monologue
夜明けに向けて
 





わたしが初めて採用されたリトルトーキョーの「栄菊」という店でエンターティナーとしてしばらく仕事しているとどこかの店でママをやっているという女性がやってきて自分の店でエンターティナーをやってほしいという。「栄菊」のオーナーは「栄菊」では女性ピアニストを探すからかまわない、というので引き抜かれた。次の日に行くとその店は「あしび」といって沖縄語で「遊び」という意味だった。ステージにオルガンが置いてあってそれまで蛇皮線などのバンドが沖縄民謡を演奏していたらしかった。店の経営が思わしくなくなってエンターテイナーを入れ替えてみようということになったらしい。客層は沖縄県人会のたまり場のようだった。「栄菊」では日本の曲も演奏したが「あしび」ではほとんど洋楽で店の女の子がビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」をよくリクエストしてくれた。3連符のギターを忙しく弾きながらなんとかこなした。ビートルズの曲目では「オール・マイ・ラヴィング」は人気がある。歌詞が胸に響くようだ。ジョン・レノンの歌う「アクロス・ザ・ユニヴァース」もよく米国人にリクエストされ演奏した。わけのわからない呪文のような歌詞の部分が好きな人が多いようだ。ところがその店も一冬越して次の年にはつぶれてしまった。残念ながらエンターテイナーの入れ替え程度ではもたなかったようだ。そういうわけでわたしはすぐに別の店の仕事を探す羽目になってしまった。引き抜かれなかったほうが良かったのかも。
fumio

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松下電子工業の将棋部時代、顧問の中井捨吉七段は「升田大山の兄弟子だった」と言っていたので現役時代どんな将棋を指したのか将棋データベースで棋譜を検索すると、サンデー毎日の勝継棋戦で「升田幸三三段」対「中井捨吉五段」戦を香落ちで2局指して1勝1敗。その弟弟子大山康晴氏とは木見会という同門の会で「大山康晴二段」対「中井捨吉六段」戦を角落ちで指して敗け。サンデー毎日の昇降段棋戦で「大山康晴四段」対「中井捨吉六段」戦を香落ちで指して負けている。中井捨吉先生は升田大山に駒落ちで指し、少年時代「名人に香車を引いて勝つ」と物差しの裏に書き遺して家を出た升田幸三三段に香車を引いて勝っていたのだ。中井先生はこの偉大な名人の卵の後輩たちを鍛え上げた鬼軍曹先輩だった。
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ナイトクラブには最後に演奏する定番の曲がある。日系クラブの閉店時に演奏するラストソングは普通は「そっとおやすみ」だった。あまりお決まりの曲を演奏するのは気が乗らなかったのでわたしは休憩時にダウンタウンでブルースハープ(ハーモニカ)を買ってきた。それでラストソングに童謡「赤とんぼ」を吹いた。すると「栄菊」のママがもっとハーモニカを吹いてくれという。郷愁を掻き立てられて胸が迫ったらしい。それでしばらく吹き続けた。日本にいると気づかないが日本から外国に行った人が童謡「赤とんぼ」を聴くと心の琴線に触れ深く感動する。歌詞を歌わなくともあのメロデイだけで十分なのだ。
fumio

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わたしが初めてエンターティナーとして採用されたリトルトーキョーの「栄菊」という店は面白い店でフォーリーブスの青山 孝がガラスの教会で結婚する時やってきて二階にフォーリーブスの面々と登って行った。わたしは麻雀でもやっているのかと思いながら階下のクラブで英語の曲ばかり演奏していた。寿司バーにはジョニー・ミッチェルのバンドでギターを弾いているギタリストが馴染みで来たり、クラブ「栄菊」のバーテンは自分のワンボックスカーの中で「天国への階段」を弾いてくれというので車をみると音楽スタジオに改造してあった。立派なスピーカーが備えてあって車内でハードロックも演奏できた。シカゴの「長い夜」を歌わせてくれという歌手志望白人女性が何度も来たりしてあまりうまくなかったけれど面白かった。。青山 孝氏は2009年に肝臓癌で亡くなったそうだがあのガラスの教会での結婚式を人生の一ページとして覚えているだろうか。合掌。
fumio

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25日、英ロックバンド「クリーム」のベーシスト ジャック・ブルース、ジョン・サイモン・アッシャー・ブルース( John Symon Asher Bruce)が英東部サフォークの自宅で71歳で死去した。かれは1966年にスーパーグループ、アートロックバンド「クリーム」をエリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと結成し、ロックをアートの領域に引き上げた。68年に解散するまで世界のミュージシャンに多大な影響を与えそれまで若者のサブカルチャーであったロックを大人のメインカルチャーにした。わたしたちの世代のミュージシャンの恩人。合掌。
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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10月17日(金)~10月24日(金)
ヒット数 296件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(4)<3>夢の旅
第3位(5)<5>水面に書いた物語
第4位(2)<2>はるかなるメロデイ
第5位(6)<->あやかしのまち
第6位(3)<7>そしてなにが残った
第7位(8)<4>手をかざしてごらん
第8位(18)<9>ラスト・ランデヴー
第9位(-)<->女優(スター)
第10位(13)<6>軽々しく愛を口にしないで
第11位(12)<12>オーロラの町から
第12位(-)<->マイ・スィート・ライフ
第13位(15)<17>水の中で
第14位(14)<13>わんだふるわーるど
第15位(7)<8>ごめんなさい
第16位(11)<14>素顔のマスカレード
第17位(21)<24>雨の日のデート
第18位(-)<->ハローマイラヴ(わが地球)
第19位(20)<->もっと自由に
第20位(10)<10>Sentimental lady ‘M’
第21位(16)<->小舟がひとつ
第22位(23)<->愛し疲れて
第23位(17)<->UFO ROCK
第24位(-)<->I'm looking for love
第25位(-)<->All right girl

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今週もやはり祭りの夜 の独走は変わらないが最後尾につけている24位のI'm looking for loveと25位のAll right girlが面白い。この2曲は高校を卒業した頃ビートルズに憧れて作ったわたしのロック曲作りの原点。ご愛聴感謝。
fumio

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昨日、10月23日(木)将棋順位戦B級1組7回戦が行われた。注目のカードはなんといっても△佐藤 天彦七段(5勝1敗)対▲木村 一基八段(4勝1敗)の一敗対決。勝った方はA級昇級の芽が濃くなる。対局場、東京将棋会館4階高雄の間。同じ順位戦B級1組、屋敷藤井戦と盤を並べて対局は進む。戦型は横歩取り、佐藤 天彦七段の飛車角交換から激戦になり古豪木村八段が受け切るか、若武者佐藤の攻めが勝るかの攻防が午前1時過ぎまで続いて午前1時13分 佐藤七段が寄せきって勝った。消費時間は▲木村5時間59分、△佐藤5時間58分。勝った佐藤七段は6勝1敗、敗れた木村八段は4勝2敗。佐藤七段は来期の昇級に一歩近づいた。
fumio

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昨日の「SONG TO SOUL」はサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を採り上げていた。
この曲を聴くと 同志社大学出身のフォークバンド「ザ・ヴァニティー(バニテイ)」を思い出す。
「ザ・ヴァニティ」とはリードヴォーカル石塚成孝、コーラス越智友嗣、ベース井上博のトリオでサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を得意曲にしていて抜群だった。かれらは日本コロンビアからカレッジフォークとして「ザ・バニティー 愛に吹く風」 というシングルを発売している。フォーク・クルセダーズ解散後、同志社大学の先輩端田宣彦が結成したシューベルツに越智友嗣と井上博が杉田二郎とともに参加して「風」をヒットさせた。リードヴォーカル石塚成孝は他のジャンルの職業に就きたいと加わらなかった。メンバーの抜けた「ザ・ヴァニティー」の方は石塚成孝(同志社大) 岡田恒夫(京都産大) 松田伸昭(大阪工大)という他校のメンバーとの「ザ・ヴァニティー」を再結成して1969年9月に「最後のお話」というシングルをキングレコードからリリースしている。そして 2003年にザ・ヴァニティーのリーダーであった石塚成孝が逝去したという。音楽以外の職業を選んでどこまで成功したのだろうか。合掌。


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日本将棋連盟ロスアンジェルス支部のブログによって1996年、羽生対谷川の海外竜王戦が当地で開催されたのを機にロスアンジェルス支部が結成されたということを知った。それまでのロスアンジェルスの将棋の歩みが知られていないので記しておく。ロスアンジェルスの将棋クラブは小東京(リトルトーキョー)の「マジックラジオ」レコード店主最相浩(さいしょうひろし)氏によって種が蒔かれ運営されていた。最相浩氏は日本将棋連盟の支部にはならないで孤軍奮闘して将棋を支えていた。将棋大会はユニオン教会の地下を借りて細々と行われてその結果などを羅府新報や加州毎日に掲載していた。そのころ日本から普及に来たプロは田丸昇氏石田和雄氏中田章道(なかだ しょうどう)氏など。その後小東京は開発され日米文化会館が建造されてその中に羅府棋院という囲碁将棋の道場ができた。そして1985年に米長対勝浦の棋聖戦の海外対局開催に合わせて木村義徳、武者野勝巳、西川慶二の各氏が普及、ホテルニューオータニでの対局場準備に乗り込み、大山康晴15世名人をはじめとする数多くの棋士が来羅し賑わった。ロスアンジェルスの将棋界にとってこのイベント開催は大きかった。
fumio


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米国の息子とスカイプのヴィデオ通話中、妻がスマホのLINEアプリの設定をした。息子が向こうで妻のIDを登録できなかったというのでこちらで息子のIDを打ち込んだがID検索ができないという。格安スマホなのでそういう制限があるらしい。妻がスマホの画面をPCのレンズにかざして息子に指示されるままにいろいろ試してもうまくゆかないので最後に息子が自分のアイフォンスマホのQRコードをメールでPCに送ってきた。受信したメール画面に出ているQRコードに妻のスマホをかざして取り込むとついに登録できた。それでLINEを使用して試してみるとスマホの画面に息子の顔が映り通話できた。こうしてLINEの登録設定は終わった。これからはやっと海外電話も無料のLINEでできる。

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昨日、ロスアンジェルスに住む息子とスカイプのヴィデオ通話をしていると先週の土日に開催された初音ミク3Dライヴコンサートをダウンタウンのフィゲロア通りと11番通りにあるノキアシアターで観てきたという。
ノキアプラザはニューヨークのタイムズスクエアや日本の銀座を意識して作られたという収容人数7100名の屋外広場でアメリカン・ミュージック・アワードの授賞式、プライムタイム・エミー賞授賞式、アメリカン・アイドル決戦大会などで世界に知られている。息子はコンサートは盛大ですごく良かったと言っていた。米国中のオタクが集まったのだろう。「おたく」は「お宅」という相手への呼びかけから始まり「オタク」とカタカナに進化を遂げ現在は「OTAKU」とアルファベット。日本発のサブカルチャーは世界のメインカルチャーへと深化してゆくようだ。2020TOKYOオリンピックの開会式ではこのアトラクションが世界の選手を迎えるのかもしれない。
fumio

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私的カウントダウン、アルバム「水面に書いた物語 」、「プロセス」「カリフォルニア・サンシャイン」「ひかりのくにへ」「現代の愛 」シリーズインストルメンタル曲集「夢神楽」などの今週のアクセス聴取ランキング
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10月10日(金)~10月17日(金)
ヒット数 292件中  
順位前週前々週 
第1位(1)<1>祭りの夜
第2位(2)<5>はるかなるメロデイ
第3位(7)<13>そしてなにが残った
第4位(3)<3>夢の旅
第5位(5)<2>水面に書いた物語
第6位(-)<->あやかしのまち
第7位(8)<6>ごめんなさい
第8位(4)<->手をかざしてごらん
第9位(14)<18>STAY WITH ME
第10位(10)<->Sentimental lady ‘M’
第11位(14)<18>顔のマスカレード
第12位(12)<4>オーロラの町から
第13位(6)<17>軽々しく愛を口にしないで
第14位(13)<16>わんだふるわーるど
第15位(17)<->水の中で
第16位(-)<->小舟がひとつ
第17位(-)<->UFO ROCK
第18位(9)<23>ラスト・ランデヴー
第19位(25)<->今すぐに
第20位(-)<->もっと自由に
第21位(24)<->雨の日のデート
第22位(-)<->月とラクダ
第23位(-)<->愛し疲れて
第24位(21)<->Wake you
第25位(19)<->プロセス

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今週もやはり祭りの夜 が独走しているが3位に(そしてなにが残ったが上がってきたことが目につくところ。原発再稼働問題が影響しているのだろうか。ご愛聴感謝。
fumio

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昨日、10月16日将棋第73期順位戦A級4回戦▲行方 尚史(なめかた ひさし)八段(40歳)(3勝0敗)対△久保利明九段(39歳)(1勝2敗)の同世代の一戦が関西将棋会館御上段の間で行われた。
行方尚史八段はここまで全勝でここで勝てば今期名人挑戦者レースの最右翼に飛び出し、久保利明九段が勝てば名人挑戦者レースは大混戦に陥る将棋ファン注目の一局。
久保の四間飛車から三間飛車に変化する43飛車に対して行方は角交換して臨んだ。久保の堅い片美濃囲いに対して行方は最後まで玉の守備の金を固めず破られてしまった。粘ることができず72手という短手数で投了したがこの戦法を用いて深く研究している久保九段の研究勝のように思えた。これでいよいよ今期の名人挑戦者レースの全勝者が消えて混沌としてきた。ファンにとってはもつれる方が楽しい。
fumio

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「マイウェイ」といえばフランク・シナトラだけどわたしが通っていた京都の伏見桃山にあったライブ喫茶「ジョイアンドマリ」に屯(たむろ)するミュージシャンたちの間では深みのある声のブルック・ベントンのバージョンが人気だった。わたしが「マイウェイ」をリクエストされてフランク・シナトラバージョンで歌うとブルック・ベントンのバージョンで歌えと車のセールスマンをしているドラマーに促された。それでブルック・ベントンのテープを借りて練習した。「イエスタデイ」も普通のポールのバージョンではなくレイ・チャールズの歌い方を練習した。「マイウェイ」はエルヴィスや多くの歌手がカヴァーしているが結局フランク・シナトラバージョンに一番人気があってわたしも米国でバンドのレパートリーの一曲として歌う時はオーソドックスなフランク・シナトラバージョンで歌った。歌手の歌唱もその時の客層に合わせて変化する。
fumio

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ロサンジェルス西南区クレンショー地区10thアベニューの日本人学生がシェアハウスして共同生活している大きな家に居候させてもらっていた頃、私立英語学校で同じクラスにいたメグミという女性が留学資金が尽きてきたのでシェアハウスに参加してきた。かの女はリトルトーキョーの「栄菊」というレストランで夜アルバイトすると言っていた。その店は夜はピアノバーになって楽器を弾くエンターティナーを探しているという。オーナーのロイさんと若山富三郎が仲が良くて若山がロサンジェルスに来ると二階で麻雀をするという。わたしはメグミに頼んでロイさんに紹介してもらった。「マイウェイ」をギターの弾き語りでブルック・ベントン風に歌うと即刻エンターテイナーとして採用された。それが米国におけるわたしのプロミュージシャンとしての生活の始まりだった。
fumio

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