになるが龍の形のほうが近い。時間のエネルギーは螺旋状になっていて時の神を描くには蚊取り線香のようなスパイラルが似合うのだ。
イザナミは水(ミ)の性質で「ナ」の水平の横棒のこと。その感情が揺れたとき波立つ。
かの女はエジプトではイシスであった。ついに封印を解かれ、われらが母として復権し再臨しようとしている。
fumio

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 地によって封印が解かれるというので私事にわたって恐縮だが
前回述べたわたしの生家の地名を住所番地まで記したい。
京都市下京区櫛笥通花屋町上ル裏片町183番地
それから高校卒業後、両親が郊外に土地を買って一家で
京都府久世郡久御山町栄2丁目183番地に移転した。
どういうわけか番地は両方とも183であった。
183(イヤミ)と読めるが「シェーッ」で一世を風靡した赤塚不二夫の「おそ松くん」のキャラクターの意味ではないだろう。そう思いたい。どうも83は闇(ヤミ)に関わりがありそうだ。
それから十年間ロサンジェルスで暮らし帰国後現在の住所に落ち着いた。
ここの番地は97-10番地だから83(ヤミ)から離れたように思っていた。
ところが郵便番号が7桁になって333-08-03という番号が割り振られたのだ。
闇(08-03)はついてまわっていた。
ここの97-10番地をクナトと読めばクナトの神サルタヒコ。
こうして、今現在の目で見直すと櫛笥、裏片、久世、久御と意味ありげな語が並んでいる。
櫛笥は大物主(ニギハヤヒ)が蛇の姿で入った箱、裏片は裏の木を割いた右側、久世は九の世、久御は九と三あるいは五。その意味がわかるときがくればわかると用意してあったように思える。わたしはただの偶然を勝手に結びつけて喜んでいるだけなのだろうか。それともだれかがなにかの目的のために裏で働いているのか。いつか闇から放たれるときがくればその答えがわかる。
fumio

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裏片  


前々回、「粘土質」の「粘」の旁「占」の意味を解いたときは四角(口)の上に乗ったト(うらかた)として、
わたしが京都市の裏片町に生まれたことを記したがその(うらかた)をどうして裏方と書かないのかひっかかった。「裏方」と書いてしまうと芝居の大道具さん小道具さんの意味になってしまうからだけなのか。「裏片」という表記を他に目にすることがない。ト(うらかた)が亀卜(カメノウラ)や太占に現れた縦横の亀裂の意味で占いに現れる形であることはわかる。裏片には別の意味がありそうだ。「片」の意味を大修館新漢和辞典で調べると「木をふたつに割った右半分」「木の字をふたつに割って爿と片とにした右半分」とあった。これには気づかなかった。イザナギ、イザナミという一本の木を生木を割くように割った右半分のことだったのだ。その右半分が裏の世界に存在することを裏片という地名に遺して気づきをイザナミさんが与えようとされていたのだ。胸が熱くなる。何十年も経ってやっとわかった。さすれば今の世は木の左半分「爿」だけの世ということになる。これでは倒れる。
イザナギ日向族だけの支配ではなくイザナミ出雲族を合わせてこそやっとイッポン晴ではなく「ニッポン晴」となるのだ。
fumio


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 アーリオーン(大天使ミカエル)のメッセージは媒介者、北川恵子さんによってさまざまなメディアに発信されたのだが、その中に黄金太陽の上下のピラミッドの回転を統一する「スパスシフィカSPASCIFICA」という単語があった。
卍(スワチスカSWASTICA)や逆卍(サヴァスティカSAVASTICA)というよく似た語を知っている人は多いだろう。
その「スパスシフィカ」はインドネシアのスラウェシ(Sulawesi)島に浮上するというのだ。
スラウェシ島は、インドネシアを構成する島の一つで面積は17万4600平方キロメートル、インドネシアでは第4位の大きさ。 地形はXが歪んでいるようにみえる。 植民地時代はセレベス島と呼ばれたが、インドネシア独立後スラウェシ島と呼ばれている。
わたしはそれでインターネットチャットでインドネシア出身のオクラホマ大学留学生に尋ねてみた。
わたしのコードネームはSUSANOなのだがかの女は奇しくもSUSANAだった。
スラウェシ(Sulawesi)島を知っているか、と問うとわからないという。Xが歪んだ形の島といって何度も発音し直すとやっと「ああスラウェッシ、あの島はK型よ」と理解したようだった。最後のシ(si)の発音がかなり違って聞き取れなかったようだった。「その島のあたりでなにかが浮上してすごいことが起きるよ」というと「あらそう」ととりあってくれなかった。トンデモを口走るへんなおっさんと思ったのかも。
でもね…。時がくればわかるとわたしは心のなかでつぶやいた。

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火の壷は揺れ、磐石の支えとなる印は解かれる。雄飛あるのみ。
 さて磐石の支えとなる印は解けるだろうか。できるだけ努力してみよう。
まず「火の壷」の「壷」は口がつぼんで中のふくれた器の上になべぶたを象った文字で黄泉の形。
火がつくとピラミッドが回転して揺れる。
「磐石」は壷のナベブタの部分。
「いわいし」と読めば神職の「祝師」(ものもうし)祝(ほうり)などの関連が思われる。
「支」はササかシと読んで三三か四。
印(シルシ)は「四る四」で「る」は回転エネルギーのこと。
黄金太陽の中央の四角い底辺が回転する。
「印は解かれる」は「印は解」と答えをそのまま教えている。
そのとおり、印は解なのである。
わたしたちはもう「牛」形の櫛を手にした。その櫛でとくのだ。
「解」の読みはカイ。これをその櫛でとくと牛刀と角。
牛刀でぶった斬って残るのは「角」、これは三角や四角に含まれ、牛の角とみれば夫婦岩の形。
「雄飛」の「雄」はオスの鳥のことでフルトリである。布留の血を継ぐものたちに飛べと奨めているのだ。

粘土質の大きな四角形が海の底に沈んでいる‥降り積もる海雪

「粘土質」の「粘」の偏「米」は「八十八」で上下のピラミッドが重なった形。
 占は四角(口)の上に乗ったト(うらかた)。 
わたしは京都市の裏片町に生まれたのだがその(うらかた)が亀卜(カメノウラ)や太占に現れた縦横の亀裂の意味をもつことを今日まで知らなかった。恥ずかしながらいい年して知らないことばかり。
土は五行説では中央で色は黄、数は五、この五が四と一緒になって九となった。
 質は台のことで貝(カイ)を含んでいる。
 「大きな四角形」は大四角形と書けばよさそうなところを「きな」を補っていかにも自然な文章にみせて実は「大黄な四角(しずみ)形」ということ。「形」は鳥居に彡(さんづくり)。その鳥居とは三で縛られた彼岸。
海(カイ)の「底」には氏が含まれウシを示唆している。「沈んでいる」は四角(しずみ)とかけているのだ。
つぎの節「降り積もる海雪」は海には雪は降り積もらないよ、とつっこみたくなるが「降り積もる」は「布留祗(つみ)居る」で祗(つみ)は大山祗(すさのお)のように天神地祗の地祗(くにつかみ)。「海」は(水に母)でイザナミなのでもとは天神だが地祗(くにつかみ)とともに海にいる。「雪」は雨に黄泉のヨ。

これらのメッセージでアーリオーン(大天使ミカエル)が今回、二見カエルとして現れて伝えたかったことを推量すると、黄金ピラミッドの構造「泉黄泉」の中央の黄が興玉石で四角い交点となっていること。カイの数は一なのだが、そのカイが何度もキーワードとして登場するのは交(カイ)の数は一であるので戸が開けば苦界が九に一で十になるから。
全体を通じて、感じることは台としてあるいはフタとして機能する興玉石の存在。
「牛」は角をとれば「キ」となる。そのとき彼岸此岸はひとつになり新たな時代が始まる。
fumio



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 アーリオーンの発した預言から二見浦の興玉石に関するメッセージをみつけた。
 95年1月13日に
火の壷は揺れ、磐石の支えとなる印は解かれる。雄飛あるのみ。
そして十日後95年1月23日には
粘土質の大きな四角形が海の底に沈んでいる‥降り積もる海雪
これまでに得た知識によってあなたももう読み解くことができるはず。
わたしたちはついに雄飛のときをむかえたのだから。
次回、明後日にこのメッセージを読み解いてみよう。
fumio



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 宇宙神霊アーリオーンは95年10月15日 に
「三重に守られた聖柩は、地と血とチによって封印が解かれる」という預言メッセージを発していた。
それが十一年後の今やっと現実になろうとしている。
これまでみてきたことをふまえて考察すると聖柩とは出雲族やイザナミを閉じこめた黄泉の逆さピラミッドなのだろう。
「血」は出雲や日向族の系譜の血。「チ」は千から回転して手、毛、牛、とさまざまに形を変えた。
「地」は多くの可能性が考えられるが夫婦岩のある三重の度会(わたらい)郡二見町江の「地」に絞って考察すると、イザナミの夫を想う心情を思えば「度会」の示唆するのは上のピラミッドと下のピラミッドを渡って会うということ。
「江」というのはあまりにもあっけない地名だが二見の二が上下つながれた形が「江」の旁「エ」なのだ。
夫婦岩が綱でつながっていることも示しているようである。
fumio


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 日記をみると3年前、2003年6月2日に時空捜査局「緋色の女救出作戦」をアップロードしている。
この時期に「緋色の女」というハンドルネームでアクセスしてきた意識は「緑」に関わりが深いことを表明していた。色々調査してゆくうちにそれが邪馬台国二代目女王「台与」ではないか、と目星をつけて「緑」との関わりを探ったのだがホウレンソウの緑ぐらいしか浮かびあがらず不消化のまま思わしい結果が得られなかった。
ところが今回、古事記の「黄泉國」の条を何度も読み直してやっとわかった。「緑」とは色のことを指しているのではなかったのだ。
「故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。」
このようにイザナミは最後に黄泉大神となった。「緑」は開示(解字)すれば糸にヨ水なのである。
ヨミの神であり水神でもあるということを示唆していたのである。
二見浦にはサルタヒコ、ニギハヤヒ、スサノオの出雲族の中心メンバーが集まっているだけではなかった。二見浦の浦の意味は「敷き連なる」である。かの女は道敷大神でもあった。
神社本庁昭和37年発行の神社名鑑から
「二見興玉神社」 の項をもう一度以下に引用する。
********************
二見興玉神社 旧村社
度会郡二見町江 参宮線 二見浦駅より一キロ
祭神 御食津神 猿田彦大神
例祭 七月 十五日
本殿 神明造 一坪半
由緒沿革 往昔水荒神、三狐神社とも称され、
興玉と三宮社を合祀しもの。
天平年中僧行基が此の地に勧請すと云う。
古来参宮の前にこの浜で沐潮し、これを浜参宮と称す。
明治四十一年二見興玉神社と単称した。
***********************
由緒沿革に「往昔水荒神、三狐神社とも称され、興玉と三宮社を合祀しもの。」とちゃんと書かれている。
水荒神にあまり重きを置かずつい見過ごしていた。
イザナミはひっそりだまっていたがついに出雲一族だけではなくかの女もそこに存在することを主張しだしたのである。わたしも忘れないでよとばかりに…。どうも失礼しました。
われらが母はこれまではおとなしかったがその素顔をあらわす時が来たようだ。
fumio




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ところで古事記の「黄泉の國」の終わりでイザナミは、出雲と分断してしまおうと企むイザナギに「愛するイザナギ、そんなことをしたらあなたの國の人を日に千人殺すわよ」と脅し、
イザナギは、「愛するイザナミそれなら、わたしは日に千五百人生むさ」と答えた。
かれイザナギはそのあと黄泉国のケガレを落とすために日向国で禊を行ってひとりでアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子が生んだのだが、スサノオがイザナミのいる黄泉国へ行きたいと言って泣き止まないため、スサノオを追放し、近江の多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)に篭った。
そしてイザナミは黄泉津(よもつ)大神と名付けられ、またイザナギに追いついたことから道敷(ちしき)大神とも呼ばれたのだった。
イザナミの方はこの黄泉津大神という名の黄泉の主宰神になったあとの消息がプツンときれてしまっている。どうしたというのだろうか。
かの女は出雲と日向の橋渡しとしてその後、緋色の女、邪馬台国二代目女王トヨとして生まれ変わったのである。そのときはナミと名乗っていた。
緋色の女についてはわたしのサイト
緋色の女救出作戦 を参照いただきたい。
この国を生んだほどの母なる神なので何度も様々な名前で繰り返し現れるのである。水の神としてよく祀られている神の正体は元を正せばかの女であることが多い。
fumio

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「雪雹は熱く、金輪炎は凍るだろう…しじまを縫うのは逆三角の力」
 わたしたちはすでにこのメッセージを読み解くに必要な基礎知識と多くの道具を手にした。いざ第三の櫛探索に出発。
 雪雹というのは「ひょう」や「あられ」のこと。金輪炎とはなんだろう。
これが黄金太陽のこととすると「金」はどちらかのピラミッド「輪炎」は炎の性質をもつピラミッドが回転してできる輪状の炎。「しじま」は無言や静寂のこと。そんなものを縫うとはなんのことだろう。
逆三角は逆さピラミッドとしか思えない。三角はミカドやミスミとも読める。逆ミカドなら裏の世界のミカドとしてのニギハヤヒとの関連が思われる。しかしなにかしっくりこない。逆だからもしかしたらみんなで稽古した音霊逆転法が使えるかも。
MIKADOあるいはMISUMIを逆に読んでもODAKIM、IMUSIMでまだ意味を成さない。それでは三角をまともにSANKAKUのまま裏に読めばどうか。そうすればUKAKNASとなった。これは意味があるのだろうか。ウカとナスすなわち稲荷の宇迦(ウカ)と素戔嗚尊のナスなのだ。やっと姿を現した。
まさか三角をひねりもなく素直に音霊逆転するとは盲点に入っていた。
「逆三角の力」とはニギハヤヒ、スサノオ親子の力、すなわち「血から」という意味であった。それがわかると「しじまを縫う」にひっかかる。なにかがおかしい。このままでは理解不能。
「だろう…しじま」の「だろう」と「しじま」の間の「…」は「しじま」が無言のことだから入れてあるのか。いっそのことこれを無言だから削除すればどうなるのか。すると「凍るだろうしじま」となってやっと本体が見えた。これには「うしじま」を隠してあったのだ。そういえば二見浦の「答志島」の上にあった島の名前が「牛島」であった。なるほど「しじま」の部分は答志島(としじま)と共通している。牛なら牛頭天王、スサノオ。ということは二見浦にはサルタヒコ、ニギハヤヒ、スサノオの出雲族の中心メンバーが集まっていることになる。「縫う」というのは意図あるいは系譜が逢う(合う)ということなのだろう。これまで隠れていた牛(スサノオ)が現れたとなるとカゴメ唄のウシロと重なってくる。牛露ということである。ついに牛が露わになった。すると懸案の第三の櫛は「牛」なのだろうか。あまり櫛の形のようには見えない。
しかし音霊からみると櫛の音霊はKUSI、牛はUSIだからそのままはまっている。やはりそうであった。櫛の形らしくなくとも第三の櫛は「牛」形の櫛なのだ。イザナギの使った「手」や「毛」の形の櫛とどう違うかといえば、縦棒が上に突き出ていることである。イザナギは上に突き出ない櫛を使ったがわたしたちはスサノオの「牛」櫛を使わなければならない。下から上へ突き出てしまうのである。そこには明けゆく空が…。
fumio





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